第2話

 昼休み。


 教室に蔓延しているチョコの甘い香りに我慢できなくなった私は、急いでお弁当を食べ終えると冷たい廊下を一人で歩く。階段の踊り場に腰をおろすと、自販機で買ったおしるこで両手を温めた。ああ、やっぱり小豆は良い。安心する。私はほぅ、と息を吐いた。


 ……本当に。みんなチョコチョコってバカみたいだ。だけど少し……ほんの少しだけ羨ましい。この日をきっかけに、自分の気持ちを素直に言えることが。思い浮かんでしまった柔らかそうな薄茶色の髪を払拭するようにふるふると頭を振った。


 うちの父は和菓子職人という仕事に誇りを持っていて、和菓子への愛が半端ない。洋菓子を否定しているわけじゃないけれど、何よりも和菓子が一番だと思っている。それ故に洋菓子屋には負けたくないと常々言っていて、特に、近所ということから佐藤修の実家であるシェ・サトウをライバル視しているのだ。もちろん私も和菓子が大好きだ。だから洋菓子には負けたくない、佐藤修には負けたくないと思ってきたけれど……。


「見つけた」


 ぼんやりと考え込んでいると、ここにはいないはずの声が聞こえて驚いて顔を上げた。


「な、何しに来た商売敵!!」

「天津さんに聞いたらここかもって言ってたから探してたんだ」


 答えになっていない答えを言って、佐藤修は何故か私の隣に座った。教室でも隣だから慣れているはずなのに、いつもより距離が近いせいか居心地が悪い。


「へぇ、三日月さんって飲み物も徹底して〝和〟なんだね」


 私の手元を見ながら感心したように言った。


「……悪い?」

「いや? 和菓子が本当に好きなんだなって伝わるから。良いと思うよ」


 佐藤修はそう言うと、ポケットからラッピングされた小さな袋を取り出し、ガサゴソと音を立てながら中を開けた。シンプルな茶色の箱に入っていたのは三粒のチョコレート。赤く色付けられた薔薇の花の形をしたチョコ、正方形のボンボンショコラ、まるくて可愛いホワイトトリュフ。それをさぁ食べろとばかりに私の前に差し出した。意味がわからない。自分が貰ったチョコの自慢だろうか。冗談じゃない。


「はいこれ。三日月さんに渡そうと思って用意したんだ。うちの特製チョコ」


 一瞬止まった思考だが、すぐに復旧して動き出す。


「は、はあああ!? 何それ嫌味!? なんで敵から貰わなきゃなんないのよ!? いらないに決まってるでしょ!!」

「嫌味じゃないって。せっかくのバレンタインなんだから三日月さんも楽しもうよ。それともうちのお菓子食べるの禁止されてる?」

「禁止とかはされてないけど……」


 ライバル視してると言っても、何もそこまで厳しくされてない。父も飴とかクッキーとか普通に食べてるし。文句言いながらだけど。


「まぁほら。敵を知る良い機会だとでも思ってさ。とりあえず食べてみてよ」


 佐藤修はにこにこと笑いながら箱をずいっと差し出してくる。目の前には美味しそうなチョコレート。ごくり、と喉が鳴った。


 ……そうだ。これは敵情視察!! これを食べて和菓子屋うちに有利な情報を、相手の弱点を見つけるというスパイ活動! 私は正当な理由でチョコを食べるのだ。決して食欲に負けたわけではない。決して! 脳内でつらつらと言い訳を並べながら、私はゆっくりと一粒に手を伸ばした。そっと口に入れる。


「……どう?」


 やけに真剣な様子で佐藤修が聞いてきたが、私は無言でもぐもぐと口を動かす。眉間にはぐっとシワが寄った。


 チョコレートなんて……チョコレートなんて……チョコレートなんて!


「おっ、おいし〜〜!! めちゃくちゃおいしいんだけど何これ! 何この舌触り! なめらか! とろける! 甘さ最高! しかも見た目もすっごくかわいい!」


 ライバルが作ったお菓子だという事も忘れ、私は素直に褒めてしまった。だってこれ本当に美味しいんだもん。くっ、さすが魅惑のチョコレート!


「ほんとに? 嬉しいなぁ。作った甲斐があったよ」

「……へ?」

「これ、全部俺が作ったやつだから」

「はぁ!?」

「まぁ一応ケーキ屋の息子だし。バレンタインは気合い入れて作るよね。あ、お店には出してないよ。三日月さんに渡すためだけに作ったんだ」


 佐藤修の手作り……だと? 衝撃的な発言だった。


「食べてくれて良かったよ。三日月さん、俺のこと目の敵にしてるから」

「……当たり前じゃん。商売敵だもん」

「でもさ、俺はそんな風に思ったことないよ。三日月庵の和菓子好きだし」


 その発言に再び衝撃を受けた。


「え? う、うちのお菓子食べたことあるの?」

「あるよ。母親が三日月庵の常連だからね。俺もたまに店まで買いに行ってたんだけど、気付かなかった?」


 まさかライバルがうちの店に来ていたとは。まったく気付かなかった。


「三日月庵の和菓子はさ、優しい味がするよね。ひとつひとつ丁寧に作られてて、見た目も美しい。作り手の気持ちがよくわかる」


 いつもなら何か言い返していたかもしれないが、今はそんな気にはならなかった。だって、純粋に嬉しかったのだ。うちの和菓子を美味しいって言ってくれて。


「ケーキ屋なのに和菓子食べるの?」

「食べるよ。だって美味しいもん」

「……ふーん」


 私の顔は自然と綻んだ。


「……うちの店のお菓子、食べてくれてありがとう」


 素直に言うと、佐藤修はいつも以上の甘さを含んだ顔で笑った。


「うん。俺、和菓子の中で最中もなかが一番好きなんだ」


 一瞬、自分のことを言われたのかと思ってドキっとした。私は慌てて話題を変える。


「さ、佐藤修はなんでこれを私にくれたの?」


 確かに今日はバレンタインデー。悔しいけれど一般的にはチョコレートを渡す日だ。だけど、ライバルの私に渡す必要はないはず。しかもわざわざ手作りのものを。私の疑問に、佐藤修は相変わらず甘さマシマシの笑顔で言った。


「三日月さん知ってる? イタリアやフランスではね、バレンタインデーに赤い薔薇を渡して愛の告白をするんだって」

「え?」

「ほら、俺が三日月さんに渡したチョコみたいな赤い薔薇」


 佐藤修が指差したのは、赤くコーティングされた薔薇の花の形をしたチョコ。


「その薔薇、俺から三日月さんへのプレゼントだよ」


 彼が言った言葉を脳内処理すること、数十秒。


 完了した途端、私の顔は燃えるように熱くなった。え? え? え? 今の言葉ってもしかしてもしかしたらそういうこと? いやいや、まさか! だってここ日本だし!! 私たちライバル関係だし!! そんな相手を好きだなんて誰にも言っちゃいけないわけだし!!


 すべてを見透かすような微笑みを浮かべた佐藤修から逃れるように、私は手に持った薔薇のチョコレートを口に含む。


 溶け出した赤いそれは想像以上に甘くて、私は胸の高鳴りを止める事が出来なかった。




 了

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最中とシュークリーム 百川 凛 @momo16

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