第1章 第6部 第5話

 「どう?焔は?」

 吹雪は目の前にいる。そして主目的である鋭児の顔は目にした。目的の第一段階を達したところで、何時も見る顔が無いことを、アリスは指摘する。

 視線を合わせる相手は吹雪であり、鋭児でありと、双方に会話を配るのである。

 「焔は今、不知火家です」

 吹雪は、先ほど購入した紙パックのジュースにストローを刺し、一口潤すのであった。

 つられて鋭児も、付属のストローをビニルから取り出し、パックに突き刺し、同じように一口飲む。

 アリスは、鋭児が無造作に置いたストローの空き袋をつまみ、ついでに吹雪が手の中で弄んでいる袋を渡すように掌を差し出す。

 「あ、有り難う御座います」

 遠慮無くアリスに甘える吹雪であった。すると彼女の掌にのせられた二つのゴミは、その掌に生まれた黒い球体に吸い込まれてしまうのである。

 余りに便利なその技だが、原理はまるで不明である。だが、吹雪はあえてそれにツッコミを入れない。

 理由は一つ。彼女が魔女と呼ばれる存在だからだ。

 鋭児が知る闇術は、相手を拘束する技だったり、鼬鼠が晃平に受けた呪縛だったりと、その程度であるが、そう言う使い方もあるのかと思ったが、矢張り原理は理解出来ていない。

 「そう……あの子。喧嘩ばかりして、もう少し女の子らしくすればいいのに」

 本当にやんちゃな妹を思うかのように、クスクスと笑うアリスの表情は本当に穏やかで上品だ。ただ、それでも静かでクールなイメージが崩れないでいる。

 落ち着き払っている様子が、そう見せるのだろう。

 普段の吹雪も上品だが、その上品さは一つ大人びているのがアリスだ。

 「そこで、遠慮している子達もいらっしゃい!」

 ハッキリとしてよく通るのに、決して五月蝿さのないアリスの声と視線の先には、晃平と静音がいた。

 二人は午後の授業を済ませ、食堂で雑談をしようとしたとことある。

 存在がばれてしまった晃平は、気まずそうにヘラヘラと笑いながら、静音を連れて鋭児達の元へとやってきて、晃平は鋭児の横に座り、晃平の横に静音が座る。

 左から順番に、吹雪、鋭児、晃平、静音といった順番になり、アリスは彼等の正面に座る事になる。

 八人掛けの長テーブルに、まるで面談のような様相で、一人の先輩の前に並べられるといった状況にも見えなくもない。

 「そう、その子に決めたのね?」

 ほぼ初見に等しい主語のないアリスの言動は、晃平達を少しオロオロとさせたが、彼女の目配せが、晃平、静音、握られた二人の両手、そして最後に静音を見たことで、静音はすっかり照れてしまう。

 実はこの時、アリスは沢山の目配せをしているのだ。吹雪であったり鋭児であったり、そうして彼らの人間関係を注意深く探っているのである。

 しかもそれを感じさせない、微弱な不自然さでのことだ。決して挙動不審には見えない、レベルでの話で、恐らく吹雪くらいしかそれには気がついていないだろう。

 ただ、彼女が彼等に全く敵意を持っておらず、寧ろ優しさと気さくさで迎えていることが、アリスの挙動を不自然に見せない理由にあるのは、間違い無かった。

 「厚木晃平君ね。厚木家の……」

 「末っ子ですけどね」

 アリスは確かに初見であるが、それを言い当てられたことに対して、晃平は余り驚きはしない。噂程度だが魔女と称される彼女が、語らなくともそう言う情報を得ていることくらいは、造作の無いことなのだろうと割り切っているのだ。

