第1章 第5部 第3話

 焔は、不知火老人と話を付け、二人を臨時研修という体で、翌日不知火家へと向かう事にする。赤羽は一日、この部屋で養生することとなる。

 

 焔と緋口は、保健室を出る。

 「オマエ、赤羽の部屋って出入りできんの?」

 「一応ね。何せ対焔作戦会議室だったから」

 何とも皮肉なことだと焔は思ったが、それでもこの件は、なるべく多くの人間には、知られない方が良い。

 ただ、このタイミングで臨時研修などと言われれば、あからさまに怪しいものだが、そこは焔である。

 「赤羽のヤツ情けねぇなぁ!腹痛だってよ!明日から研修だってのによ!」

 などと、わざとらしく吹聴して歩いて回るのであった。

 焔と緋口の妙な意識共有が出来上がったところで、焔はグランドに戻らず、自分の部屋に戻り、そのまま一度体操服姿のまま、俯せにベッドの上に倒れ込む。

 特に何か問題があったわけではない。

 「妙なことになっちまったな」

 そう思っていたが、緋口との距離は、間違い無く鋭児の狂犬事件があってのことだ。

 赤羽が倒れた件に関しては、恐らく焔の行動は大差なかった。しかし、こうして彼女の話が聞き入れられ安かったのは、間違い無くその事があってのことだ。

 焔は少々に焼けた自分の気持ちを抑えることが出来ず、それを気恥ずかしく思ったのだ。そして、一人でその気持ちを大事にしていたい気分だった。

 

 一方緋口は、赤羽の制服やら、替えの着替えやらを適当に、外出用のバッグに詰め込み、保健室へと向かい、再びグランドへと戻る。

 「全く……なんで、私が男物のし……下着なんか」

 当然の結果といえば、そういうことになる。必須の作業だ。

 赤羽と焔は、早朝に出かける手はずとなっていたのだ。人目のある時間に出るという選択肢は無かった。

 緋口が若干、悶々としながらグランドに戻ったときだった。

 「重吾センパイ。こう……ですか?」

 

 そこにいたのは囲炉裏である。

 「あ、いやそこは、もっとこう言う感じで……」

 重吾はキレのある腰のひねりから、鋭い蹴りを繰り出し、囲炉裏の側頭部あたりに、振り上げる。そうはいっても、囲炉裏はさほど背が高いわけではない。

 重吾の蹴りは大凡ミドルハイといった位置である。

 しかし、ただの蹴りではない。

 地面にはしっかりと、六芒星が刻印されており、溶岩のように赤く光っている。

 それは、大地系と炎系のコンビネーションである。だとすると、繰り出される蹴りは、速度重視というよりも、破壊力重視のもので、重く強く早い蹴りだ。

 体の軽い女子でもダメージが出せるというわけだ。

 「こう……ですか?」

 囲炉裏は、刻印を入れながら、ゆっくりとした動作で、それでも腰を入れながら、重吾の頭部に届くように、ハイキックを決めてみせるが、かわいらしい女子の足が高く振り上げられ、目の前にチラチラと繰り出されるのだ。

 重吾としては、若干目のやり場に困ってしまう。

 それから、重吾の腕の中にするりと入り込み、重吾胸に背中を密着させながら、腰を落とした姿勢で、彼の顎に掌底を決める動作をしてみたりしている。

 リーチの内側に入り、視界から消えつつ、顎に技をヒットさせるといった具合だ。

 「コレ使えたら、一寸勝率上がりますよね?ね?」

 と完全に背中を重吾に密着させながら、囲炉裏は何度も重吾の顎に触れる。

 しゃがんで密着している分、重吾の胸には、華奢な女子の背中が、ピタリと張り付いているのだ。

 「う……うん。そうだな」

 完全に照れてしまっているが、それでも断れないのが重吾である。

 

 しかし、これを見た緋口は穏やかではない。勿論こういう重吾の不器用で優しいところが好きではあるのだが、完全に付けいられている。

 「お……おい!。オマエ、何してんだ!」

 「え?重吾センパイに指導して貰ってるんですよ?」

 「は……はぁ?」

 指導は間違い無い。重吾は完全に顔を赤らめながらも、密着した囲炉裏を離すすことが出来ないでいる。

 「ば……ばっか。バッキャローオマエ!吾壁は学年二位に上がるかどうか大事な立場なんだぞ!オマエ……クラス言えクラス!」

 「一年F4ですけど……」

 それでも囲炉裏は、重吾から離れようとしない。それどころか、すっぽりと重吾の胸の内に収まってしまっている。

 「吾壁!オマエもいつまで引っ付いてんだ!」

 「あ……ああ」

 重吾は、囲炉裏の細い肩を抱いて、すっと彼女を引き剥がすが、重吾の逞しく大きな手で肩を掴まれた瞬間、囲炉裏は余計に惚れ惚れしてしまう。

 狂犬黒野鋭児が敬服する器の大きな男の手である。

 そう、囲炉裏は、あの事件以来、すっかり重吾に夢中なのである。

 「俺が、学年二位になるには、緋口、お前に勝たないと、だなぁ」

 そう、乗り越えなければならない相手に、それを言われるのは何とも奇妙な気分になる重吾であった。

 「だったら。私と今すぐ!ほら!な!?」

 緋口が、カードをチラつかせる。

 「あ……ああ」

 確かに、緋口がその気になっているのだから、重吾としては絶好のチャンスである。それに焔のことで、ギクシャクとしていたここ暫くになく、近い距離感に、よりよい勝負が出来そうな雰囲気でもあった。

 「重吾センパイ?」

 囲炉裏は、すっと自分の額を重吾の前に突き出す。

 「そう……だったな」

 重吾はそう言うと、囲炉裏の額を軽く指先で小突くのだった。重吾の無骨で男らしい指先が、額に触れ、その体温を微かに伝え、また少し汗を掻いた囲炉裏の肌の感触を、重吾に伝える。

 その感触に囲炉裏は随分満足げでだった。

 「参りました!ご指導有り難う御座いました!」

 そう、あくまで勝負形式ではあったのだ。ただ、囲炉裏と重吾では、抑も勝負にすらならない。ただ、重吾には何もメリットはない。挑まれたから勝負を受けたと言うだけのことなのだが、本来時間の無駄と言うべきやり取りだ。

 囲炉裏は無邪気に手を振りながら、グランドを去って行くのだった。

 当然この光景をニヤニヤしながら見ていた連中もいるわけで、朴念仁で、焔の右腕と称されるあるはずの重吾が二つ年下の女子に四苦八苦しているのが、非常に面白く、また好感度の高い重吾の春が漸く訪れたことを、割と多くのものが見守っていたといった状況だったのだ。

 緋口はそれらの男子連中に、厳しい睨みを利かせる。

 学年三位の緋口を怒らせることは、虎の尾を踏むに等しい。

 彼等は、蜘蛛の子を散らすようにして、その場を去るのであった。

 「ほら!」

 妙に勝負をせっつく緋口に気圧されながら、重吾はカードを提示して、彼女との試合を始めるのだった。

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