第1章 第2部 第28話

 「止めろ!千霧!」

 美逆も彼女を知っている。それは当然といってもよいことなのだが、彼女の強さは雲林院とは、比較にならない。

 この一瞬で、鼬鼠と鋭児を、あっという間に吹き飛ばしてしまった。

 「だから言ったではないですか。私の言うこともお聞きになってくださいと」

 「解った!解ったから!調印でもなんでもしてやる!だから、早く!」

 もう絶体絶命だ。我が命ではない。今目の前に倒れている、紅葉のために、唯必死になる美逆だった。

 「ご心配なく………………」

 彼女はそこまで言うと、次に鋭児達から視線をそらし、倉庫の入り口側に目をやるのだった。

 「蛇草はぐさ姉様、どうぞ」

 彼女がそう言うと、倉庫の扉が開かれ、その隙間から、日光が差し込み、暫く薄暗かった庫内が急に眩しく感じる。

 鋭児には何が何だか解らないが、鼬鼠も半分硬直したまま事態の把握に努めている状態で、状況を聞き出せそうに無い。

 「救護急げ!怪我人の確認急げ!」

 そう言って入ってきたのは、エメラルドグリーンの頭髪を持つ、非常に厳しいキャリアウーマンのような、黒いスーツを着込んだ女性である。

 身長はすらりと高く、スタイルのメリハリのある、可成りのイイ女である。

 「何……」

 鼬鼠は理解出来ていない。

 「翔……あんた、何座り込んでるの?」

 と、其れに関しては非常に惚けた物言いだった。

 「姉ちゃん……」

 「頭領とおいい!ったく、坊ちゃまを確保できたんだろうね?」

 「ああ?ああ……」

 そう言いながら、鼬鼠が上を眺めると、そこには紅葉を抱えた美逆の側に千霧がいた。

 「ほら、雲林院。あんた、こんな真似が通ると思ってたのかい?」

 「俺は新様に仕える身。その意に従うのが俺の役目だ」

 

 「東雲新しののめあらた……ね……」

 東雲新は、東雲家の第三位に位置する人物である。天野美逆は第二位に位置するが、抑も彼が東雲の名を名乗らず、天野美逆と名乗っているのは、彼の母方の名字だからである。

 彼は東雲を名乗らないのは、彼が嫌っているからと言うのもあるが、彼は抑も私生児なのだ。彼の立場は非常に微妙であるが、生まれその物は二番目に位置し、東雲の本家の血を引いている。よって、彼は東雲家第二位に祭り上げられているが、彼自身もその気が無い。

 ただ自らも能力者であり、その境遇は非常に複雑なのだ。理解出来ない者にとっては、やはり偉業の力であり、忌み嫌われ、特に闇の力を有する美逆は、周囲から敬遠されがちなのである。そんな男が、東雲家第二位の地位を持つ男なのだ。

 「蛇草姉様、美逆様のお連れの方の処置は完了致しました、致命傷では無いにしろ、出血量が多く、安静が必要かと」

 「解った。どうせ纏めて、別邸に連れて行くつもりだったし。美逆坊ちゃまの保護も含めてね」

 それから蛇草は、鋭児の方を見やる。特に力のこもった様子では無いが、蛇草の眉尻は非常に凜々しく、鼬鼠と同じくらい長い、この姉弟は、目つきが悪く人相が良いとは言えないが、確かに蛇草は、度量のありそうな雰囲気をしている。

