第14話 空腹にジャムのパン
「どうだレオン、そろそろ諦めたか?」
開口一番そう言い放ったガウデーセは、やはり嫌なやつだ。
「ひと通りは出来上がっている。あとは細かい直しをしていく」
「ほおう。……ここはこれじゃあ撥ねられるな」
書類を捲る音が聞こえ始めて、口調が静かになった。意外にもガウデーセは、レオンにやたら文句を言うでもなく、きちんと書類を見てくれているようだ。
「それからこの印は使うな」
「前はこれで通っていたろう」
「これはあいつの書式と印だ、目を付けられると厄介なことになる」
ガウデーセが言っているあいつというのは、さっきレオンが話してくれたお父さんのことだろうか。
レオンの頑張りを認める気になったのか、ガウデーセは細かくレオンの作った書類を見ている。書類をめくる音と、間違いの指摘が続く。
「それで外市場には誰を行かせる気だ。まさかとは思うがお前が行く気か?」
「いいや、俺では目立つ。エディンとあと二人ほどで行ってもらう」
市場にはエディンさんが行くのか。ひょっとしてエディンさんが市場へ売りに行こうって話を、レオンに持ちかけたのだろうか。あの時は黙り込んでしまったエディンさんの気持ちは、少しずつ変わっているのかな。
「エディンか、ならあとは現地で商人に同行と代筆をさせろ。そのくらいの金は使っていい」
「わかった、そうするように指示を出す」
ガウデーセはひと通り書類を見終わっても、まだ家の中にいるようだ。
終わったのなら早く帰りなさいよ。私は隠れながら心の中で唱えた。彼が帰ってくれないと私だってここから動けない。
しかしあろうことか、奥のほうから食器の音がし始めた。
「見た目どおりババアの味付けだな、相変わらず味がしねえ」
あろうことか私が持ってきた食事を食べている。なにしているのよ、それはレオンの食事なのに! このままそう怒鳴り込みたいが、見つかったら大変だということくらいわかるから、必死に堪えた。
食べ終わったのか味見に飽きたのか、しばらくしてようやくガウデーセは部屋から出ていった。しっかり足音も聞こえなくなり、戻ってこないくらい時間を置いてから、私は立ち上がり窓のそばに寄る。
「なんなのよあいつ、言いたいこと言ってレオンの食事まで食べていくなんて」
「あやふやなところに指摘があったから、助かったのは確かだ」
レオンはまた机に広げられている書類を睨み始めた。指摘されたところを早速書き直すようだ。集中して話しかけられなくなる前に、私はレオンに声を掛けた。
「おかわり持ってくる?」
「いやいい、他にやることも出来たし、俺のほうからマリサのところに行く」
「わかったわ」
器は奥の台に置かれているので、どのくらい食べられてしまったのかわからない。けれど音からして図々しくもかなり食べたはず。マリサさんには残しておくように頼もう。
私は窓をそっと閉めると、マリサさんのところに戻ることにした。いつまでもここにいて、ガウデーセに怠けていると思われるわけにはいかない。
来た道を引き返し戻ると、さっきあった煮込みの鍋はもうすでになくなっていた。
「マリサさん、さっきの煮込みって、ひょっとしてもうない?」
「おやまあ、全部食べちまったよ」
「そんなあ」
あっさりとマリサさんに言われ、私は肩を落とした。どうしよう、レオンだってお腹が空いて下りてくるかもしれない。
「鍵はあとで掛けに行くから、エミリアなにか作っておやり」
「残っている作業があるでしょう?」
「もう残っていないよ」
マリサさんは笑いながらそう言ってくれた。部屋にある材料ですぐになにか作れるだろうか。レオンがどのくらいで下りてきてしまうかもわからない。かまどに火を起こして、きちんとしたパンを焼いている暇はなさそう。
「マリサさんありがとう、私なにか食べられるようにしてきます」
ぺこりと頭を下げてお礼を言うと、私は牢の部屋に向かう道を駆け上がり戻った。
やはりきちんと作っている時間はなかったから、出来たのはパンというよりは薄く焼いたなにかだ。それでも貰っていたジャムを塗り半分に折ったらそれなりに食べられそうになる。昨日もらったばかりのジャムは、間違いなく美味しいから、これはこれでかなりいい。
