第一話 蜘蛛(5)

 二人はオットーの家の扉の前に立った。


 事件以後、閉めきられていた樫の木の重く厚い扉を、貰った合い鍵を使ってズデンカが開ける。ルナの手はしっかりカンテラを提げていた。


「こんな扉、ぶっ壊してもいいんだが」

「賠償請求されるよ」

「別にかまわねえさ、払うのはお前だからな」

「さて、『彼女』を探すとしようか」


 相変わらずズデンカは無視してルナは家の中を見て回った。


 靴を作る工具が置かれている部屋と食卓のある居間は劃然と仕切られている。釘抜きやワニと呼ばれる捩れた魚のようなペンチが、綺麗に並べられていた。


「なるほど、自分の仕事の場所にはいっさい妻を立ち入れさせなかった訳だな」

「おい、探偵になってるぞ」


 ズデンカがルナの袖を突いた。


「いや、そうでもないよ」


 ルナは部屋の隅を指差した。きらりと細く光るものが――蜘蛛の巣がそこにはかかっていた。


「おう、これがリーザの妄想の原因かよ」

「妄想とは限らないよ。綺譚おはなしってそんなものだからね」

「答えになってねえー!」


 ズデンカはわめいた。


「やあ、初めまして」


 突如、一揖するルナをびっくりして見つめたズデンカだったが、やがて巣に背中が赤く、足が細長い蜘蛛がいることに気付いた。


「蜘蛛はまだそこにいたんだな」

「『彼女』は知っているよ。誰がマルタさんを殺したかね」

「雌なのか? 虫に答えられる訳ねえだろ」

「虫じゃないのだけどね。声を聞けるよ、リーザさんなら」


 ルナは部屋を見回した。


「おや」


 カンテラを近くのテーブルの上に置き、本棚へと歩いていく。


「リーザさんは字が読めたんだね。そういえば昆虫に興味があったって言ってたな」


 ルナは何冊か取り出してページをぺらぺらめくった。


「子供向けの絵本もあるぜ」


 ズデンカがルナの肩越しに首を突っ込んだ。


「リーザさんなりにマルタさんと触れあおうとしていたんだよ」

「殴るような親だぞ」

「問題はそこさ」

「なんだよ」

「わたしは探偵じゃないんでね」

「拗ねたのか」


 ズデンカは鼻で笑った。


「そんなんじゃないよ。あった」


 絵本の真ん中に畳んだ紙がおさまっていた。ルナはそれを素早く懐に隠した。


「なんだよそれは」

「後のお楽しみさ」


 ルナはウインクした。




 

 部屋の中には灯りが点されていてすっかり明るくなっていた。

 役人に拘束されたリーザと町長、野次馬たちにオットーが入ってきた。


 みな神妙な顔でルナを取り囲んでいる。

 ルナがこの家に集まるよう指図をしたのだった。


「どうやら謎解きを期待しているようですね。でも、わたしは探偵じゃありません。代わりにこちらの『彼女』に語ってもらうとしましょう」


 ルナの掌が差し出された。その上には標本瓶に閉じ込められた蜘蛛が動いていた。


「やっぱ根に持ってるな。言い出したのはお前だろうがよ」


 ズデンカは呟いた。


 瓶の蓋が外される。蜘蛛が這い出てきた。


「そんな蜘蛛、どこにだっているでしょう。何が目新しいんです?」


 町長が鼻を鳴らした。


「よくご覧になってください」


 ルナはライターでパイプに火を点した。途端にいつもとは違う量の煙がむくむくと部屋の中に満ち広がっていく。


「なんだこれは、周りが見えんぞ!」


 野次馬たちが口々に叫んだ。


「『幻解エントトイシュング』したな」


 ズデンカはぽつりと口にした。


「わたしには、ひとつ奇妙な力がありましてね」 


 煙に覆われる中で、ルナのモノクルだけが鋭く光っていた。


「人の見た幻想をあらわにすることができるのです」

「だからどうした!」


 野次馬たちは怒りを抑えきれなくなってきたようだった。


 煙は次第に晴れていく。 

 すっと、幾つもの光が部屋中に乱反射していった。それが張り巡らされた蜘蛛の糸だと分かるまで時間は掛からなかった。

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