 そんな蛇草がゆっくりと鋭児に近づく。

 彼女が何者なのか、大まかに理解している鋭児は、特に彼女を警戒する必要がたかったため、そのまま、立ち尽くしているだけだた。

 しかし、近づいた蛇草は、軽い当て身を数発入れる。鋭児は反射的にだが、手で受けてしまう。

 「驚いた。無警戒な状態から、よくそれだけ反応出来るわね。まぁ、気を使っていないところが、まだまだシロウト臭いけど……」

 それから、頷きながら鋭児を観察する蛇草だったが……。

 「翔!あんた、この坊やに無茶させて、自分が楽したんじゃないでしょうね!」

 「はぁ!?訳ねぇだろ。パンピーが見境なく襲ってきたときの露払いにさせようとおもって、引っ張ってきたんだよ!」

 「ウソお言い。ボロボロじゃない」

 「こんな短期間に、そこまで凡骨に出来る程、雲林院さんて、強いのかね」

 「ああ、これは学校の試合で……」

 鼬鼠が好きなわけでは無いが、だからといって彼に在らぬ疑いが掛かるというのは、また別の話だと思った鋭児は、身振り手振り其れを否定する。

 「ああ……」

 蛇草はまた数度頷いて、鋭児を上から下へと幾度か見渡す。

 「そう。坊やもご苦労だったわね」

 そう言って、蛇草が鋭児の頭に手を伸ばした瞬間、鋭児は酷く硬直した表情を見せ、蛇草の手を払い退ける。特に右側からでは無かった。右利きである彼女が右手で鋭児の頭を撫でようとする仕草は、ごく普通のものだったし、普段左側から物陰が近づいても、其れほど気にすることはない鋭児だった。だが、どうやら戦闘で神経が高ぶっていたようで、つい反応してしまったのだ。

 酷く怯えた表情の鋭児が、普通でないことくらいは蛇草にも解る。

 少々キョトンとした表情をするが、蛇草の手を払いのけるなど、無礼千万だと思ったのは千霧だった。すぐに鋭児に近寄り、風の力で彼を強くはじき飛ばす。

 「お止め!何をやっているの、全く!」

 「蛇草姉様の手を払いのけるなど無礼千万です!」

 我慢のならない千霧はそのまま言葉にしてしまうのだった。

 「いてて……」

 鋭児には、正直何が起こったのか、今一理解出来ていない様子だったが、千霧が相当な実力者であるのは、間違い無い。

 状況を把握しようとした鋭児が、ゆっくり起き上がろうとした瞬間、蛇草が鋭児の前にしゃがみ込む。

 黒のスーツにグリーンのチューブトップを着込んでいる蛇草の胸元が、丁度鋭児の目の前にくるといった構図になる。

 「しー、良い子だから、ちょっと見せて」

 蛇草は、それでも警戒している鋭児の、右の髪をゆっくりと持ち上げる。彼女なりに最善の注意を払っているのが解る。

 蛇草が自分に危害を加える気が無い事は理解していつつも、鋭児は震えている。それは千霧にはじき飛ばされたことに対して、体中の神経が過敏になっているからだった。

 それでも、意識で逃げることを制止している。

 「酷い怪我……」

 少し蛇草のトーンが変わる。鼬鼠にはこの時、蛇草の中で、胸の音がキュンと鳴ったのが解り、諦めきった溜息が出る。

 「また、始まった……この青田刈りが」

 「お黙り!!」

 蛇草が一度鼬鼠の方を振り向いて、厳しい声で、その図星を牽制すると、鼬鼠は軽く肩を竦めて其れに驚く。どうやら、このやり取りは可成り頻繁に行われているようで、鼬鼠は過去に何度か、蛇草に酷い目に遭わされているらしい。

 「怖いのね。こんな怪我抱えて、よく頑張ったわね」

 蛇草は、そっと自分の胸元に鋭児を頭を抱え込む。非常に大人の香りがする。恐らく香水なのだろうが、彼女の体温が其れを程よく、周囲に発散しているらしく、全く嫌味で無く、仄かに甘く清々しい。ただ香水の種類が、鋭児に理解出来るはずも無い。

 柔らかい胸元で、そうされると落ち着く。吹雪の時もそうだが、こういう風に優しく包まれてしまうと、身体が弛緩してしまうのだ。

 其れは明らかに、極度に緊張した身体が、その警戒を解いたための反動である。

 そんな鋭児は、蛇草からすると震える子犬に見えたに違いない……と想像するのは、鼬鼠と千霧の両名である。非常に直すべき悪い癖だと思っている事も、加筆すべきだろう。

 

 「千霧、ヘリを手配して。至急怪我人を別邸に運ぶわよ」

 「解りました」

 千霧は基本的に、蛇草に対して、非常に従順である。彼女の命令ならば命を賭すことも厭わない。千霧はすぐに、電話をかけ、その手配をするのだった。

 「そうそう。千霧が現れて、敵視したことは、合格ね」

 「っけ、雲林院さんが敵に回ってんだぜ、正直次に誰が寝返っても、おかしかねぇよ」

 「そうね……、良い判断だわ」

 そう言いつつも、鋭児を胸の中に抱き込んだまま、彼の頭を撫でている。

 「ふふ、寝てるわ。相当緊張してたのかしらね…………にしても……」

 蛇草は鋭児の敗れた服の内側から見える、鳳凰の紋様を確かめる。まだまだ浅い紋様であるが、これほどハッキリした紋様を持つと言うことは、可成りの才を秘めているのだと認識する。

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