第22話 もし変われたら、その時は
金の髪は夜の僅かな光でも明るくきらきらと見える。
「おじゃましまーす」
そう声を掛けたのはなんとなくだ。もの思いに耽っているようだったから。
レオンはちらりとこちらを見たけれど、またすぐに視線を戻してしまった。追い出されることもなさそうなので、私は隣に座り込み、持っていた小さな鍋を開けた。
「ご飯、まだでしょう? パンとスープを持って来たわ」
そっと横顔を見るけれど返事がない。わざとらしく木匙でぐるぐると鍋をかき混ぜると、ふわりといい匂いが漂い始める。
匂いにつられたのか、ちらりとレオンがこちらを見たから、私はにこりと笑ってみせた。
「エミリア、腹が減った」
「そうね、だからどうするの?」
意地悪かもしれないが、鍋をかき混ぜながらさらに笑いかける。
すると、レオンは数回瞬きしてから、ようやく望みを口に出した。
「そのパンとスープをくれないか」
「素直にそういえばいいのに、はいどうぞ」
持って来た器にスープを盛り付けると、パンを添えて出す。シンプルだけれど、これが心まで温まる。ゆっくりとスープを口に運びながら、レオンが訊ねてきた。
「どうして、笑っていられる?」
「泣くことだってあるわ、でもそれは今じゃあないもの」
連れて来られてかなり経つ、なのにこんな風に話をするのは初めてだ。私はまだ温かい鍋を抱え直す。
「拐われて来てくよくよしたけれど、どうにもならないからさっさとやめたわ。それよりどう楽しむかを考えたほうが好きなのよ。やり直したって全く同じにはならないし」
「エミリアお前、俺を謀っていて、実はマリサぐらいの年だろう?」
「ちょっとそれどういう意味よ、誉めているんでしょうね」
真面目な話をしているのに、失礼なことを言う。ただそんなレオンなりの感じ取りが返ってくるということは、私の言葉は少しでも彼に届いている。
「レオンは、ここで生まれ育ったのよね?」
「ああ、母親は物心つく頃にはもう亡くなっていた。親父は、ああ見えてなんでもそつなく出来たからな。こんな山の中では何の役にも立たないことまで教えられた」
確かにアレクさんは、ここの集落でもどことなく他の人と違う雰囲気がある。どちらかというと、王都でも貴族が住む中央街区画や北街区画で暮らしていそうな感じだ。そういえばレオンにだって王都で伝もあると言っていたし、出身は王都なのかも。
「選ぶのは俺だと言われたが、流れに任せて同じように過ごすほうが楽だった」
「うん、それ少しわかるかも。考えずに日々過ごしているほうがいいって、思うもの」
心の中でぼんやりと考える。いつだったかカイル王子の妃選考に通過した時、嬉しいと思うより怖くて嫌だった。毎日パン屋に勤めに出て、パンを焼いてそれで暮らせればいいのに、どうして不安を背負わなきゃならないのって。
私はカイや自分まで否定してしまった。だから罪悪感や変えたいっていう衝動が残っていて、隠れていた馬車から動いたと、今更ながらそう思う。
レオンも、ガウデーセやみんなと同じように過ごすほうが楽だったのだろう。
でも、そんなふうに暮らしていると、いつの間にか当てはめた役割から抜け出せなくなる。
「変えられないと思っていたんだ。でもエミリアを見ていると、壊せるような、変えられると思えるようになった」
「そんな凄いことしていないけどなあ」
でも変わりたいと思ってくれたことは嬉しい。それは私が盗賊なんて止めてと大きな声で伝えたわけでもなく、みんながそう変わりたいと自ら願ったから大きな力になっていく。
ふとレオンが大きく息を吸い込んで吐いた。
「エミリア、もし俺が変われたら、その時はお前に好きだと伝えたい」
「その予告で言っちゃうの、ずるくない?」
ほんとうにずるい。だいたい、それまで私が待っていると思っているなんて、自惚れすぎなんじゃないの。
