第1章 第4部 第3話

 暫くして、億で何やらのやり取りがあった後、玄関先に戻ってきた焔が妙に鼻息を荒くしている。

 「まぁ、あれだ。据え膳食わぬは、何とやらなんだぜ!」

 力強く重吾の肩を叩き、一言そう言うのだった。

 「焔さんが興奮してどうすんだよ……」

 鋭児も重吾もどうにもこうにもならないと思っていたが、もう少ししてから、吹雪が顔を出し、鋭児達にニコリと微笑むのだった。

 抑も囲炉裏とて、裸エプロンの状態で、重吾の部屋にやってきたわけではない。

 裸エプロンになったのは重吾の部屋の前での話である。いや、それでも可なり暴走した行為なのではあるが―――。

 ともあれ、囲炉裏も普段着に着替えて、一同重吾の部屋に詰める事になる。

 詰めるというのは、そもそも五人も入ってしまうと、部屋が手狭になってしまうからだ。

 重吾の部屋はこざっぱりとしているが、机の上には重厚な本がなにやら並んでおり、彼の勉学に対する姿勢が良く現れている。どれもあまり簡単な本ではなさそうで、間違い無く鋭児や焔が手に取ることはなさそうなものばかりだった。

 それ以外は、清潔で整理されており、特に目立って乱れたところはない。

 実に重吾らしいさっぱりとして、規則正しい部屋だ。

 それでいて、神経質さを感じないのは、矢張り彼らしい所なのだろう。模範的という言葉が、本当にぴったりとくる部屋なのだ。

 「でもまぁ、重吾も飯の一つや二つ作ってくれる女子がいても、不思議じゃないよな。抑もオメェガチガチすぎんだよ。硬派っつか律儀っつかよ……」

 焔は、矢張りゆっくりだが、彼の部屋を見回している。

 「ソレを言うなら、飯を作ってくれる、女子の一人や二人だろ……」

 相変わらず適当な焔の言い回しに、鋭児は突っ込まずにはいられない。朝からずっとこの調子である。それだけ焔が上機嫌なのだと言う証拠だ。

 何が上機嫌なのか?というと、それは勿論、鋭児とバカンスに出かけられることに他ならない。

 東雲家の誘いではあるが、焔や吹雪の行かないところに、鋭児は行かないし、焔か吹雪しか誘えないところにも、矢張り行かない。

 「重吾さんも俺も、焔さんに惚れてるってからってのはあるんだけどな」

 鋭児はあえて自分を交えて、焔に対するその部分の感情に優劣がない事を示す。

 「そうなんですか!?」

 これに対して、囲炉裏は少々ショックそうだが、やや単純に驚きに近い。

 鋭児があまりストレートに言うものだから、重吾は一瞬慌てるが、すぐに口を閉じて、デスクのイスに腰を掛ける。

 そう言われると、焔は小花の横を掻いて照れを示す。焔自身も重吾の気持ちは知っている。

 「俺は、お前に焔さんを託したんだ」

 重吾は、そこで線を引いた。ではなぜそうなのか?というと、それは、日向焔を真っ直ぐな道に戻したのは、自分ではなく陽向一光だからだ。

 結局焔に対して、手を差し伸べきれなかった自分は、惚れていたところで、今彼女に好意を傾けるのは、都合が良すぎると思ったし、何より実は、この話については、高校入学以前に決着の付いている話なのだ。

 それは、鋭児の知らない事実である。

 「じゃぁやっぱり、フリーですか?」

 「ま……まぁ」

 正直で誠実な重吾は、そう言う嘘はつけない性格だ。そして、囲炉裏に対して邪険に出来ない彼の優しさがある。

 そう言う嘘のない返事を聞いた囲炉裏は、ホッとして、安堵のため息をつく。

 「兎に角重吾先輩には、乱暴にされたんですから、責任取って貰わないと!ね!」

 「ご!誤解だ!雹堂!そもそも、あの一件の相談はお前から……というか、立案だろ!」

 「私、しーらない」

 「おい!」

 「ふふ。冗談。でも重吾君はもっと女の子にモテてもいいとおもう。好きな人に向かうだけじゃなくて、もう少し女の子とお付き合いもするべきだと思うな」

 「そうです!そうですよ!」

 後押しされた、囲炉裏は、可なりはしゃいでいる。

 重吾の実直さ、律儀さというのは、確かに大事なものなのだが、焔が重吾に対して、一つの答えを出している事実がある以上、それを待つことは、可なり残酷な時間なのだ。

 重吾もそれに対して、悶々としている訳ではない。

 彼は、本来の日向焔という人間そのものに惚れている訳で、そこには当然友情もある。

 

