第1章 第2部 第13話

 そして、この一件こそが、今回の事件の発端だったのだ。

 

 鋭児と吹雪は、一歩も二歩も遅れて、彼の家に訪れる。

 そして、チャッカリと吹雪は鋭児の腕に身体を寄せて、デート気分で此処まで、歩いてきているのだった。勿論鋭児も満更ではない。それにご機嫌な吹雪を見てしまうと、何も言えなくなってしまう。

 旧家を思わせる二階建ての木造住宅は、少々庭を有しており、門から玄関まで数メートル、石畳が敷き詰められている。

 なるほど、確かにこの敷地を持つ無人の邸宅を、何時までも管理し続けるのは難しい。かといって、人に貸すには、少々古びていて、問題がある。それに、残しているがために、所有物を好き勝手に弄られるのも、余り気分の良いものではない。それは飽くまで貸したものとしての認識なのである。

 売ってしまえば、確かに諦めもつくというものだ。

 

 

 「焔さーん。叔父さーん」

 勿論自分の家であるため、鋭児は何の遠慮もなく玄関を開ける。ただ遅れてしまったことに対しては、申し訳なく思い、なんとなくこっそりと入る。

 木造の廊下は多少軋みながら、鋭児の帰宅を知らせる。

 「鋭児くんこっち!」

 その時、吹雪は聞き慣れない声を耳にして、多少敏感な反応を見せる。

 「おう!オメェらおせぇんだよ!」

 相変わらずな焔の声も聞こえる。それは鋭児の祖母の部屋から聞こえてくるのだったが、其れが解るのは鋭児だけである。

 「あれ、美箏の奴……」

 鋭児は、吹雪を連れながらも少々足早に、廊下を真っ直ぐ歩き、左手奥の部屋に入る。そこには、古びた畳の上に、胡座を組んで座っている焔と、黒髪のメガネを掛けた頭の良さそうなツインテールの女の子が座っていた。ツインテールではあるが、余り子供っぽくなく、清楚なイメージが強い。大人になりつつある賢い少女というのが、美箏だ。スタイルの方は、極平均的であるが、モテても不思議ではない年相応の可憐な少女だ。ただ、真面目な彼女は敬遠もされるタイプである。

 胡座を組んでいる焔は、何故か野球帽を被っているが……。

 「ハハ。何それ、焔さん似合いすぎだよ」

 鋭児は、吹雪を連れつつも、まるでワルガキのような表情で、得意満面に青い野球帽を被っている焔をみて、ついつい吹き出して笑ってしまう。

 「似合うだろ?美箏と、荷物整理してたら、帽子がいっぱい出てきたんだぜ?」

 ご機嫌にニカニカと、真っ白で綺麗に並んだ歯を見せながら、帽子のつばを弄って、アピールする。

 焔は焔らしく、もう美箏を美箏と馴れ馴れしく呼び捨てにしている。美箏は愛想良く笑ってみせるが、表情が硬い。鋭児はその理由を何となく察する。なにせ焔である。なにもワルガキのように見えるだけではなく、ワルガキそのものの焔は、きっと何かをしたに違いない。ただ、きっと悪気もない焔らしい行動をしたのだろうと、鋭児は思う。

 「いいよ。焔さんにあげるよ」

 「鋭児くん!」

 美箏は鋭児の気っぷの良さに、少し我慢ならないようで、立ち上がりかけ、怒ってしまいそうになっている。眉尻が釣り上がり、一瞬教育ママのような、ヒステリックなオーラを出す。

 焔は少々ビックリして、きょとんとした表情を見せるが、基本狼狽えることはない。

 「ああ、それ婆さんが買ってくれたやつでさ、ホラ俺こんな傷だろ?でも、焔さんだからいいよ」

 焔ならいい。鋭児は穏やかな表情をして、そう言う。別に鋭児がモノに執着がないのは、美箏も解っていた事だが、彼女にしてみれば焔は、赤の他人であり、家族の思い出を分かつに相応しい人間ではないのだ。

