第八話 悪意(2)
ルナは財布を弄った。小銭がちょっとばかり、紙幣が五枚ほど。いつも食べているようなランチを頼めばあっという間に消えてしまう程度しかない。
ハンカチで額を拭った。冷や汗を掻いている。
――なんで、こんなことに。
ズデンカが姿を消したことと、何か関係があるのだろうか。
ルナは意外と自分に社会経験がないことに思い至った。
十代でベストセラーを世に送り出し、大金を手にして、以来毎日のように巨万の富が入ってきていたのだ。
まさか、一瞬にしてそれが失われるなんて思ってみもしなかった。
――とりあえず、馬車を確認してみなきゃ。いざとなったら馬を売ってでも……。
厩に行ってみると、ルナの馬も車体も残らず消えていることを知った。
「誰か、馬を勝手に出した人がいるんじゃないですか?」
ルナは疑い深く訊いた。
厩の管理人は首を振った。
「いえいえ、そもそもルナ・ペルッツさま名義の馬はここにはありませんよ」
やはり、管理人もあの悪意を含んだ笑いをしていた。
――信じられない。嘘を吐いてるんじゃないだろうか。
ルナは道行く人を見た。皆、自分を見て笑っているような気がした。
曇天は濁りをまし、心の中もすっかり重苦しくした。
超自然的な事件に巻き込まれることなんて生まれてから何千回とあったし、慣れているつもりだった。
でも、ここまでたくさんの人に悪意を向けられるのはどうしてだろう。
確かに、自分があまり好かれることはやってきていないという自覚はあった。
でも、旅先では歓迎してくれる人たちだっていたし、世の中自分を嫌う人ばかりじゃないと思っていた。
――それが、悪意ばかり。
心細くなって、ルナはあちらこちらぶらぶらした。
ルナは自分がいままで相当たくさんの無駄遣いをして暮らしてきたことを知った。
何かやりたいなあと頭の中に浮かぶたび、お金がどれだけ必要なのか計算してしまう。つい先日まで、そんなこと貧乏くさいと思っていたのに。
考えているうちにお腹がグーと鳴った。
結局、行きつけの店でいつものランチを頼んでしまっている自分に気付いた。
実に美味しかったものの、紙幣が二枚も飛んでいってしまった。
――どうしよう。
浪費している自分の馬鹿馬鹿しさにまた冷や汗が出る思いがした。
――ズデンカなら、何て言うだろう。
震える手でパイプを取り出して、煙草を詰め、火を付ける。
煙草入れをみると、ほとんどなくなっていることに気付いた。
ルナはニコチン中毒だ。煙草がなくなって買えないなんて地獄のような苦しみだろう。
――これからは切り詰めなくちゃ。誰かのの力を借りるしかないかも……。
頭で考えるのはたやすい。でも、実際行動に移すとなると億劫だった。
ルナは自分から頭を下げることが苦手だ。友だち付き合いだって悪かった。
エルキュールにも知り合いこそ多いが、頼れる相手となると思い浮かばない。
ふらふらと通りを歩くルナはやがて見知った姿を目に留めた。
メイド服姿、肌が浅黒く、背が高い――ズデンカだ。
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