でも、その気持ちはとても大事に考えたい。レオンの表情は、そう思わせてくれる。
言っておいて流石に照れたのか、レオンが抱えていた膝を崩しながら付け加えた。
「王都でパン屋をやるかどうかは、その後に考える」
「べつにそこは考えなくてもいいわよ、私の実家がパン屋なわけじゃないし」
私はパンが好きで、おまけも貰えるからパン屋で働いていただけだ。お店も店主さんやおかみさんも好きだけど、跡継ぎじゃないし、そこまでパン屋に縛られていない。
レオンは目を瞬かせて私のほうを見た。
「パン屋だろう?」
「違うわよ」
緩く首を振ってもういちど否定する。ひょっとして私と王都に行くならば、パン屋をやらなければって思ってくれたのだろうか。
「いやしかし、エディンのやつが、……なんでもない」
「エディンさん? あっ!」
そういえば前にエディンさんとの話で、売り言葉に買い言葉からそっちがパン屋になれって言った気がする。もしやそれがレオンに伝えられてた? そんな馬鹿な。
レオンは目を瞬かせてから、こめかみに親指を当ててぐりぐりと押した。それから空になった器を私に差し出す。
「まずはおかわりくれ」
「うん、はいどうぞ」
とりあえず食べて落ち着くつもりらしい。私は残った全てのスープを器によそってあげた。
ひょっとしてレオンは本当に、私とパン屋をやることを考えてくれていたのだろうか。
だったら私もきちんと、話してあげなければならない。
「うち、貧乏だけどいちおう貴族でさ、お金もないから残っているのはコンカートっていう家名だけだけど」
「貴族……」
貴族と聞いて少し慄くかもしれない。私だって貴族と言われてもピンと来ない。私が生まれた時には、うちはもう南街区画の小さい家で慎ましく暮らしていた。
「お祖父ちゃんの代までは侯爵家だったの。でも二十五年前の元王妃様の事件で、領地も爵位も剥奪されちゃったのよ」
「エミリア、その事件は……」
王都に暮らす人の中でも、その出来事は半分くらいのひとが忘れた振りをしていて、もう半分のひとは知っていても口に出そうとしない。うちの家族の中でも口に出さない暗黙だ。
「元王妃様が前王陛下以外の男のひとと交際していたって事件だよ。第一王子殿下が、前王陛下の子じゃなくてさ」
今の国王陛下は当時の第二王子だったかたで、前王陛下の側妃さまが産んだ正統な国王陛下だ。その国王陛下の子息がカイル王子になる。
その二十五年前に起きた事件は、王宮でもまだ大きな衝撃として残っていて、慎重になるあまりカイル王子はまだ立太していない。
まあこれはパン屋に来ていたカイの話なので本当のことだろう。なにせ本人だ。
「うちのお祖父ちゃんが、その前王妃様の手引きをしたらしいの」
「エミリアも、お祖父様のせいだと思っているのか?」
「うーん、わかんないけど、もうそれが真相になっちゃったからね」
お祖父ちゃんが正しいとか間違っているという話には、家族からもならない。この話はそのくらい動かせなくなってしまっていることだ。
そういう意味では、盗賊をやめたいなんて簡単なことだと思う。
レオンはまだなにか考えていた。私も生まれる前のことなのでよく知らないけれど、なにを気にしているのだろうか。
「その、第一王子の逃亡も、エミリアのお祖父様が手引きをしたのか?」
「え? 王子殿下も亡くなったって聞いたよ」
生きているという話は聞かない。私のお祖父ちゃんが、助けて差し上げたかったとこっそり嘆くくらいで、今は話題にもならない人だ。
そういう意味ではうちのお祖父ちゃんは、盗賊より極悪人だよ。
私は茶化して笑ってみせたが、レオンは一緒に笑ってくれなかった。
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