第八話 悪意(10)いちゃこらタイム

 それでもルナが落ち着くまで二三日は掛かった。


 よほど生々しい体験だったようだ。 


 ズデンカはずっと付き添ってやった。


 涙こそ初日で収まったが、何度も何度も、


「もう出ていかないでね!」


 と念を押されるのでこりゃ相当重症だなと思った。


 そんなルナが行きたいところがあると言うので、ズデンカはついていくことにした。


「どこ行くんだよ」

「ちょっと、ね」 


 ルナは広げた地図で顔を隠しながら答えた。


 相変わらず秘密にされるが、それは元のルナに戻ったと言うことだ。


 ズデンカは安心した。 


 目指す先は暗い共同墓地だった。


 途中、先日店員が殺害された花屋に行って、ささやかな花束を買った。


「知り合いの墓でもあるのか」

「うん」


 ルナは必死にあちこち探し回った。草叢を掻き分け、石畳が敷かれていない場所すらも歩いた。


 ズデンカはやれやれと思いながらルナに続いた。


「あった」


 ようやく一つの墓石を見つけ出し、花束を置くと、ルナは手を合わせて祈りを捧げた。


 不死者であるズデンカはあまりいい気分はしなかったが、それでも傍らに立ってやっていた。


「娼婦の……連名墓か」


 碑文を読むとそこには仕事柄ゆえの病気で亡くなった何人もの娼婦が眠っていると言うことだった。


「誰に祈ったんだ、言えよ」


 ルナは無言で指し示した。


「エスメラルダ」と刻んだ名前が読みとれた。亡くなったのは去年の十二月で、今のように寒い中だったようだ。


「知り合いか」

「まあね」


 ルナは短く答えた。


 普段はそこから先は言わないが、


「昔の恋人だよ」


 と答えた。


「どんなやつだった?」


 ズデンカはまたほのかな感情の疼きを覚えた。


「君に似てたかも」


 ルナは笑った。


「なんだよ。その言い方は」


 ズデンカはしばし墓碑を触っていたが、


「夢で見たんだろ」

「うん」


 ルナは渋々頷いた。


「どうだった?」


「わたしに怒ってたよ。わたしが彼女のことを心の中で差別していたのを見抜いていたから」


「お前が見たのは『鐘楼の悪魔』が作り出した悪夢だ。囚われていたらお前も化け物に変わっていたかもしれん。だから気にするな!」


 ズデンカは厳しく言った。


「でも、わたしが差別してたのは事実さ」


 ルナはまた祈った。


「わたしはね、差別されてきたし、すべての差別を憎んでいるつもりだった」


 ズデンカは黙った。


「でも、そんなわたしの中にもやっぱり差別心はあった。エスメラルダがどんな思いをしてきたか、考えてあげることができなかった」


「すべての差別を憎む必要はないし、すべてを奴を分かってやる必要もない。お前は優し過ぎるんだ」


 ズデンカは冷たく返した。


 霧が墓地に垂れ込めてきた。墓石がハッキリ見え辛くなっていく。 


「寒いね」


 ルナはマントを前でギュッと握り合わせ、ズデンカに身を寄せた。


「あたしの身体は暖かくなんかないぜ」

「それでもいい。こうしていたい」


 二人は棒立ちのまましばらくそうしていた。


「幸せだな。このままずっといたい」


 ルナは呟いた。


「だが、明日には発たなくちゃな」


 ズデンカは新聞を読み続けていた。ルナの良くない噂がトゥールーズでも広がり始めていることを知っていたからだ。


「そうだね」


 ルナは同意した。


 だが、二人しばらく動かなかった。

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