 そのとき、鋭児の携帯電話が鳴る。

 それは、蛇草からのものだった。

 もうすぐ千霧が、鋭児達を迎えに来るらしい。

 蛇草は、霞と共に、すでに保養地へと向かっているのだ。

 彼女は御庭番頭であると同時に、霞のボディーガードでもある。

 東雲家にいるときは、その任務は、非常に軽減されたものになるが、基本的に彼女の仕事はそういうものなのだ。

 そして、蛇草の代わりをする千霧もまた、普段客人の出迎えなどしない。ましてや、東雲家に席を置くことが決まった、鋭児の出迎えなど、本来は行うことも無い。

 それだけ、蛇草が、黒野鋭児という人物を重要視しているということなのだ。

 ただ、鋭児がそのことを理解するには、もう少し状況を理解する時間が必要だった。

 そして、その鋭児の無理解を責める者もまだいない。いずれ解る事柄だ。

 

 「じゃぁ、行ってきます」

 鋭児は重吾に一礼をすると、重吾も頷く。重吾から見ても、鋭児が自分を一目置いているのは、理解しており、殴り合いこそしたが、それは焔に対する想いのぶつかり合いであり、怒りや嫉妬に負かせたものではないのだ。

 そういう、二人の姿を見た囲炉裏は、思わず「へぇ」と、見入ってしまうのだった。

 

 鋭児達が去ると、まるで嵐が去ったかのように、静まり帰ってしまう。

 正しく言うと、嵐の原因の殆どは焔であり、鋭児が騒がし訳ではない。

 

 静かになったところで、改めて囲炉裏と二人きりになってしまったことに気がつく重吾だった。

 「さて、俺もそろそろ課題を……」

 「そうですね!課題持ってきます!」

 「え、あ、いや」

 重吾がマゴマゴしている間に、囲炉裏は、自らの課題を重吾の部屋に持ち込むべく、さっさと出て行ってしまった。

 重吾は断るタイミングを失ってしまう。

 そして、断るタイミングを失ってしまったからには、律儀に囲炉裏の帰りを、自らの課題を熟しながら待つ重吾だった。

 彼女が出て行ったからと行って、エスケープしたりしないのが、重吾の愚直なまでに、真っ直ぐな所なのである。

 こう言う彼は、誰からも信頼されているし、尊敬もされている。

 そして、Fクラス第三位になった彼には、益々その信用と信望が集まるのだったが、皆総じて不思議がるのは、それだけの実力がありながら、なぜいつまでも日向焔の付き人のような状況に甘んじているのか?というところである。

 

 やがて囲炉裏が帰ってくる。

 勿論裸エプロンなどではない。先ほど後にしたときと同じ、細めの赤と白のボーダー柄のタンクトップに、同じく赤のミニスカートといった出で立ちだ。

 どのみち重吾の目には毒過ぎる姿なのだが、彼女は当然のように重吾の部屋に上がり込み、自らの課題を重吾のベッドに広げて、寝転がって課題を始めるのだった。

 課題を初めて暫く、囲炉裏の両足が、機嫌良くパタパタと動いている。課題そのものも苦になっていないようだ。

 寧ろ重吾の方が集中しきれない。

 振り返れば、無防備な囲炉裏が無警戒に自分の課題を黙々とやっているのである。

 いや、寧ろ裸エプロンまで、披露したのだから、彼女としてはいつでもウェルカムなのである。

 

 「あ~、こここの前習ったばかりなのになぁ。勉強までダメだったら、また上の奴らに、『だからF4は!って』言われちゃうよ」

 集中し始めているのか、まるで自室のように、ブツブツと独り言を言い出す始末である。

 「ゴホン……、まぁ解らないところが有れば……聞いてくれ」

 そう、重吾は困っている人間は放っておけない。焔もそうなのだが、焔の場合、気分次第で見限ってしまうところがあるのだが、重吾はそうでない。

 最も、ベッドの上で機嫌良く勉強をしている可愛い女子が、困っているのだから、助けないわけにもいかない。

 重吾にそう言われた、囲炉裏は、途端に表情を賑やかにして、課題とノートを重吾の机に差し出すのである。

 「ここなんですけど!」

 と、机を占領している大きな重吾の体に乗っかかるようにして、囲炉裏は重吾の指導を心待ちにしている。

 その際なのだが、囲炉裏の華奢な体からは、想像出来ない大きさの弾力が重吾の腕に押しつけられる。

 勿論焔のように豊というわけではないが、本当に女子らしい柔らかみで、指導するはずの重吾は、赤面してしまい、すっかり困り果ててしまう。

 「そ、そんなにくっつかなくとも、十分解けるとはおもうが……」

 「だって、重吾先輩大きくて、覗き込むの大変なんだもん!」

 囲炉裏は、全く動揺することも恥ずかしがることも無く、益々重吾に張り付くのだった。

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