第1章 第4部 第21話

 食事を終え、陽も落ち、周囲もすっかり暗くなり、海の青さも、闇も吸い込むほどに深く色づいた他時間帯となる。

 波打つ音だけが、静かな浜辺に響き渡り、少し湿り気のある潮風が、僅かにヒンヤリとし、砂地に腰掛ける二人の顔を撫でる。

 「お盆さ、俺んちに行くだろ?」

 「うん」

 それは、夏休みに入ってからの約束で有り、それそのものは、サプライズでも何でも無い。だから、吹雪の返事も単なる確認の意味だけに他ならなかった。

 「まぁ……それは、それでさ、少し先だけど、正月もさ、よかったらウチでどうかなって……」

 それは鋭児がそうしたいから、そうしたいと言ったまでのことなのであるが、妙に遠慮がちな鋭児のそれに、吹雪は、クスリと笑う。

 鋭児が何故そんな言い回しをしたのかというのは、吹雪にも理解出来ることであった。

 というのも、鋭児が自分の都合でそうしたいと言っただけのことで、そのために二人を振り回してはいないか?と、妙に気に掛けたのが、鋭児の少し硬くなった表情によく現れていたからだ。

 勿論それに対して、喜んでくれる事は、鋭児も解っている。

 ただ、解っているからといって、それに乗じてそれが当然だろうなどと、鋭児は思わなかったのだ。

 感情が高ぶり、思いに任せて、吹雪の温もりを一晩中感じる夜も、今や珍しいことでもない。

 状況としては、一周回って落ち着いたといった所だった。そうして改めて思うと、重ねたい時間と場所は他にいくらでもあるのだ。

 今日この日の二人の時間は、当に鋭児にそう思わせたものだった。

 「ふふ。お正月は、鋭児君の家で、お節を作ってそれを食べて、初詣に行って、伯母様の所に挨拶いって、それが終わったら、おこたでごろごろして」

 最後に何となくだらしない日常が付け加えられたが、吹雪がそう言う理由も、鋭児は理解している。吹雪にも焔にも、帰る場所がないのだ。だから、そうする空間ですら、彼女には夢なのだろう。

 「そうっすね……」

 鋭児は、その一言に、実感を込めた。

 彼の中では、何となく諦めのついていたことだった。そもそも両親を失った時から、ある意味全てが惰性だったような気がするのだ。

 何を学ぶにしても、ボンヤリしていた。流石に空手においては、意識を相手に集中していたが、相手を倒した時や、勝利を手にしたときですら、その実感を得ることは、殆ど無かったのだ。流石に無敗というわけでもないが、それでも同じ相手に対して二度負ける気はしなかった。

 鋭児の中では、何かを得た実感よりも、絶えず何かを失い続けた十六年間だと言って良い。

 いや、失う事しか実感出来なかったのかも知れない。

 生家もその一つで、正直失い慣れた気がしていたのだ。恐らく失ったところで、悲しみに暮れることもなかったのだろう。

 しかし、失わずに済んだと気づかされたとき、まるで何かの呪縛から解放されたかのように、涙が流れたのは、つい数ヶ月前の事だ。

 「吹雪さん……」

 鋭児は、吹雪に視線を合わせ、彼女の肩を抱いて、ゆっくりと引き寄せ、吹雪は慣れたように、為されるがままに、鋭児の胸の中に収まる。

 ギュッと抱きしめれば、しなやかに収まる吹雪の体は、本当に細く感じる。しかしそのしなやかさが、本当に愛おしい。

 吹雪は強ばること無く、鋭児の力に従うようにして、彼の腕の中に身を寄せる。

 「少し、風に当たりすぎたかも……」

 吹雪の温もりが、よりいっそう鋭児にそう感じさせた。そして、吹雪も浜風の冷ややかさの分だけ、鋭児の温もりを強く感じるのだった。



 

 鋭児と吹雪が互いの温もりを感じ合っている頃、焔は不知火家の別邸に居た。

 東雲家が自らの持つリゾート地で、一夏を過ごし始めていた頃、不知火家の先代当主である不知火焼もまた、自らの好む保養地にその身を置いていた。

 小洒落たカフェやモールを抱える東雲家と異なり、彼の避暑地は、山間地にある温泉宿だった。

 ただ、温泉宿と言っても、一般人が出入りするような場所ではなく、ここもまた彼等のプライベートな施設だった。

 建てられてからおよそ数百年と立って居るであろう木造の古風なその宿は、確かに不知火焼の好むところなのだろう。

 和の中にも、開国文化を思わせる洋風の絨毯が敷かれており、一枚の厚板を贅沢にあしらった、木製のテーブルが、その中央に置かれ、焼は黒い牛革のソファーに腰を掛けており、パイプなどを咥えて、のんびりと冷酒などを堪能していた。

 時刻も陽が落ちる頃にまで進んでおり、屋内の灯りは、微睡んだオレンジ色に灯された、ランタンに照らされていた。

 間接照明もあるが、そちらはランタンの補助として使われいるだけで、調光も焼の好みになっている。

 「っよ!」

 そこへ、焔は女中に案内されるのだ。

 

