第1章 第5部 第5話

 そんな中、鋭児がキョロキョロとしながら、一人で三年のグランドへとやってくる。

 それは重吾がちょうど緋口の首を後ろか腕を回しているところだった。用は単純な護身術の練習でもある。しかし、そんな光景を見た鋭児も、ギャラリーと同じ反応を示してしまう。

 「へぇ。重吾さんが……」

 「げ!狂犬!」

 「おお、黒野」

 しかし、重吾は真面目なので、鋭児の反応を全く理解していないが、緋口の顔の赤らめ方を見れば、一目瞭然である。

 「焔サンしらないですか?」

 邪魔をしては悪いと、鋭児は端的にそれを聞くと、重吾の腕は若干緩むが、それを掴んでいる緋口は、彼氏に抱きしめられていその手を腕を掴んでいる女子にしか見えない。

 「私は無視かよ!ああ!?」

 「あ……いや。スンマセン……」

 自分の肋骨を砕いた時とは違い、鋭児は低姿勢に謝るのだった。

 「焔サンは、そういえば、具合を悪くした赤羽を連れて保健室にいったな」

 「赤羽……センパイすか?」

 鋭児は一応赤羽のことを覚えていた。そもそも赤羽本人を殴るつもりなどはなかったのだが、もし焔を苦しめるようなら、彼を殴り倒すことくらいは、考えて居た。

 ただ、その相手を焔が気遣うと言うことは、矢張り自分の信じている焔はそう言う人なのだと嬉しく思う。鋭児が若干にやけた意味を、重吾は理解したが、緋口は少し違った。

 「赤羽が倒れてそんなにうれしいのかよ?!」

 「いや、そういった意味じゃ……」

 確かに、鋭児は彼女のあばらを砕いているのだ。それくらい険悪になってしまっても、仕方が無い。

 「緋口。違う。黒野は赤羽と焔さんの距離が縮まって嬉しくおもったんだろ?」

 縮まったかどうかは、鋭児には解らないが、少なくとも赤羽には借りが出来、焔に頭が上がらなくなったのは確かでる。

 「まぁ、そんなところです」

 重吾に対しては、絶えず丁寧な言葉遣いをする鋭児だった。

 こんな危ない輩からすら尊敬される重吾は矢張り大した男で、懐の深い対した男なのだと、喧嘩を仕掛けそうだった自分をギュッと捕まえる重吾の両腕を掴みながら、更に感心してしまうのだ。

 「あ……あと、そんなに両手自由に使えるなら、腕取らずに、掌刻入れた打撃を顔面にぶち込んでやればいいんじゃないですか?」

 全く余計なアドバイスだった。

 「うるせぇな!コレは気力が尽きてからどうするか?って想定なんだよ!」

 「ああ……」

 それ以上は余計な事を言わないでおこうと思った鋭児だったが、一寸したことを思い出した。

 「そういえば、さっき囲炉裏ちゃんが、重吾センパイの歌とか歌ってましたよ?腕だの指だの……、すごい機嫌良さそうに」

 変に察しの良い鋭児だった。恐らく緋口がやたらと重吾にベタベタしている原因を理解してしまったのだ。

 コレは単に重吾も隅に置けないなという、鋭児のからかいで有り、別に緋口を怒らせるなど、そんなことはみじんにも思っていなかったし、現に緋口も怒りはしなかったが、黒野鋭児にそれを察せられてしまったことで、更に顔から火を噴いたのだ。

 「じゃ……今日は俺もしまいですかね。三学期頭までに、F1筆頭になれって焔サンに言われてて、結構暴れ回ったすけど……なんか逃げられちゃって」

 鋭児は参った様子だった。

 確かに焔とのあの戦いを見せられてしまっては、誰もが引いてしまうだろう。

 焔にあれほど痛めつけられて、まだ立ち上がるほどのタフな男など、早々いるものでは無いし、更に焔と打ち合うのだ。

 狂犬の名には、更に磨きが掛かってしまったのだろう。

 それにF4とF3クラスの人間に対して、鋭児は勝負を挑めなく鳴ってしまった。

 学年末で、順位戦を制してしまえば、鋭児はF1確定だし、一年で二度も決勝戦を決めてしまえば、鋭児の筆頭は間違い無く確実だ。

 晃平が、そのあたりに対して、何かしら鋭児を押し上げる手を打ってくる事は見えていたし、彼は恐らく筆頭になる気は、ないだろう。また鋭児はそうなろうとした晃平にも勝たなければならない。

 「日向は。明日出かけるぞ」

 重吾の腕の中から緋口が、そんなことを言い出す。

 「仕事……ってやつですか?」

 「まあな。不知火家に呼ばれて、後赤羽のヤツもな。アイツ等将来不知火家に入るから、特別演習だかなんだか……そんなこといってたな。吾壁に伝えといてくれって」

 「そうだったのか」

 言いそびれただとか、そう言うことではなかった。

 ただ、緋口にもこの後の鋭児の行動は見えたし、恐らく彼等の関係ならば、すぐに連絡は行き届くだろうし、余計なお世話だったのかもしれないが、赤羽の様態で二人が出かけるという詮索だけは、避けたかったのだ。

 「赤羽は、大丈夫だったのか?」

 「なんか……腹壊したとか、なんかで……。ストレスたまってたんじゃねぇの?アイツの家名家だからさ……」

 これは焔が吹聴しようとした嘘に輪を掛けたものだった。重吾が信じれば、あとは、何となくそう言う事実になってゆくのだろうと思った。

 「そうか……まぁ良かった」

 重吾は洞察力のある方だが、流石に暫く距離を置いていた緋口の嘘を見抜けるほどには、至らなかった。

 「あぁあ、なんかシラケた。アタシの負けでいいや。ほら決めなよ」

 「なんか……スマン……」

 重吾はそう言って、最後に軽く、緋口の首を捻って、落とすまねごとをする。それでも十分加減をして優しさのある重吾の腕は心地よかった。

 人に譲らせるというのも、重吾の魅力なのかもしれないと、鋭児はもう一度ニヤけるのだった。

 

 鋭児と重吾の二人だけとなる。

 「なんか珍しいっすよね。焔サンが何も言わないとか……」

 「ん?ああ。急に決まったんだろう。俺たちもそろそろ、そういうのに対して、色々出だすからな。特に、不知火家に気に入られている焔サンなら」

 「そう言うもんなんですか」

 「俺も、ちょくちょく居なくなる。今のうちにこっちで出来ることは、ちゃんとしておかないとな。じゃぁな」

 そう言って、重吾も引き上げてしまう。抑も鋭児も、焔が居ない時点で引き上げるつもりで居たのだ。だから重吾も鋭児と一戦とは、言わなかっただけのことだ。

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