第13話 意外と整った筆跡
「エミリア、水をくれ」
翌朝、格子の前に来るなり、レオンはそう言い放った。私がマリサさんの手伝いをするのに、鍵を開けに来てくれたのだろうけど、なんだか様子がおかしい。
「はい、お水。レオンなんだかぐったりしているけど大丈夫? ほとんど飲んでいなかったのに、二日酔い?」
「そうじゃない。なにしろあまり寝ていない」
そう言うとレオンは受け取った水を一気に飲み干した。飲むために上を向いた拍子にフードが半分くらい外れる。
ようやく見えた顔は眉間がきつく寄せられていて、本人の証言どおりあまり寝ていなさそうだ。
「一体なにをしていたのよ」
「調べものだ」
「レオンが? 調べもの」
そう言われても、レオンと夜通し調べものとはまるで結び付かない。
「水まだ飲む?」
「いやもういい、マリサのところまでは一緒に行く」
「その後は帰って寝たら? 凄い形相になっているわ」
思わず指摘すると、レオンはフードを引き上げた。そんな風に隠したって、みんな心配するに決まっている。ガウデーセなんかは、何故寝なかったのかと怒りそうだ。
鍵を開け私を外に出すと、マリサさんの待っている昨日の場所まで歩いていく。後ろから見ていても、レオンは心なしかぐったりしている。
「おはようエミリア。それから、あんたどうしたんだいレオン」
「……気のせいだ」
マリサさんは、挨拶するなりすぐにレオンの様子に気付いて、下から覗き始めた。心配しているのだろうけれど、寝ていないと答えたら容赦のない言葉が降ってきそう。
レオンもそう思ったのか、マリサさんの視線から逃れるように素早く数歩下がった。
「じゃあマリサ、任せた。今日は家にいるから、何かあったら呼んでくれ」
「はいよ、ちゃんと食べて寝るんだよ」
「やっぱりバレてる」
長く集落にいるせいか、そのくらいはお見通しというわけだ。心配にはなるが、家にいるというならきちんと寝る気だろう。
「おはようございます、マリサさん。よろしくお願いします」
「やることは昨日とだいたい同じだよ、いいね」
私は頷くと、他の人に挨拶してから、まずは水を汲みに向かう。
昨日よりも作業を覚えてきたので、ひたすら果実の処理をしていた。
マリサさんに呼ばれたのは、処理が終わった果実を満足して見ていた時だ。
「エミリア、ちょっと来ておくれ」
「はーい、どうしました、マリサさん」
かなり作業にも慣れて来ていたから、呼ばれることに心当たりがない。首を傾げつつ近寄ると、マリサさんは今日も開け放たれた家を指し示した。
「奥に小さな鍋がある。まだ火にかけていたから温かいはずだ」
見ると確かにそこまで大きくない鍋が見える。
「食事だよ、器もあるからレオンに持っていっておやり。あの子はどうせ食べていないに決まっているからね」
「わかりました」
確かに、今朝の様子だと飲まず食わずのまま寝ていそうだ。頷いて一歩踏み出しかけてから足を止めた。
「あの、レオンの家ってどこですか?」
なにせ私はこの集落に関して、まるで土地勘がない。でもそもそも私はひとりで集落を歩き回っても構わないのだろうか。マリサさんは気にしていないらしく、大きく指を動かして示してくれた。牢だって私を守るためでもあるし、私が気を付ければ多少はいいのかもしれない。
「レオンの家はあっちの上だよ、距離的には近いけれどあんたの暮らす家とは道が違うからね。そこに見える水場の脇から真っ直ぐ上がっていくのさ」
「わかりました、行ってみます」
「ああ、頼むよ」
私はさっそく鍋のほうに向かった。煮込み料理は、まだ温かく美味しそうだ。傍に置いてあった器に盛り付けると、言われた家にを探して歩き始めた。
自由に歩くのは初めてだから、思わずきょろきょろとあちらこちらを覗きながら歩く。白い壁の家は両側に並んでいるが、半分以上は空き家だ。戸が閉まっている家は不在なだけで住んでいるのかどうか、いまいちわからない。
「ここかな、先にも道があるけれど」