 「よぉ~焔ちゃん、暴れたらしいのぅ」

 「らしい……って、爺さんに直接電話したろうが……まぁ、一応詫びだけ入れによ」

 「詫びのう。まぁ焔ちゃんらしく、律儀というかなんというか……じゃの」

 焼はなにも言わないが、焔は向かいのソファに遠慮無く腰を掛け、少し長めだった移動に、少々疲れた様子で、ソファに背を預ける。

 そんな焔の格好は相変わらずの、体にフィットしたTシャツと、ブルージーンズのホットショートパンツである。恥ずかしげも無く張られた胸と大胆に開かれた両足は、本来非常に色っぽいものなのであるが、何せ焔であるため、余りに遠慮がなさ過ぎ、焼も少々面食らってしまう。

 「で?どうじゃった?」

 「え?どっちの話しだ?」

 「勿論、お前さんが蹴散らした相手の話じゃ、儂が今更東雲家の避暑地の話しを聞いてどうする?まぁ、蛇草ちゃんがデートしてくれるなら、それは仕方なく顔をだすしかないが……」

 「こりねぇな……まぁ確かに、蛇女は大人っつーかなんつーか……そうだよな……」

 蛇草は確かに大人の女だ。それは、認めざるを得ない。

 「ふむ」

 焔が、それを認めなければならないことがあったのだろうと、焼は思うところだが、そこは今の話題の中心ではない。

 「で?」

 「あ?ああ……」

 焔は気怠そうに、ソファーに凭れたまま、少し考えを纏めるのだった。

 「まぁ……経験次第っつー感じかな。良い素材って感じだったぜ」

 「そうかの。東雲家は、ちゃんと人材を集め採るようじゃの。お前さんが、黒野少年をちゃんと引っ張ってくればのう」

 そう言って、チラリと焔を見る。その一言は、何とも未練たらしいものがあり、焔をチクリと刺すのだった。

 「まぁそう言うなって……こっちには重吾が来るんだからよ」

 「吾壁君は、良い青年じゃの。義理堅いし、しっかりとしておる」

 それに関しては、焼も頷くばかりだった。重吾の力量も大したものだが、それよりも彼には人望というものを求めている。彼を中心に良いチームを作り上げられれば、不知火家の御庭番もまた、盤石名ものが出来上がるのだろうと思う。

 今は無き一光も確かに良い人材であったが、彼もまた焔と同じ闘士思考であり、そう言う意味では、余り実務的ではないのだ。

 「さてっと!」

 焔は、両膝に手を置いて、重たそうに腰を持ち上げるのだった。

 少々年寄り臭い立ち上がり方だが、深いソファーに何時までも腰を掛けていると、膝の方が疲れてしまいそうだった。

 「風呂入らせて貰うぜ」

 「混浴じゃが?」

 「イラネー!年寄りが一日に何回も風呂なんか入ってたら、逆上せちまうぜ!」

 「つれんのう……」

 焔の若くて瑞々しい素肌を拝む絶好の機会だと思ったのだが、老人の思惑通りには事が運ばなかったようだ。

 勿論入ろうと思えば入れる時間でもあるが、混浴と言っても間仕切りぐらいはある。どちらにしても、焔とて、誰にでも全裸を見せるほど単純には出来ていない。

 焔はまず、不知火家の別荘にある自分の部屋にまで足を運ぶことにする。なにより、着替えの浴衣がほしい。

 しかし、旅館のような不知火家別荘を歩いている途中のことである。

 「あら?」

 焔と正面から出くわした一人の女性が、思わぬもを見つけたかのような、僅かに驚いた声を出し、すこしだけ小首を傾げて焔を見る。

 そんな彼女の名は、黒夢アリス。学園の大学二年生だ。日本の市松人形のように黒く長く、美しい豊かな髪をしており、何となく吹雪とダブるような雰囲気だが、彼女は猫目がちで、大人びている。

 美しさに輪を掛けた大人びた表情と、病弱ではないかと思わせる白い肌が特徴的である。

 ホッソリとした彼女だが、吹雪ほど身長が高いわけでもなく、焔より低いわけでもない。

 口紅はディープパープルの色合いを好んでつけている。

 「アリス先輩じゃん?アンタ、陰陽家に出向かなくてもいいのかよ?」

 「だって、つまらないんですもの、あそこ……」

 陰陽家とは、四季四家の上に立つ二つの家であり、陽家と陰家があるのだが、この二家は表裏一体であり、常に催し事などを一対となって行っている。

 この二家の行う事柄は、厳かで無ければならず、常に政なのだ。つまり、焔達のようにバカンスで出かけるほど気軽な場所ではない。

 しかしながら、彼女達も学生であり、契約というものの、卒業までは自由である。

 なにより言うならば、自由な行動を取って良いほど、彼女には実力があるという事を意味する。抑も、六皇になり得る人材というのは、ある意味極めているに等しい者達で、それぞれの属性において、当に頂点なのである。

 気まますぎるのも問題だが、彼等彼女らは基本的に、特別扱いを許される者達なのだ。

 それと同時に、六家野中を行き来出来る人間が居ると言うことは、それだけ六家の中の敷居の低さを意味し、彼等の交流を意味している。

 「まぁ確かに……あっちは堅苦しそうだもんな」

 「卒業したらイヤでも縛られるんだから、学生の間くらいは自由にしたいわ。御爺様は気さくな方だし、私好きよ」

 「ただ、美人を侍らせたいだけなんじゃねぇのか?」

 焔は意地悪に腹を抱えて笑いを堪える。

 「ところで、アリス先輩のそれ……」

 浴衣姿の黒夢アリスが両手で抱えているのは、バスタオルの入った篭である。

 「温泉。今朝から二度目なの」

 「そっか、オレも準備してくるから!」

 焔は、そう言って小走りで自分の部屋に向かうのだった。

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