第2章 第2部 第7話

 「じゃぁご飯にしましょうか。鋭児?」

 「はいはい。解りました」

 寝起きの鋭児に食事の準備を手伝えと、アリスは言っているのである。それでも鋭児は、吹雪の頬にキスをしてから、離れるという余裕を見せる。

 「ほら、大地ああいうのですよ。ああいうの」

 鋭児と吹雪の仲睦まじい様子を見ると、すかさず藤がそれを大地に注視するように仕向けるのである。

 「な……なにがだ」

 「来年は、動揺しないようにしないといけませんよ?」

 「ま……またその話か……」

 そして、この話も煌壮には解らない。

 

 「な、なぁ。焔姉。明後日って何の話だよ?」

 「ああ」

 そう言って、焔は吹雪に視線を向けるが、吹雪は首を横に振るのである。これは煌壮には教えないという意地悪では無い。

 「ああ、まぁ飯時だな」

 この時点で、鋭児が煌壮には、出かける事を言っていないことを焔も知る。確かに当然だろう。煌壮と美箏は全く接点の無いところだし、アリスのように世話になったわけでもない。

 完全に鋭児のプライベートな範疇である。

 ただ、能力者としての美箏に用事のあるアリスにとっては、完全にプライベートとは言い難い。

 「強いて言えば、鋭児に惚れてる女達の集まりってとこだ」

 この纏めに関心したのは、矢張り藤で、大地は蒸せてしまっている。美箏のことは知らないが、確かにそう言う括りになってしまうのは、確かである。

 そして、煌壮はそうではない。

 「ちぇ!解ったよ!つまんねぇな!」

 納得は出来ないが、納得せざるを得ない煌壮だった。

 

 アリスと準備をしている鋭児の元に一本の電話が入る。それは、ジーンズの後ろポケットにねじ込まれた彼のスマートフォンにだった。

 手が離せない。

 鋭児はアリスに視線を送ると、彼女はコクリと頷く。

 要するに、鋭児の手が無くとも問題無いといっているようなものだ。

 鋭児は、濡れた手の水分を軽くタオルで拭き取ると、その電話に出る。

 「おい!メール送ってんだぞ!出ろや!」

 通話早々、鼬鼠の怒鳴り声である。驚いた鋭児は、少し携帯電話を耳から離す。確かに目覚めて早々。メールのチェックくらいはすべきなのだが、焔との一時は、完全に熟睡していた。

 何となくハッキリと目覚めないまま行動をしていたため、鋭児が目を覚ましたと言えるのは、アリスの手伝いをしている最中だったのだ。

 「済みません。焔サンのリハビリで……寝てました……」

 「ああ!?ああ……」

 確かに鋭児にしか出来ない仕事だろうし、通常の治療行為以上に力を消費するのだろうという認識は鼬鼠にもあった。

 「姉貴から、例の集落について色々預かってる」

 なるほどと、鋭児は思った。あの仕事は自分と千霧で熟したものだったが、鼬鼠がそこに加わると、話は本格的になってくるのだろう。

 「預かってるって?」

 「書類だよ!今、お前の部屋にいる……」

 鼬鼠はそれを態々自分の部屋に持ってきていたらしい。記録としては残るが、電子データとして残るわけでは無いそれは、ある意味極秘中の極秘ともいえるが、調査の内容を含め、それほど大したものではなかったはずだ。

 それとも何か、もっと掘り下げるべき部分が出始めたのか。

 あるとすれば、黒羽との遭遇くらいのことだが――。

 

 今は焔の所にいる。戻らなくなければならなくなったと鋭児が思ったところだった。

 すると、アリスが鋭児の携帯電話をするりと奪うのである。

 肝心な調理は?というと、アリスの作った分身が調理をし始めている。アリスが二人並んでいるのだ。それはそれで怖い光景で、鋭児は言葉を失ってしまうのだが、それを横目にアリスは鼬鼠の電話に出る。

 「鼬鼠君?今鋭児は、私と大地、それから吹雪と焔との食事会の準備をしているの」

 「ち……魔女先輩かよ……。ああ解ったよ。で?」

 「そこに眼鏡を掛けた女の子がいるでしょ?コーヒーを入れるのがとっても上手な女の子が……」

 「はぁ!?ああ……」

 こういうときのアリスは、矢張りそこが見えない。一体何処まで何を見通しているのか?という、憶測が脳裏に激しく巡ってしまうのだ。

 「信用出来るのか?」

 「大丈夫よ。その子は……」

 「そうかよ……」

 そう言って、鼬鼠からの電話は切れてしまうのであった。

 

 一方、その鼬鼠のいる鋭児の部屋へと場面は移る。

 

 「ったく……」

 リビングで足を組み、空になったコーヒーカップを眺める。

 「もう一杯くれ……」

 「あ!はい!」

 そこには灱炉環がいた。

 灱炉環は煌壮の様子を見に来たのだが、すでに鋭児と出かけた後の事だったのだ。彼女は鋭児の部屋の出入りを許されており、こうして鼬鼠と時間を潰していたのだ。

 そして、酸味のあるコーヒーに、それに合う香ばしいバターの香りが漂う上品な甘さのクッキーが、茶菓子としてテーブルの上に置かれているのだ。

 サクリとした歯触りと同時に、口の中でホロホロと解けるように溶けるその食感と同時に、香りと遜色ない味わいが、口腔内に広がる。

 ただ、コーヒーは今灱炉環が準備をしている。

 鼬鼠は三時間程度、ずっとこの部屋で鋭児を待っていたのだ。

 苛立った口調とは裏腹に、彼は灱炉環の前では騒ぎ立てずにいた。何時呼び出されるか解らない蛇草からの連絡からすれば、鋭児を待つことなど、鼬鼠にとってはそれほど問題ではない。

 資料としては特に緊急性のあるものとは鼬鼠も思わなかった。だとすれば、蛇草から事前に何らかのアプローチがあるはずで、であるなら、彼女か千霧が直接飛んで来たとしても不思議ではない。

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