第七話 美男薄情(7)

 震える両腕をファビエンヌは持ち上げていた。


 拳銃を握って。


「君は殺せるのかい」


 ルナは後ろから優しくその手を押さえた。


 やっと気付いたのか、ファビエンヌは振り返った。


「けっ、良いところだけ出しゃばりやがる」


 ズデンカは嘲った。 


「離してください」

「あんなやつ、殺しても何にもならねえぜ」


 ズデンカはさらに向こうを歩いているアルチュールの姿を捉えていた。


 アルチュールはファビエンヌに負けないほどふらふらした足どりだった。


 ときどき、悶え苦しむかのように頭を掻き毟っている。


「安穏とあの善き夜に身を任せてはいけない

 老いぼれは日の暮れにこそ 燃え 喚け

 怒れ 去りつつある光に 怒れ」


 はっきりと、魘されるような声でそう唱えるのが聞こえてきた。


「ルナ、気付いたか」

「うん。『鐘楼の悪魔』だ」


 灯りを向けると、アルチュールの肌に薄黒い斑点が染みだしていることが分かった。


 顔色は蒼白く、爛々と眼は光を放ち、整った顔は引き歪み、涎を垂らしている。


 その口元は黒くなった血で染まっていた。おそらく人を殺めたのだろう。


 背中は曲がり、手の指は長く尖り、その間には水掻きのような膜が張られていた。


 前傾姿勢になったまま進み、やがて床に腹ばいに寝そべった。


 そして、その身体は大きくなっていった。


 服を突き破って両脚が長く伸びた。

 なめらかな肌に全身が覆われ、口は大きく開かれた。

 眼はぎょろりと飛び出し、黄色い光を帯びた。


 カエルのようなかたちをした化け物が姿を現したのだ。


 逃げ惑う街の人々を、カエルは足で押さえつけて踏み潰した。


 挽肉ひきにくのように内臓をまき散らせて皆死んでいく。

 カエルは大きく勢いよく跳ね上がり、腹を膨らませては鳴き声をあげた。


「あははははは。ヤモリにカエル。モテるかモテないか。全く違う男に見えて心根は似たり寄ったり。実に愉快じゃないか。大した『悪魔』だろ?」


 ルナはカエルの姿を見上げて笑った。


「しけた幻想に報いあれ、だ」


 ズデンカはそこにいつにない底意地の悪さを感じた。


「なんで……」


 ファビエンヌは拳銃を下ろし、身震いしていた。


「やれやれ」


 ズデンカはカンテラを地面に置いた。

「こっちへ来るんだ」 


 ファビエンヌから優しく銃を奪うと、遠く離れた場所へと連れていく。


「さて、どうしようかな」


 迫ってくるカエルの化け物をルナは指差した。


「わたしじゃ戦えないしね」


 急いでズデンカが引き返してくる。


「何うかうかしてんだよ、逃げるぜ!」


 ルナの手を掴んでズデンカは走り出す。


「君が相手してくれよ」


 ルナは変わりなくヘラヘラしていた。


「できるか! 図体が違う」


 逃げる速度を上げながらズデンカは言った。


 一人だけなら倒せない相手ではないが、ルナが、ファビエンヌが、街の人々が周りにいる状況ではそうもいかないのだ。


 ファビエンヌから奪った拳銃を使うことも考えたが、ズデンカは躊躇した。

 銃は使わないことにしているからだ。


 幾つか建物を挟んで隠れながら曲がりくねる路地の裏を進んだ。


「げぇえ、げえええええええ!」

 と、うなる巨大なカエルは家の壁に穴を開けながら、中にいる人たちを押し潰して迫ってきた。


「くそっ! 思ったよりすばしこい」


 ズデンカは後ろを見ながら叫んだ。


 カエルは両脚を巧みに使って跳ね、間合いを詰めてくる。


「戦うしかねえか」


 ズデンカはルナの手を離し、カエルに向き直った。


「げえこおおおおおおおっ!」


 突撃してくるカエルを押し戻そうと走り出したその時だ。


 後ろから勢いよくカエルの腹が突き破られていた。


「やっ、こんばんはぁ」


 カエルの背に張り付くようにしてちょこんと載っていたのは大蟻食だった。

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