第1章 第2部 第26話
その時鋭児の電話が鳴る。
このタイミングでなのか?だが、鋭児はそれを取ることにした。理由は彼の携帯に掛かる殆どの用件は、急を要するものや重要なものだからだ。
友人の無駄な会話のために掛けられることなど、ほぼない。それに彼の携帯番号を知っている人数は数えるほどしかいない。
今この時点で彼の携帯電話に掛けてくるとなると、ほぼ焔か吹雪の二択しかなかった。
「鋭児君♪」
とご機嫌な吹雪の声が聞こえる。
「ああ……吹雪さん」
「こっちのお掃除は終わったから、頑張ってね♪」
と、それだけの会話だけを済ませると、吹雪の方から電話を切ってしまった。
「なんか、吹雪さんが、心配ないってさ」
其れを聞いた鼬鼠は、首を横に振る。良すぎるタイミングだと思ったのだ。しかしながら、吹雪や焔なら、流れを心得ているため、そのあたりのケアには、抜かりがないのだ。。
「帰ったんじゃなかったのかよ……」
コレには鋭児も思わず微笑んでしまいたくなる粋な計らいである。
「つーわけだ!美逆、テメェの足かせはなくなったぜ!」
「……ふふ……くはははは!」
一瞬惚けたような表情をした美逆だったが、本当に愉快そうに笑うのだった。いい加減なナンパ男とは思えないほど、心地よい笑い声だ。
「んだよそれ。お前性格丸くなったのか?」
「っるせぇよ。俺の仕事じゃねぇ。それよか、第二位を、放棄するのか、しねぇのか!って話だ!」
「解った解った。此奴等路頭に迷わせるわけにゃ行かねぇしな。ホテルの借金も本家に返さなきゃならねぇし」
そういう事情が美逆にはあるようだ。勿論ホテルが誰のためにあるのか?というのは、今美逆が頭を撫でている、紅葉達の事に他ならない。
その時、雲林院が手を上げてパチン!と指を鳴らすと、倉庫の扉が閉められ、鋭児達は閉じ込められてしまうのだった。
「帰す訳にはいかないんだよ、翔さん。本家が学生のアンタを指名した理由ってのは、こっちも大方理解してるつもりでね。アンタには最悪のケースを演じて貰う事になったよ」
雲林院は、素早く美逆と紅葉に指先を向ける。其れは明らかに、彼等に対する攻撃だった。指先から放たれた鎌鼬が、二人を襲う。
完全に不意を突かれた一撃だった。
不意を突かれたのは、何も鼬鼠や鋭児だけではなく、美逆と紅葉もまたそうだった。
それは、決して躱せないほどの動作ではなかったのだが、鼬鼠と雲林院が対峙すると決め込んでいた気の緩みを突かれた出来事だったのだ。
どちらを狙っているのか?など、美逆にも紅葉にも解るはずがなかった。
ただ、一つだけ言えることは、炎の能力を持つ紅葉の方が、美逆より、一瞬反応が早いことだ。炎の能力者は、動作の立ち上がりが非常に早く、俊敏性に富んでいる。
だから、どちらがどちらを助けようと決めたかなど関係無く、紅葉の方が素早く動作に移せただけのことなのだ。
よって庇ったのは紅葉だ。勿論美逆も庇おうとしたのだが、結論に至るまでの過程は前述した通りである。そして切り裂かれたのも紅葉だ。スーツの胸元が切り裂かれ、血がにじみ出す。決して派手に、血しぶきを飛ばすことはなかったし、直ちに絶命に至るわけではなかったが、間違い無く戦闘不能になるダメージである。
「あ……」
紅葉は、すぐに自分が切り裂かれたことに気がつく。其れと同時に美逆がどうなったのか気にかけると、自分を抱き留める美逆が其処に居る。
ヘラヘラとナンパをしている時の美逆とは、本当に真逆に思えるほど、眉間に皺を寄せ、悲痛な表情をして、自分を見つめている。
「紅葉!!」
「良かった。怪我……ない?」
「バカヤロウ!だから、追いかけるなっつったろう!」
「ハハ。ドジ踏んだ」
悲痛な美逆とは違い、紅葉は虚ろになりながらも、美逆に怪我が無いことに安心した表情をする。
「ち……」
鼬鼠は、苛立った舌打ちをする。
「ほら、翔さん。早くしないと、彼女失血死してしまいますよ?」
雲林院は涼しい笑みを浮かべる。決して冷徹な表情では無い。それ自体は温和に思える表情だが、場にそぐわないそれは、無表情以上に無表情に思えた。
鋭児はゆっくりと腰を上げる。雲林院を殴り飛ばしたくなったのだ。そうしなければ気が済まない。
恐らく、美逆も相手がどういう手合いなのかを理解しているからこそ、茶番を演じようとしたに違いない。
「黒野、コイツは身内の恥だ。手出すと、テメェもぶっ殺す」
