第1章 第1部 第9話

 夜になる。鋭児は部屋にいた。数少ない衣類の中から、黒のジーンズと、グレーのロングシャツを選び、着替えていた。何もない殺風景な部屋だ。自分の部屋だが本当に焔の言うとおり、何もなさ過ぎる部屋である。手元にあるのは携帯電話だけだ、そこから拾えるニュースを見たり、体に蓄積されたダメージを取るために眠ってみたりと、そんなだらしない時間が過ぎる。

 「いるかー!20点!」

 焔の声だ。鋭児はすこし信じがたかった。あれほど沈んだ声をしていた焔だ。まさか来るとは思ってもみなかったのだ。そしてそれは彼の想像していたトーンでもなかった。威勢の良さが彼女らしい。焔らしいのだが、仮に訪れるとしても、もっと静かだと思っていた。

 鋭児は、驚いたままの表情で、目を丸くしながら、扉を開くと、そこにはホットプレートと、買い物袋をぶら下げた焔が、ここへ訪れたままの姿で現れたのだ。だが、不機嫌な表情である。焔は顔に出やすい。

 それからもう一人、姿を現すのだ。大人しそうで、黒髪を一本に束ねている、清楚でホッソリとした女子だ。それは、あのとき鼬鼠に絡まれていた女子だった。

 「雪村静音。高等部二年I2組です、昨日は、その……有り難うございました」

 彼女は玄関前で丁寧に頭を下げた。

 「え……と」

 「ほら、20点、窓開けろ窓」

 「あ、ああ……」

 焔が何をしたいのかは解らないが、彼女の命令に逆らうと、なんだかややこしい事になりそうな雰囲気だけは確かなものだった。

 「うわ!」

 窓に近づいた瞬間、すっと下から何かがせり上がってきた。一瞬それは幽霊ではないかと思ったのだが、それは辛うじて認識していた、雹堂吹雪である。

 「焔!なんで、私が窓からなの!?」

 「お前が、コイツの部屋にきても、コイツパニックになるだろ?」

 「それはないとおもう。ないわよね?黒野君」

 「あ……いや、え……」

 鋭児が消化不良を起こしていると、吹雪は、ビールの缶を次々と窓から部屋に入れてくる。

 「一階でよかったなー、お前の部屋。便利だぜ」

 「ちょ!お前、これ!」

 「わめくな!今日は飲む!それから、いい加減、名前で呼べ」

 「はぁ!?」

 「ウルセェ、騒ぐと見つかるだろ!吹雪、入れよ」

 「窓から!?」

 「回り込むの面倒だろ?」

 「アナタって本当に、メチャクチャね」

 吹雪は、本当に呆れていた。

 「雪村二年、扉閉めろ、吹雪早くしろよ」

 それにも構わず、仕切り始める。

 雪村静音もそうだが、吹雪も清楚で長めのスカートを好んでいる。何となく雪村が吹雪という存在にあこがれを持っているのが解る服装でもあった。

 鋭児がぼうっとしてる間に、ホットプレートと、小皿、それからラードの準備も整い始め、市販の焼き肉のたれも、準備され始めている。

 「おま……いや、と焔先輩……」

 「焼き肉パーティーだ。お前の部屋、辛気くせぇからよ!吹雪、ビール冷やしてくれよ」

 「あのねぇ!」

 「あ、吹雪先輩、私が……」

 「いやいや、そう言う問題じゃなくて、なんで俺の部屋でビールとかだよ!」

 といっている間に、油がすこし良いにおいを漂わせ始める。

 「タマネギタマネギ♪~~、吹雪、包丁……」

 「あ……アナタねぇ……」

 といいつつ、吹雪は氷を生み出し、包丁を作り、それでサクサクとタマネギを輪切りにし始めるのだった。

 「いいだろ?いいだろ?一年の部屋に集まって、こう言うのもいいじゃねぇか」

 ノリノリなのは、焔だけで、付き合わされている吹雪は、ブツブツと文句を言いつつ、野菜を空中に放り投げては切り刻んでいる。起用なのは、ちゃんと大皿の上にそれが並んでいることだ。吹雪はずいぶん焔の無茶ぶりに付き合わされているのだろうということが、何となく解る瞬間でもあった。

 「ほら、雪村二年……、この20点に、なんか言ってやれよ」

 「黒野鋭児!俺にも名前があんだよ!いつまでも20点とかいうな……、焔先輩!」

 自分だけ名前を言わせておいて、名前を呼ばないのはアンフェアだ。鋭児は、焔の名前を強調して、そう言った。

 「じゃぁ私も吹雪でいいわ。焔が焔なら、私は吹雪。君も黒野君でなしに、鋭児クンでいいわよね?」

 「え……はい、吹雪先輩。と、静音先輩?」

 「あ……はい」

 吹雪と静音に対して、鋭児はすんなりと先輩という言葉をつける事が出来る。

 「じゃ、鋭児、お前タレ担当な」

 「タレ担当って……」

 といわれつつも、小鉢に焼き肉のタレをを注いでゆく。

 「よしよし!野菜も肉も焼けてきた!雪村二年、ビール回せ」

 「あ……はい。でもですね……焔先輩……」

 倫理観が許さないのだろう。静音は、逆らえない先輩二人を前にして、オロオロとし始め、それが夢であってほしいと訴えるような目をして、吹雪に助けを求める。

 「いいんだよ。食おうぜ食おうぜ!」

 しかし焔は、ぱくぱくと食べ始め、簡単に缶ビールのプルタブを引き開け、グビグビと豪快に飲み始める。なんとも男らしい?惚れ惚れする飲みっぷりである。

 それを見て、吹雪は溜息をつく。何を言っても無駄という、彼女の経験が解るほどの溜息だった。

 「ええい。どっちにしろ共犯だ」

 吹雪も開き直って缶ビールを飲み始める。このあたりは、焔との付き合いの長さというのが、伺えるところだった。

 焔は飲まない鋭児と静音に対して、ビールの缶を突きつけて、不機嫌そうな表情をする。

 「飲まないと、暴れるぞ……」

 暴君だ。誰もが焔のその一言でそう感じたに違いない。

 強引に勧められたビール。それを見た鋭児は少しだけ思いだし笑いをする。

 そして鋭児はグイッとそれを飲み干し、空き缶をクシャリと簡単に握りつぶしてしまう。彼のそれも中々のいい飲みっぷりだった。ただ、握りつぶされ、床に置かれた空き缶には、彼の飲みっぷりとは相反する思いが、焔には感じられたのだった。

 上を向いたまま、何かに勝ち誇ったかのように見える鋭児だが、その視線は少し遠い位置を見ていた。

 「っしゃー!飲め飲めぇ!で、食え食え!」

 「俺、強いっすよ。ガキの頃から飲んでますから……」

 突っ張った鋭児の言葉に少し丸みが出た瞬間でもあった。そして焔に二本目を渡されると、同じようにグイッと一気に飲み干して、またもや缶をクシャリと握りつぶす。

 「どうせ、共犯だし……」

 やってられないと、吹雪もビールを飲み干す。こうなると、確実に犠牲者となりつつあるのは、この事態を飲み込めない静音だった。

 一夜が明ける。焔はどれくらいのビールを買ってきたのだろう。ただ、何もなかった鋭児の部屋には、空き缶がそこら中に転がり、ベッドの上には、焔が大の字になって眠っており、端の方を鋭児がどうにか確保し、先に酔いつぶれてしまったと思われる吹雪と静音は、空き缶が散らばる床の上で、ごろりと横たわっているような状態だった。

 それが、鋭児がこの寮に来て初めて迎えた日曜日の朝の光景だった。

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