 「雪村静音さんね」

 「あ……はい」

 静音は驚きながらもアリスに対して失礼の無いように心がけ返事をする。

 アリスは敢えて自己紹介を挟まなかった。理由は晃平がそこにいるからだ。そして事実静音は、遠巻きに鋭児を見つけた時に、晃平からそれを聞いているのだ。

 「そう……良い子ね。とても……」

 そういうと、吹雪と同じかそれ以上と思えなくもない、白い手を静音に伸ばし、彼女の頬にそっと触れる。ただいきなり触れたのではない。一度伸ばしてから、静音にそれを意識させ、ゆっくりと触れたのだ。

 静音も何をされるのか十分に把握した上で、アリスに触れられているため、身じろぐことは無かったが、子共をあやすようにして撫でるアリスの手に少々照れくさく思ってしまう。

 初対面にあるべき距離感をなくしている事を知っている静音だが、アリスの手は本当に静音を愛でており、それを許している自分がいた。

 「吹雪、後でこの子のメールと番号を頂戴。いいわよね?」

 魔女と呼ばれる彼女の頼みなど、抑も断れる訳がないのだが、敢えてそれでも吹雪に聞いたのには、理由がある。

 「ええ?どうしよっかなぁ~?」

 静音は自分の後輩で、弟子的な存在になりつつある。それは吹雪のちょっとした自尊心でもある。ただ、吹雪だからそう言えるのだ。

 「あ。宜しくお願いいたします」

 静音は吹雪に対して頭を下げる。それは、吹雪に対して仲介をお願いするという、静音の言葉である。

 「じゃぁ後で送って起きます」

 吹雪はニコリとして、アリスに応える。

 実はこの時、静音にも吹雪にも二つの選択肢があったのだ。

 まず静音がアリスに対してこの返事をしたときと、吹雪にした時であり、吹雪には「はい」か「いいえ」の二択である。

 そして、静音がアリスに返事をした場合にも、彼女は「吹雪にお願いしている」ということを言えるのである。

 決定権は吹雪にあるが、その意味は全く異なるのである。結果としては一番円満な回答を得たと言うことになる。

 静音が困り果てるようなら、吹雪は断るだけの話なのであるが、アリスが静音を認めたからこそ、それを吹雪に要求したのだ。そして静音も自分を気に掛けてもらえていると言うことを十分理解しているからこそ、返事は殆ど即答だった。

 「次は厚木君ね」

 アリスは、静音と同じように、晃平の頬に手を伸ばす。

 それに対して少々デレてしまう晃平に対して、静音はプッっと頬を膨らませて、分かりやすい焼き餅を焼くのだ。

 「貴方は、とても素晴らしい資質を持っているわ。そして、この後も貴方は大勢の仲間に恵まれるわ。自信を持ちなさいね。リーダーとして申し分ないけど……まぁ何かあったら相談にいらっしゃい。助けてあげるわ」

 「は……はい」

 本当に、アリスの手は愛でるように優しく深く頬を撫でるのだ。しなやかに流れ動く大人の色香を持つ彼女の手に、晃平はすっかりクラクラと目が回ってしまう。

 そして、静音のヤキモチが噴火してしまう前に、指先を遅らせるようにして、晃平の頬から手を離す。

 「次は鋭児……あなたね」

 明らかに、呼び方が変わった。割とハッキリとそう言ったのだ。自分と後輩の距離を正しく分けていたと思われるアリスのその一言は、鋭児にも十分理解できる、距離の接近である。

 意表を突かれた感もある。

 そして、彼女はまず右手を鋭児に伸ばし、静音と晃平にしたように、まず直前で手の動きをとめ、鋭児にその許可を求めるように、ゆっくりと近づけ、鋭児に触れたと同時に、彼に右頬に、左手を添え、すっと自分の方へと導くと同時に、彼女は席を立ち、唇を重ねると同時に、ねっとりと舌を絡ませる。

 唇が深く重ねられているため、その動き自体を見ることははないが、深くそれが繰り返されるが故に、その深度がハッキリとしてしまう。

 導かれた鋭児も、導いたアリスも、腰を宙に浮かせており、決して力尽くではないアリスの両手が鋭児を捕らえて、その洗礼から逃すことは無かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る