第19話 帰されない理由もわからず

「エミリア、君の気持ちは嬉しいが、私には受け入れられない」


 それはガウデーセから支給された例の魚を見たアレクさんが、開口一番言った言葉だ。


「はあ、そんな気はしていたのでいいですけど」


 絶対食べないだろうなと思った私の予想は当たっていた。確かに慣れは必要だけど、食べると美味しいのに。食べないって分かっていたから、少ししか焼いていないしまあいいか。

 私は魚は早々に諦め、代わりにパンとスープを出す。もちろんアレクさんの嫌いな物は小さくしてあるから食べられる。


「美味しいよ、ありがとう」

「そうでしょう、少しですが良い干し肉が入っていますよ」


 初めの頃はあまり聞けなかった、美味しいという感想も貰えるようになってきた。

 思うに私がマリサさんの代役を任されて来た時は、もっと痩せていて細かった気がする。まだふっくらとはいかないけれど、このままいけば徐々に体力もついてくるだろう。


「エミリアの食事は少し変わっているが、いつも美味しいね」

「そうですか?」

「故郷ではパンが主流なのかい?」


 アレクさんに尋ねられて私は目を瞬かせた。確かに王都でも全ての家庭でパン食なわけじゃない。私みたいに好きで食べている人もいるけれど、馴染みがない人もいる。大抵の家庭にかまどはあるけれど、パンを焼くのが面倒な人のためにパン屋さんがあるくらいだ。


「王都でもパンが主流ってわけじゃありませんけど、私はパン屋に勤めていたので、パンが好きです」

「エミリアは王都の出身なのか」

「はい、南街区画に家があります」


 もうどれくらい戻っていないだろう。ここでの暮らしはなんとか慣れたけれど、やはりお父さんやお母さんを思い出さないわけじゃない。


「しかしここは、君みたいな娘さんが王都から移り住むような場所ではないだろう」

「でも、そもそも連れてこられたので、移り住んだわけではなく」


 確かにここは山の果てだ。よほど事情がない限り、好んで移り住む人などいない。

 私は別にガウデーセに従っているわけでもないし、盗賊を希望しているわけでもない。


「どういう、ことだい?」


 アレクさんの表情が険しくなった。

 どうしよう。ひょっとしたらこれは、レオンに連れてこられた、と言ってはいけないのかもしれない。帰れる機会なのかもしれないけれど、そのまえに絶対一波乱ありそうだ。


「ええと、つまりそのう……」

「ガウデーセか? いやそうではないな、……ひょっとしてレオかい?」

「私もどうして連れてこられたのか、よくわかっていませんが、まあ」


 あまりの不穏な空気に中途半端な反応しかできず、濁しつつ答えるが、そこはそれ雰囲気通り聡いアレクさんである。

 アレクさんは立ち上がると、杖も使わずに外に向かって歩きはじめた。最近は杖を使ってかなりスムーズに歩き回れるようになってきているけれど、そんな勢いで動いたら危ない。


「待ってください、アレクさん、落ち着いて、杖を!」


 慌てて追いかけるけれど、アレクさんは聞いてくれない。部屋の外に出ると、今日の立番だったアルバロさんが驚きの表情で振り返った。立番といっても、アレクさんは滅多に部屋から出ないから、することは本当にただ立っているだけだ。

 驚きに固まっているアルバロさんに、アレクさんは言い放つ。


「すぐにレオを呼んでくれ、エミリアのことで聞きたいことがあると」

「どうかしましたか?」

「いいから呼んで来るんだ!」


 いつも穏やかに話をしていたから、そんな風に鋭く言い放つアレクさんは初めて見る。静かなのに、ビリビリと空気が震えるようなその迫力に、アルバロさんは慌てて走り出した。