どちらかというと、鼬鼠も正統派では無いだろうと言いたかった鋭児だが、彼には彼なりの自負という者があるらしい。そして、確かに彼の身内の問題である。
そんな鼬鼠が、静かに腰を落とし、両手の指先を非常に柔らかく保ち、雲林院に向けて構える。
すると、雲林院も構えを取るが、彼の指先は、真っ直ぐ揃っており、その指先は非常に鋭利な刃物を想像させた。いや、想像どころか、現に紅葉を切り裂いている。其れが彼の得意技なのだろう。
だとすると、両者ともに同じ属性だということも踏まえ、その指先が技の決め手となるに違いないと鋭児は踏む。
雲林院が一度鼬鼠に向かい手刀を振るうが、彼は其れをフワリと流れるように躱す。それを見た雲林院はニヤリと笑う。そして、その視線の先に鋭児を捉えるのだったが、鋭児は素早くこれを躱す。
「ほう?」
そう、鼬鼠を目隠しにして、鋭児の方にも一撃加えるつもりだったのだ。
鼬鼠もこの隙を逃さない。素早く静かに間合いを縮めると、先ほど柔らかく構えた拳で、雲林院を捉えようとする。しかし、雲林院もまるで柳のように、フワリとこれを躱し、鼬鼠との間合いを開ける。
それでも鼬鼠の指先は何かを握りしめている。
雲林院が左肩を押さえる。
「危ない危ない。肉を持って行かれるところだ」
そう言って、押さえていた左肩の手を退けると、彼の上着が引き裂かれ、白いワイシャツが姿を現していた。
そう、鼬鼠の指に捕まれていたのは、彼の上着だったのだ。
鼬鼠は、何も言わず、再び構え直す。そこには、普段の面倒くさそうな鼬鼠はいない。非常に真剣な目をして、雲林院だけを睨みつけている。
「もういい!解った。調印でもなんでもしてやるから、紅葉を助けてくれ!」
「ウルセェ喚くな!この鼬鼠様が、こんな三下すぐに片付けてやる!」
美逆が第二位放棄の調印に対してすぐに頷かなかったのは。彼等の生活を守るためだ。しかし、いまその一つが揺らごうとしている。
それでは、なんのために駆け引きを講じていた意味がなくなる。
鼬鼠の目的は、第二位である美逆の身体の安全と、その地位の確保である。紅葉の事はどうでも良かったが、それでも自分の仕事に傷がつくのは、癪に障った。
時間をかけてゆっくりと仕留める術もあるが、結局それでは紅葉が死んでしまい、一つ雲林院に軍配が上がる。部外者を引き込んだ上に、死なせてしまったと言うことは、鼬鼠にとって大きなマイナスである。
捨て駒でもよいと考えて居た紅葉に対して、はっきりと考えが変わったのは、相手がこの雲林院だからだ。
彼でなければ、鼬鼠はそれほどには、思わなかったのかも知れない。
「めんどくせぇ……」
其れは本人が思う以上に、その言い草が表面のことだと鋭児は思うのだった。鼬鼠の焦り具合から、何となくそういうのが見て取れる。
鼬鼠も雲林院も風を主体とした能力者だが、手数は圧倒的に鼬鼠の方が多い、雲林院も攻撃を仕掛けているが、鼬鼠に致命傷となるような怪我は無く、風の能力を使った派手な浮遊なども見られない。
雲林院が巧妙なのは、美逆や紅葉を即死させるような攻撃をしなかったことだ。態とタイムリミットを儲け、心理的優位に立とうとしている。
彼の目的は、鼬鼠を倒すことでは無く、美逆の東雲家第二位放棄である。
だから鼬鼠は自ずと攻め手にならざるを得ないのだ。慎重になれば、それだけ時間が過ぎてしまう。それでも鋭児に手出しをさせないのは、彼なりのプライドという所だ。
攻撃に集中しすぎた鼬鼠の防御は自ずと薄いものになる。そうなるように、雲林院は鼬鼠の攻撃をのらりくらりと躱し続けているのだ。
掠り傷程度だが、それでも、鼬鼠の方が傷つきつつある。逆に雲林院は、衣服こそ破れているが、鼬鼠の攻撃の直撃を受けている訳ではない。
「おい!倒すなら、早くしてくれよ!」
そして、美逆は紅葉が心配で仕方が無いようで、其れが余計に鼬鼠を苛立たせる。
「っち!ボンボンが……」
今まで自由気ままに振る舞っておきながら、降りかかる火の粉を払う術を知らない美逆に、鼬鼠は苛立った。
美逆も能力者ではあるが、鼬鼠は修学しており、雲林院はプロである。その間に割って入るほどの腕はない。それに気が動転してしまっており、動けずにいる。
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