第2章 第1部 第8話

 鋭児達が箱根へ向かっている頃だった。

 焔の家には、大地達が招待されていた。アリスが食事に誘ったのだ。

 「そうか……黒野は仕事か……」

 彼が早々に仕事などというものに駆り出されたとなると、それは東雲家の期待であるとも取れる。そして鼬鼠もまた、昨年の春美逆の件で、駆り出されている。

 二人は、食事に誘われたからといって、特別なリップサービスをすることもない。

 アリスが淡々と女子力を見せつける中、焔含め、わりと黙々と食事をするということになるのだが……。

 「栄養バランスも大事だが、大地に必要なのは、活力になる食事だな……」

 藤はたえず、大地に足りない何かをサポートしようとしている。ただ、アリスの食事を頂きながら、そんなことを言われてしまうと、大地は思わずむせてしまうのである。

 「おっと、失敬」

 藤はいたって真面目だが、大地とアリスの関係は色々と知っている。

 それを理解している焔は、彼女らしい意地悪な笑みを浮かべながら、これを笑う。吹雪は特に反応を見せない。彼女はアリスの味付けを真剣に味わっているのだ。

 料理には自信がある方であるが、矢張り少し及ばないと思ってしまうのだ。

 「なんだか、味付け変わったか?」

 などと、大地も確りとアリスの料理の味を知っているようだ。

 「ええ、叔母様に少し手ほどきを……」

 「叔母?」

 「ああ、鋭児の叔母さんだよ」

 「なるほど……」

 鋭児の叔母の味だと知ると、煌壮の箸が止まる。

 「け……温々しやがって……」

 そう言って、箸を置こうとした瞬間、吹雪の視線が煌壮を捉える。

 すると、煌壮は一瞬、ビクリと肩をすくめ、再び黙々と食べ始める。

 

 煌壮が特に気に入らなかったのは、特に炎皇戦からずっとその名を聞かされ続けている事である。勿論彼女が鋭児に一泡吹かせるために、入学を決めたのも、その要因の一つなのだが、まさか食事にまで、それが拘わってくることが、何かと面白くなかったのだ。

 

 そして――――。

 「要は、彼女を送ってけってことだったんだろ?」

 食事に招かれた大地は、帰り際に少しの溜息と、諦めたような笑みでアリスを見るが、彼女は澄ました表情をしている。

 「紳士なんだから、レディの送迎は当然でしょ?」

 そして、さらりとそんな一言を言って、薬と笑うのである。

 「黒野に免許取らせろ」

 「そうするわ」

 そう言って、藤が運転、大地が助手席。煌壮と、興味本位で着いてくる焔と、そう言う組み合わせで、アリスと吹雪はそこで見送りとなる。

 

 「焔姉。雹堂さんて怖ぇよ。スゲェ睨むんだぜ」

 「そりゃテメェ、惚れた男の悪口言われて、気分のいいヨメはイネェだろう」

 焔は煌壮を知っているし、彼女が鋭児に苛立っている理由も知っている。そして、これだけ周囲に黒野鋭児をチヤホヤとする話ばかり出されては、確かに煌壮としては、面白く無い。

 ただ、同時にそれがアウェイというものだ。

 「ヨメって……焔さんは、どうすんだよ」

 ただ煌壮も、鋭児の事を語る焔が楽しそうにしているのは知っている。鋭児は嫌いだが、焔が不幸になってよいとは思ってはいない。

 彼女がそこまで惚れ込んでいるなら、そこは素直に称えたいと思っているのだ。

 「何言ってんだよ。『家』なんて、二号三号当たり前じゃねぇか」

 「そりゃ……まぁ」

 有能な能力者となれば、その子種は引く多またであるし、焔ほど優秀な人間が、母体となれば、それは良き仕事なのである。

 現代には似つかわしくない、古い風習が残っているのが、この世界なのである。

 「そこの、大地先輩なんて、毎日アリス先輩の手弁当だったんだぜ?」

 そう言われると、大地は途端に慌てふためいてしまう。

 「く!黒野お前、な!なんでそれをだなぁ!」

 「アリス先輩が、ウキウキしながら喋ってた」

 と、そこま焔が言うと、大地は沈黙してしまう。

 「お前……ちょっと。黙ってろ……」

 そう言って、今度は大地が不機嫌になってしまうが、それに動じる焔ではない。空々しく音のしない口笛を吹いて、反省の色はない。

 ただ、大地の不機嫌な意味合いは、吹雪のそれとは、全く異なっている。どうにも甘酸っぱく見えて仕方が無い。

 

 彼等は高等部の寮に到着する。

 「先輩ワリィけど、ちょっとだけ待っててくんね?ちょっと、前の自分の部屋寄りてぇからよ」

 「忘れ物でもあったのか?」

 「まぁそんなもんだ」

 「解った。早くしろよ」

 

 焔と煌壮は車を降りる。そして煌壮の手には、アリスお手製のお弁当が持たされていた。翌日の夕食にでもということなのだろう。

 焔は煌壮を連れて、寮に入って行く。

 つい一月半ほど前までは、自分の部屋だったところへ向かうだけだというのに、何とも懐かしさを感じる焔だった。

 それは、矢張りそこがもう自分の居場所ではないからだろう。

 焔を知っている人間ならば、彼女が通るのを見ると、ぺこりと頭一つも下げる。いや、二年三年となると、知らない人間など誰一人いない。

 それに、鋭児という存在があるのだから、部屋を明け渡した彼女が、寮に来るということそのものは、余り不自然に感じることも無い。

 それでも、焔は来客なのである。

 

 「自分の居場所がなくなるってのは、何となくこんな気持ちなのかも知れねぇな」

 焔は呟くのである。

 それは勿論、鋭児の家のことを含めてのことである。焔は家を無くした訳ではないが、それでもこの三年間の思い出というのは、特別なものがある。

 一光と過ごし鋭児と過ごした自分の部屋へと向かう。

 「一階の角部屋が鋭児の部屋でよ。まぁ俺たちの部屋だったところが、お前等の部屋になって、最上階が丸々炎皇の部屋って訳だ」

 「ふぅん」

 アリスの手弁当を持った煌壮が何となしの返事をする。

 その事そのものは、彼女も知っているが、焔の語り草が、何ともしんみりとしている。

 部屋に到着すると、焔は慣れた手つきで、スイッチを押し、室内に明かりを灯す。

 室内は、焔が使っていた頃と殆ど変わりない。

 それも当然と言えば当然で、自分達が鋭児を大学の方に引っ張っていったため、その部屋は殆ど使われることがない状態なのだ。

 ただ、衣類などの荷物は引き上げられており、若干ものが減った分殺風景さを感じてしまう焔だった。

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