第2章 第2部 第8話

 鼬鼠は、口元が少し寂しくなったのと、手持ち無沙汰になったこともあり、鼻歌を歌い始める。ハミング程度のものだったが、バラードの一節である。

 「その曲の、ギターの鳴きが格好いいですよね」

 「あ?知ってんのか?」

 「す……すみません!」

 灱炉環がコーヒーをもってやってきたが、不機嫌そうな鼬鼠の反応に少し驚いて姿勢を正すのだった。

 「ビビんな。きいてんだろ?」

 「あ……はい。父が好きで。円盤ありましたよ?オールドロック……の」

 「マジか!」

 「俺は、CDしかねぇわ……」

 鼬鼠はがっかりした様子である。現存する原盤を手に入れるのは、中々至難の業らしい。

 「こうして、長いチョーキングチョーキングで、雰囲気たっぷりで!!!」

 今まで大人しかった灱炉環は、足早にコーヒーを置くと、眉毛をハの字にしながら、その音に酔いしれるギタリストのような仕草で、チョーキングで持ち上がったギターのネックをイメージしながら、左手を幾度も駆使しながら、ポーズを決めてみる。

 「映像……あるのか?」

 鼬鼠の表情が六皇戦以来、いやそれ以上に真剣味をまして、灱炉環を見上げる。

 「父の……ですが」

 「チクショウ……」

 鼬鼠はこの時思うのだ。何故自分はその時代に生まれてこなかったのかと。

 「まぁリマスターの限定DVDです……けど」

 「それ……手に入らなかったんだよ」

 鼬鼠はソファの背もたれに大きく凭れて、残念がる。

 「てめぇ……」

 「はい!」

 「テメェのコーヒーももってこいや……」

 「あ!はい!」

 こうして妙な意気投合をする二人であった。

 

 場面は再び焔のコテージへと戻る。

 

 食前の鋭児の様子だが、誰が見ても、何か見てはならないものを見てしまったかのように青ざめていた。

 いや、アリスが影を自分のように使う事は知っていたし、試合でもその光景を目にはしている。だがそれが彼女の代わりに料理を熟すとなると、これはもうオカルト染みているとしか言いようがない。

 ただ、テーブルに料理を並べるアリスは、普段通りのアリスであり、彼女のそれには、まるで悪気はなく、彼女たり得る所以なのだろうと思うと、生活内にさらりと横着に活用するところは、なんともアリスらしいのだと思う。

 鋭児は気持ちを切り替えることにした。

 そして鋭児が食卓に着いたところで、話は美箏の事となる。

 少し冷たい言い回しだが、鋭児が煌壮に美箏の事を話す理由がなかったし、鋭児にとって美箏の事はプライベートなことである。

 別に煌壮を邪険にするつもりはなかったが、鋭児にとって煌壮は、まだその程度のものなのだ。勿論それを直接言うことは無かったが、言うまでも無いことだったのだ。

 大地が煌壮を「やんちゃ姫」と呼ぶように、確かに彼女にはそんなところがある。無神経に能動的なのだ。彼女が興味を持っているのは、美箏という存在ではなく、外へ出ると言うことだ。

 学園内にしろ、不知火家にしろ、居ながらにして、色々とあるもので、何かをするに当たり、一々外に出る必要などないのだ。

 学園の敷地にはショッピングモールも存在している。

 闘士を目指していた煌壮も猪突猛進気味にそれを目標にしていたため、学園そのものが外であり、そのもう一つ向こうの世界に、興味を持ったのは、当に学園に来たからこそでもある。


 「美箏」というキーワードは、あくまで鋭児達の中でのことであり、煌壮にはきっかけにすぎない。


 大地がそれを知っているのは、それなりに相談を受けていたからだ。理由の一つとしては、彼等の後継者問題も含まれている。

 言い換えれば美箏にはその可能性が大いにあるということだ。

 鋭児の身体能力が他者より高く、能力のことを知らないうちから喧嘩が強く、タフネスだったというのは、彼がその素養を持っていたということがあり、単純に彼が努力家だったという訳ではない。

 炎の能力者であるが故に、その結果が身体能力の向上として現れていたのだ。

 勿論鋭児自身が身体を鍛えていたという部分も大いにあるが、決してそれだけででは無かったということだ。

 

 アリスが美箏の事を危惧しているのは、彼女の心理的な面からである。

 闇の能力者は、その心理状態に影響される事が多い。美箏の心の箍を暗示により一つ外したために、美箏が不安定になったように見えるが、実はそうではない。

 今後美箏が社会に出るにいたり、彼女の中で鬱屈したストレスを上手くコントロール出来なくなれば、周囲に起こる被害は、それこそ超常現象的に起こる事となる可能性を持っているのだ。

 単純に言えば、知らぬ間に嫉妬で相手を呪い殺す可能性も含まれている。

 美箏には、自分に特別な力があることを、まず自覚して貰わなければならない。それも秋仁が掛けている暗示が、彼女のブレーキとして役に立たなくなってきていることを意味する。

 「俺は、美箏には普通に暮らして欲しい所なんだけど……な」

 鋭児は、自分に能力が顕現したことに対しては何の後悔もないのだが、能力者として学園に入るということを気にしているのだ。

 「まぁ俺はその美箏ちゃんを知っているわけではないが、アリス的にはどうなんだ?」

 「そうね……鋭児が拗ねていた頃から、ずっと鋭児を助けてくれた、甲斐甲斐しい女の子なのよ。それはもう鋭児の事が大好きで大好きで……」

 まるで今までその一部始終を見てきたかのように、流暢に語るアリスであった。これには鋭児も食事を喉に詰まらせてしまうのだが、これに対して焔も吹雪も全く反応を示さない。

 「女垂らし……」

 煌壮の軽蔑の隠った視線が鋭児を刺す。

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