 いつかはアレクさんにも事情はばれてしまうだろうと思っていた。

 けれど、アレクさんがここまで怒るなんて思っていない。


「くっ」

「アレクさん! 急に動いたりするから」


 アルバロさんがレオンを呼びに向かうと、アレクさんはその場でくらりと体を揺らした。急に動いたから立ち眩みを起こしたのだろう。慌てて手を出して支える。


「一度、書斎に戻りましょう」

「そうだね、レオに話をするためにも私が落ち着かないと」


 アレクさんは、私を安心させるために笑ってくれたけど、表情は強張っていた。

 しばらくして、レオンがやって来た。アルバロさんは外で待っているようだ。

 さすがにアレクさんの前でフードのままということはない。アレクさんの不穏な様子を聞いて来たのか、レオンの表情も硬かった。


「エミリアを、彼女をここに連れて来たのはレオかい?」

「そうだ、襲撃した荷馬車に紛れ込んでいた」


 怒られる展開が分かっているのか、レオンの説明は少し誇張されている。確かに私は荷馬車に紛れ込んでいたところで、レオン達にうっかり遭遇した。けれど荷馬車ごと攫ってこられたわけではない。


「人身に関わることは、こちらの危険にもつながる。ガウデーセにも禁じていたし、彼も禁じさせていたはずだ」

「成り行きでそうなった」

「だったらレオは、どうして彼女を王都に帰してあげないのかな」


 アレクさんが厳しく言うが、レオンからの答えは出てこなかった。確かに私もそこはレオンから聞いていない。カイル王子ではなく私を連れて行くことで、あの場をなんとなく成功としておさめたという感じなのか。そんなふうに考えてはいるが、レオンから聞いたことはない。

 無言を貫くレオンから聞き出すのは無理かと思ったのか、アレクさんは話を切り替える。


「王都の騎士は黙っているのか」

「巡回は凌げている」

「騎士に掃討をかけられたら、集落に住むみなの負担に繋がる。分かっているのか、レオ」

「そんなことはわかっ」

「では彼女の気持ちはわかっているかい? 無理矢理連れて来られた」


 アレクさんはレオンの言葉を遮った。大きく息を吐き、ゆっくりと立ち上がると、足を引きながらレオンをまっすぐに見る。


「いいかいレオン、エミリアにおまえを押し付けるんじゃない」


 落ち着いた様子でアレクさんが言うと、レオンがびくりと震えた。彼女を帰してあげなさいと、そう言うわけでもない言葉は、もっと直接深いところまでレオンに響く。

 揺らいだレオンの表情からそう感じた。


「どうしても一緒に居たいのなら、レオが彼女と一緒に王都に下りてあげなさい」

「そんなことは無理だと親父もわかっているだろう!」


 レオンが声を荒らげた。それまでなんとか言葉を流して、誤魔化そうとしていたレオンの視線が、アレクさんへと向く。


「そうだね、無理かもしれない。でも試したことはないだろう? 王都だって全員が敵ではない。本当にレオが望むなら、私にだって当てがないわけじゃないから、計らってあげられる」


 あくまで静かに伝えようとするアレクさんに、レオンはまた黙り込んでしまった。


「エミリアと、なによりレオのために、きちんと考えなさい」


 私のことなのに、私は口を挟むことも出来ずにいる。

 レオンがちらりとこちらを見たけれど、私はなにも答えられない。レオンが言わなければ、私だって考えられないからだ。

 レオンは踵を返すと、そのまま部屋から出て行ってしまった。私を帰そうとはいわなかったけれど、アレクさんの言葉はかなり重く響いただろう。

 アレクさんは大きく息を吐くと、また椅子に腰掛けた。


「すまない、エミリア。なにせレオンはずっとここにいてね、知らないことが多すぎる」

「ここでずっと暮らしているんですか?」


 思わず尋ねた私に、アレクさんは頷いた。ただそれ以上は話したくないという曖昧さが含まれている。それでもアレクさんはレオンをとても心配している、それは伝わってくる。

 貴族としても騙し通せるくらいの見た目なのに、それを晒すことはせず、ずっとフードで隠して過ごしているのだろうか。


「賢い子だからわかってはいるんだ。エミリア、どうかレオンに機会をくれないか」

「機会、ですか?」

「どうするかはレオン次第、そう思ってやって欲しい」


 私が頷くと、アレクさんは少し辛そうな笑顔を浮かべた。

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