言われた通りの道を真っ直ぐ上がって行くと、あきらかに人が住んでいそうな家が見えた。ただその先にもまださらに小道がある。外をぐるりと回ると、風を通すために開けられていた窓があって、レオンの姿がちらりと見えた。
「いた、レーオーン」
窓から呼びかけるのは行儀が悪いと思ったけれど、私はつい窓の外からレオンを呼んだ。両手も器で塞がっているし、彼が机に向かってなにかをしていたので、ここから呼んだほうが気付いてもらえると思ったのだ。
レオンは声にすぐに気が付き、窓のそばまで来てくれた。
「エミリア?」
「マリサさんが、食事をレオンに持っていってあげなさいって」
「そうか、ありがとう。開けるから待っていろ」
そう言われたので、てっきり玄関だと思ったのに、レオンが大きく開け放ったのは、私の前にある窓だった。
「戸じゃないの?」
「知らない男の家に入りたいのなら構わんが」
「……そうですね、ここで結構です」
レオンの部屋にちょっと興味はあったのだけれど、確かにいうことももっともだ。窓越しに料理の器を渡すと、レオンはさっきまで向かっていた机ではなく、奥のほうにある別の台に器を置く。
「寝ていなかったの?」
「しっかり寝たさ。さっき起きたところだ」
さすがのレオンも、自分の家ではフードを外している。一体なにをしていたのだろう。机のほうを眺めると、幾つかの本と書類が乱雑に広げられていた。
盗賊って書類仕事も必要なの? 思わずそう言おうとして飲み込んだ。
ひょっとして私が盗賊だと思っていただけで、実は盗賊じゃない? でも盗賊よね。じっと書類を見て考え込んでいると、斜め上からレオンの声が降ってきた。
「王都にある東門の外市場は知っているか?」
「知っているわ、王都側から買いに行ったことしかないけれど」
その市場は、昨日マリサさんとの話でも出てきた。本当はそこへ作った品物を持ち込みたいのだけど、手続きが難しい。そんな話をした。
「ひょっとして手続きの書類?」
「そうだ。残っていた控えを持ち出してやってみてはいるが、やはり難しくてな」
レオンは広げてあった中の一枚を私に見せてくれた。なにをどれだけというのはもちろんだが、いつ誰が作りランクと仲介料など提出項目が多い。
「うわ、なんか面倒そう……」
「おまけに領主の承認もないから、誤魔化さなきゃいけない項目も多い」
レオンは深くため息を吐き、片手を髪の中に突っ込むと雑にかき上げる。マリサさんからは、前にその面倒ごとをしていた人がいたとだけ聞いた。つまりレオンが普段していたわけではないのだろう。
「ひょっとして夜通しやっていたの?」
「ガウデーセには、一晩だけ待ってもらうと取り付けたからな」
やったことないレオンに、この量の書類を一晩でやってみろとか、あいつやっぱりとんでもないわ。書類は整った筆跡で丁寧に書き込まれている。レオンの筆跡なのだろうけど意外だ。
これだけ綺麗に書かれていれば、多少違っていてもうまくいくのではと思ってしまう。
「この手の書類は、親父が引き受けていたんだ」
「レオンのお父さん?」
マリサさんはお節介な男と言っていた。その人がレオンのお父さんなのだろうか。どうして今は引き受けていないのだろう。その疑問を口に出せないということぐらい、私でもわかる。
突然、静かになった空気を裂くように、荒々しく戸を叩く音が響いた。
私はびくりと肩を震わせて、音のしたほうを見る。レオンが鋭く言った。
「エミリア、どこか見えないように隠れていろ、来たのはガウデーセだ」
「え、え、どうしよう」
「戸の叩き方でわかる。早くしろ」
私は周りを見回し、壁と石の隙間でうまく窪みになっているところへしゃがみ込んだ。ここは窓の外だし戸から入ってくるなら見えないだろう。
息を潜めていると、窓の中から太く鋭い声が響いてきた。
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