 鋭児の満足そうな表情に、美箏は不服だったが、鋭児がそんな風に微笑むのは、本当に珍しいことだった。

 「もう!焔ばっかり!!」

 吹雪も負けじと、祖母の部屋に広げられている、洋服を締まっているケースを眺め回すが、どれも鋭児の持ち物ではなさそうなので、どうして良いやらと、キョロキョロと勘を頼りに、どれから探そうかと、迷い始める。

 「ああ……いいよ。二人で適当に探してみてよ。気に入ったのあったら、あげるよ」

 「ちょ!ちょっと!」

 美箏は直ぐに立ち上がり、鋭児を廊下につれて行くのだった。

 「鋭児くん!あの人、家に上がるなり、貴方の部屋を散々家捜しして、帽子見つけたと思ったら、今度はおばあちゃんの部屋に案内しろ!っていって、好き勝手なのよ!鋭児くんの彼女だからって、お父さんに押しつけられたけど、私正直我慢出来ない!」

 「鋭児くん!本当に開けて良いの?」

 吹雪は、やはり吹雪らしく、一瞬夢中になりかけるのだが、焔のように好き勝手には出来ない様子で、廊下の鋭児に対して、許可を取ろうとする。

 「ああいいよ。焔さんみたいに、散らかさないようにお願いします!」

 鋭児は笑ってそう言う。

 「もう!鋭児くん!」

 「いいんだよ。二人とも俺にとって、大事な人だから。其れより何だかんだでもう夕方になるし、メシ考えねぇと……」

 そう言いつつ、鋭児は自分の部屋に行き、美箏はその後ろをついて行く。

 「鋭児くん。楽しいんだ……、ここ何年も笑った所なんて見たことなかったのに……」

 従妹であり幼なじみでもある自分が数年間見る事が出来なかった鋭児の表情を、たった一月で引き出してしまう焔や吹雪に、少しだけ悔しそうにする美箏であった。

 「吹雪さん。黒いのが似合うだろうな。焔さんは何かぶっても、ワルガキみたいだな」

 鋭児は自分の部屋に入ると同時に、予想通り散らかされている床を眺めながら、沢山ある帽子のうち一つを取り、吹雪の銀髪にそれが乗っているイメージを想像する。

 それから、帽子を膨らませるために、内側からポンポンと叩いて、形を整えるのだった。

 「え……鋭児くんの。男の子の本は……お母さんが処分したから……」

 美箏は後ろで咳払いをしながら、鋭児のベッドの下に積まれてあった本を処分したことを告げる。そして其れが何であるのかを、知っている様子だった。

 「そっっか、叔母さん厳しいからな。叔父さんに貰ったやつもあったんだけど」

 鋭児はそう言って、少し意地悪で子供っぽいイタズラな笑みを美箏に見せる。

 「もう……」

 そう言う鋭児の表情は、本当に、彼の両親が亡くなってしまう以前の表情でもあったのだ。其れまではやんちゃで活発な男子だったし、よく困らされたりもしたが、真っ直ぐで素直な鋭児を悪く思う美箏ではなかったのだ。

 それだけに、その後のぴくりとも微笑まなくなった鋭児を心配していたのは、誰よりも美箏だった。

 「俺、婆さんに苦労かけちまったな。感謝してたのに、その割には全然言うこと聞かなくて、最後の最後まで……」

 「ホントだよ。でも、私もお父さんもお母さんも、全然鋭児くんのこと、助けてあげられなかった。鋭児君にそんなふうにさせてしまったのは、私たちも同じ。同罪だよ」

 「いや……、俺がもうチョイ強けりゃ、良かっただけのことだったんだ。気にイラねぇことばっかで、ことあるごとに喧嘩して……」

 鋭児から、後悔の表情が垣間見える。ただ、悔しがると言うよりは、どうしようも無く自分を卑下している様子で、あきれ果てた笑みを、ふと漏らすのだった。

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