第八話 悪意(5)

 貧しい者たちなら自分を分かってくれると思った。


 それに過去エルキュールに滞在した際、ルナと関係のあった女たちに、そのあたりの住人が何人もいた。


 もっとも相手と別れる時に大喧嘩で終わることの多いルナだから、今も会ってくれる人がいるとは考えられない。


――でも、唯一、話を聞いてくれそうなやつがいた。


 貧民街に辿り着いた。確かに臭いはきつい。でもルナはそれ自体は平気だった。


 むしろ心が安らぐものを覚えた。


 確かに、貧しい人たちはルナのことを見ない。


 見てもうつろな目で素通りする。


 自分たちの暮らしで大変なのだ。悪意に満ちた笑いを向けられない、それだけで心が安らいだ。

 今のルナにはありがたかった。


 また日が暮れるまでルナは歩き回った。


 ルナは酒場に寄りたかったのだ。そこなら多分、『彼女』の手掛かりがつかめるかも知れない。


 店に入るとルナはカウンターに座り、お酒を注文した。

 こじんまりとした狭い店だ。


 バーテンは無言でグラスを置いた。


「ひっく」


 二杯飲むとすぐ酔ってくる。


 でも、いつものように暴れたくなる気分ではない。


 ルナは飲み過ぎないようにしようとした。でも、頭が重く、耳鳴りがしてくる。


 貧しい身なりをした男たちが周りに迫ってきた。


――まずい。


 油断したと思った。最近は小綺麗な酒場にしか足を運んでいなかったから感覚を忘れていた。


 こう言う酒場で独りの時、一杯以上飲んではいけない。


――この服を着てると、自分が女だと言うことをたまに忘れてしまう。


「姉ちゃん! おまえ姉ちゃんだろ? 遊ぼうや」


 無理矢理手が掴まれた。

 怖気がした。


「いやだ」


 ルナは振り払った。立ち上がろうとするとその足がよろけた。


 まともに進めない。何か混ぜられていたのかも知れない。


「待ちなよ」


 女の声がした。


 聞き覚えある声だ。


「エスメラルダ、お前の知り合いか?」


 と男が聞いた。


 オリーヴ色の肌で、背が高く、華やかななりをした女はそれを無視し、前に傾いていたルナの帽子を少しあげて顔を見た。


「ルナ、久しぶり」


「エスメラルダ!」


 ルナは微笑んだ。


「やっぱり会えた。絶対ここにいると思ってたんだ」


 エスメラルダはルナの頭を撫でた。昔の記憶が甦ってきた。


「さ、一緒にいきましょ」


 エスメラルダは手を差し出した。ルナはそれをとった。


「けっ、売女が」


 後ろから男たちの罵る声が聞こえた。


 エスメラルダは娼婦だった。十代からずっとだ。女しか愛さないが、しょうがなく仕事としてやっていた。


 二人は酒場を出て、エスメラルダの家に向かった。


「あんたみたいな金持ちが、どうしてあたしんところにまた?」

「ちょっと、しくじっちゃってね。いろいろあったんだ」


 ルナは誤魔化すように笑った。自分の窮状をはっきり話したくないと思ったからだ。


「何年ぶり? もうしばらく会ってないよね」

「三年ぐらいかな」


「今は仲良くしているいるの?」

「いた……んだけど」


 ルナは口ごもった。


――ズデンカ。


「言いたくないなら言わないで良いよ」


エスメラルダはいつもこうして自分を配慮してくれる。


「ありがとう」


 懐かしいエスメラルダの家に到着するとルナは安心した。なかなか儲けているのか家具調度などは豪華なものだった。


 しかもエスメラルダが使っているものとは別の寝室まであった。そこへ案内された。


 何と言ってもルナは生来暢気なのだ。ベッドにだらんと横になった。


 一夜を変な体勢で過ごしたため身体中が痛い。


「あー、一日ぶりの布団だ!」


 ゴロゴロと転がる。


 いい匂いがして、気持ちよかった。エスメラルダが気を使っている証拠だ。


「昨日野宿したの?」

「うん。まあそんなとこ」


「服汚れてるね。代わりのやつ持ってきてあげようか?」

「ありがとう」


 エスメラルダは扉を開けて外に出ていった。

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