レオンがどのくらい食べるかわからないけれど、いつだったか霧の日に食べ尽くされてしまったことがある。だから絶対余るだろうというくらい作った。持ち出せるように、籠に詰めたところで一息つく。
「できた! レオン、呼ばないと来ないかな」
マリサさんからなにか聞いてくると思ったのだけれど、待ってもやってくる様子はない。まだ書類と睨み合っているのだろうか。
出歩いている姿をあまり見られたくはないけれど、このまま待っていてもレオンがいつ来るかわからない。
昨日貰った髪飾りを出して付けて髪を整えると、籠を持って歩き出す。しばらく道を降りたところで、ようやく見覚えのあるフードが道を上がってくるのが見えた。
「レオン、今食事を持って行こうとしていたのだけど」
「エミリア、パンは余分に作っていないか?」
「そう思って、作っておいたわ」
レオンは私の言葉を全く聞いていない。それでも待ってましたとばかりに、籠を掲げて見せる。レオンはなにか急いでいるらしく、籠を受け取るなり踵を返してもと来た道を下って行ってしまった。
「ちょっと、なにも言わずに帰るつもり?」
「気になるならついて来い」
振り返りもせずにそれだけ言うと、レオンはどんどん行ってしまう。自分の家に戻るのかと思いきやそうではなく。向かった先は、ここに到着した時に来た馬小屋のさらに奥だった。
馬が三頭準備されており、そこにはエディンさんと、さらに男が二人がいた。そういえばさっき窓の外から聞いたガウデーセとの会話で、エディンさんも含めた三人で市場に行くという話をしていた。三頭の馬には積めるだけの荷が積んである。
「それじゃあエディン、よろしく頼む」
つまりレオンの書類が出来上がり、これから東門の市場に商品を持ち込みにいくのだ。
「やっぱりエディンさんが市場に行くの?」
「お嬢も見送りに来てくれたのかい」
見送りというか、ついでに私を王都に送って行こうか。なんて話にはならないかな、ならなそうだな。気持ちは複雑だけれど、とりあえずこの場は波風立てたくないので、頷いておく。
そしてなんと私がレオンにと思って作ったパンの籠は、そのままエディンさんへと渡されてしまった。あれ? それは、レオンの食事じゃないの? そのつもりだったのだけど。
「お嬢が作ってくれたんですか」
興味津々に籠を覗いたエディンさんと二人は嬉しそうだ。レオンにと思って作ったのだけどとは言わない。それが余計な言葉になるということくらいわかる。うまくいくためにも、多少盛り上がって貰っていたほうが好都合だ、たぶん。
三人はかなり盛り上がっているので、これはかなり効果があったらしい。まあ盗みに行くのではなく、きちんとした商売に行くのだから良しと思おう。
「じゃあよろしくね、行ってらっしゃい」
「任せてください、お嬢」
任せているのは私ではなくレオンなのだけど。それも飲み込んで愛想良く手を振ってあげると、三人はそのまま馬を引いて出発していった。
「……しまったな」
三人の姿が小さくなって谷の向こうに見えなくなるまで見送った後。レオンがぽつりと言った。なにか抜けていた問題でもあったのだろうか。
「どうしたの、今から追いかける?」
レオンが馬で飛ばせば、追いつけない距離じゃあない。そう思って見上げると、レオンは髪の中に手を突っ込んだ、手を動かす拍子にフードが外れる。首を傾げる私にも、少し気落ちした声が聞こえてきた。
「エディンのやつに全部渡しちまった、腹が減った」
「そうよ、私そのつもりで作ったのに」
一緒に食べるのもいいな、そう思っていたのに。レオンは籠ごとまるまる全部エディンさんに渡してしまった。ちなみに私だって食べずに作っていたので、お腹が空いている。
「露骨に顔見せたって、余分は作っていないから」
見上げながらそう言うと、レオンは空を仰いだ。
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