第六話 童貞(6)
「ペルッツさま!」
ズデンカは嫌な顔をしながらルナを近くへ引き寄せた。
「あの『綺譚集』の編者ペルッツさまですよね!」
「うん、いかにも。ちーん!」
ルナは胸を張ってポーズを取りながら、また鼻をかんだ。
さすがに鼻頭が赤くなってきている。
「ペルッツさま、お風邪ですか?」
「大したことないですよ。それより、
――また始まったぜ。
ズデンカは呆れた。ルナの行動原理は何を措いてもそれなのだ。
「お聞かせ出来るようなお話があればいいのですが、残念ながら! でも、ペルッツさまのご本はいつも肌身離さず持っていまして」
と鞄から本を取り出す女子学生。
「ふむふむ。サインして欲しいんですね」
本を受け取ってルナは言った。
「えっ! いいんですか!」
「お名前は?」
「イヴォナです」
「ほう、こちらのご出身じゃないですよね?」
ルナは見事な筆跡で、その本に名前を記して渡した。
「はい。ゴルダヴァの生まれです」
「あー、ならうちのメイドのズデンカもですよ! ちーん!」
ルナは顔を輝かせた。
「余計なこと言うなよ」
「そうなんですか! 私アイバル好きでなんでもつけて食べちゃうんです。ズデンカさまはどうですか?」
「ん? アイバル? パプリカを使った調味料だろ。かなり昔に食ったことあるぜ!」
話が弾むイヴォナとズデンカ。
「そういえば、ズデンカさまのお肌の色は私たちと違いますね。どうしてなんでしょうか。あ、差別的な意味で訊いたわけじゃないですよ! 不思議だなあって思って」
ズデンカの浅黒い肌を見てイヴォナは言った。
「まあ、これには色々理由があってだな……」
口ごもるズデンカ。
「大学に進むまで、いろいろあったんじゃないですか?」
ルナは訊いた。
「はい。私は元々移民なのでお金がなくて。親に勉強なんて受けないでいいから早く結婚しろって言われました。……国から奨学金を得られなきゃ、とてもここまで来れなかったです。私一人の力でじゃありませんよ」
「でも、勉強は出来るんでしょう? わたしの本を読むぐらいだ」
ズデンカは笑いを噛み殺しながらルナの裾を引いた。
「それほどでも! 試験は通りましたけど、ギリギリってところで! まだまだ精進が必要です!」
「大学を出たら、どうされるか決まっているんですか?」
「決まっていません! でも、せっかく色々学べるんだから、ペルッツさまのように各地に広がるお話を集めようかと!」
「それは光栄だ! わたしも助手が欲しいと思ってたんだ。大学を出たらぜひ連絡をくれ。すぐにでも来て!」
ルナは顔を輝かせた。
「はい! もっとお話したいのですが、時間なので失礼します!」
イヴォナは笑顔で頷き、少し足早に講義室の方へと歩みを進めた。
「皆こんなに勉強熱心なんだなあ。予もますます頑張らねばと思えてしまう」
他の生徒から話を聞き取っていたアデーレは感心していた。
イヴォナと別れた後もズデンカとルナは他の生徒たちと話をした。
中には働きながら通っている者もいた。
「周りから変な目で見られたりします」
「女が学ぶと言うだけで、どうしてあれこれ言われるんだろうね。ちーん!」
ルナは鼻を拭きながら言った。
「結婚しながら学ぼうとすると同期生の男性から色々言われますよ。奥様のお遊びだって。でも、ここで学びたいことが自分にはあるんです。お遊びなんかでここに来ているんじゃありません」
「自立しろ、と言われるのだろうな」
ズデンカは真顔で言った。
「確かに私は自立出来ていません。お金も出して貰っている身です。でも、それでも、いつかは何とか出来るかなって」
「いつかいつかじゃ、なんにもなんねえさ」
ズデンカは厳しかった。
「まあまあ、ズデンカは厳しいけど自立ってそう簡単にできるものじゃない。不労所得のあるわたしでも、いまだに出来てるか分からないほどで。ちーん!」
「お前は出来てねえよ」
ズデンカは苦々しく笑った。
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