第5話 牢屋の安全さ
水面の端に映り込んでいる自分の顔の向こうで、立っていた影が動いた。
振り向くと、別の器に水を汲んだ男がフードに手をかけサッと外したところだった。
揺れる髪は淡い金色だ。王都でも金の髪をしている人は、たまに貴族にいるくらいで滅多にいない。パン屋で店番をしていても、金の髪などカイかごくたまに来てくださる貴族夫人くらい。ほとんどが茶で、あとは私みたいに赤や黒に近い色合いばかりだ。
それに髪の中に収まっている顔立ちは、馬上でわずかに見えた通り、見事に整っている。すらりと高い長身と合わせてとんでもなく男前で格好いい。
私は彼を見上げてぽかんと惚けていたろう。どうしてこの人、こんなに山奥で盗賊をやっているのか。男はそんな佇まいで水を飲んでいる。
「まだ水が欲しいか? 水ならいくらでもある」
ここにはそれくらいしかないからな。そう言って彼が腰を屈めると、顔が少し近くなった。なんだかどきどきしてしまい、私は咄嗟に器を持ち上げて目の前を遮った。そうしないとどうにかなる。
顔はすぐに離れていく気配がした。器越しにちらりと見ると、男の眉は困ったように寄せられている。私を攫った盗賊なのに、接しかたに困るなんてどこか不思議だ。
ふと、彼の目が急に鋭くなった。壁に遮られている戸口を見ると、素早い仕草でまたフードを被ってしまう。
するとすぐに石床を踏み鳴らす音が響き、声が聞こえてきた。
「どこにいる、レオン」
「俺ならここだ」
フードの彼が答えると、壁の向こうから男がひとり顔を出した。フードの彼と違い、いかにも盗賊ですと思えそうな雰囲気をしている。
「お頭が、戻ったのなら報告しろと。成果はあったのかって」
「そんなものはない」
レオンと呼ばれた彼は、こちらも見ずにきっぱり答え、さらに肩をすくめていかにも面倒だと言わんばかりの仕草をつけた。そうしておいて、こちら側の手をそっと動かす。私だけに見えるようにした合図は、目立たないように屈んでいろと示されていた。
指示された通り、馬に隠れて見えませんようにと祈りながら、そっと背を丸める。
するとさらに荒々しい足音が聞こえてきた。
「ほうら、お出ましだ」
男はそう呟いて戻っていき、レオンもそれに続いて壁の向こうに回り込んだ。と荒々しい足音が近付いてきて壁の向こうで止まった。壁の隙間からフードを被ったレオンの後ろ姿だけが見え、あとは声だけが聞こえてくる。
「レオン、戻ったのなら報告しろと言っておいたはずだ」
「すまない」
足音と同じくらい荒々しい声だ。いかにも盗賊ですって感じの厳つい声は、確かに見つかると面倒そう。
「散り散りに戻ってきたが、なにをしでかした」
「王都の兵に目をつけられたかもしれん」
「お前らしくない」
「仕掛けたら王子の視察でな。適当に撒いてきたが、しばらく巡回が厳しくなるかもしれない」
「ちっ、わかった」
舌打ちは聞こえたけれど、レオンの報告に納得したようだ。
てっきり私の話をするのかと思ったのだけれど、それ以上話が続く気配もなく報告はそれだけで終わった。
お頭に報告して差し出すわけじゃないことにはホッとしたが、なら私はここにどうして連れてこられたのだろう。
「それから」
お頭の声が付け加えるように響く。レオンが一歩後ろに下がり、ちらとしか見えなかった後ろ姿が半分くらいになった。私も緊張して咄嗟に頭を抱える。
どうか見つかりませんように。
祈りが通じたのか、それ以上お頭が踏み込んでくる気配はない。無言が続いてから、落ち着いたお頭の声が聞こえた。
「……扱いにはくれぐれも気を付けておけ」
「肝に銘じておく」
それだけ言うと、また荒々しい足音をさせて行ってしまった。なにがなんだか分からないけれど、この場は助かった。
ほっと息を吐き出すと、力が抜ける。さっきから腰を抜かしっぱなしだ。
他の男もその場からいなくなると、レオンが戻ってきて声を掛けた。
「立てるか?」
「……ちょっと無理です」
「馬と添い寝したいなら構わないが」
女の子が明らかにへたり込んでいるのに、全く気遣いのない言葉だ。でも馬小屋よりましな場所に通してくれる気はあるらしい。
レオンが屈んで手を伸ばしてくれた。
手を差し伸べてくれるのかな。少しどきどきしながら手を持ち上げようとすると、彼の手は私の脇を素通りして置いてあった袋を掴んだ。
持ち上げたのは私ではなく、ずっと抱えていたパンが入った袋だ。どうせそんなことだろうと思っていましたよ。勝手に誤解したのだからむくれるのも勝手だ。
自力で踏ん張って立ち上がると、久しぶりに立ったからかよろよろと体が傾く。
背中に手が当たる感覚がして、しっかりと体が支えられた。倒れそうになれば支えてくれる気はあるらしい。
振り返ってフードの中に向かってお礼を言う。
「ありがとう」
「ついて来い」
お礼はさらりとかわされてしまった。表情もフードの中だから見えない。
パンの袋を持って歩き出したレオンについて行く。壁を越えてしばらく進むと、その先は住居のある区画らしい。谷に沿って石の家が作ってある集落だった。
王都しか知らない私は、きょろきょろと周囲を見回すだけでも興味のあるものばかりで気になって仕方ない。
なのにレオンは大股でどんどん歩いて行ってしまう。そうなると彼よりも小さい歩幅の私は、レオンの背中しか見られない。
姿を見せたり声を掛けたりする人はいないけれど、視線は感じるから人はいるのだろう。
しばらく歩いて、レオンはひとつの家に入った。傾斜に作ってある家の中で、ここは上のほうにあって見晴らしもいい。レオンの家なのだろうか。
「ここがレオンのおうち? ……じゃないわね」
部屋を区切ってあったのは、木で作られた格子だ。いちおう隠せるように布が貼ってあり奥に小部屋もあるが、どう見てもこの部屋は牢だ。
本当にここなの? ちらりとレオンを見るが、フードからわずかに見える目は嘘だとは言ってくれない。
大歓迎します! とか言われても困るし、呑気に思っていたのはこちらなので、私は大人しくその部屋に入った。
ガチャン、と音をたててレオンが格子に鍵をかける。木の格子はしっかり組まれていて壊せないだろう。
「鍵は俺しか持っていない」
「別に逃げ出したりしないわ」
ここは馬車で相当走った上、馬で山を駆け上がったところにある集落だ。自分の足しか手段のない私はひとりで王都に帰れない。
ちゃんと敷布やベッドはあるし、鍵は見ないようにと決めれば悪くない部屋だ。今はそう思おう。
諦めて部屋の中を見回っていた私は、奥に大きなかまどを見つけ、落ち込んでいた気持ちを上げられた。
「ここ、ちゃんとかまどもあるわ!」
「あるもの以上は期待するな。物もあまり届かない」
小部屋だと思っていたのは入口だけで、奥にはきちんとしたかまどと台所もある。ただそちら側も壁ではなく別の格子があるから、外から覗かれてしまいそう。
それでもかまどがあるというだけで私の気持ちが浮き上がった。物はないと言われたけれど、パンとスープくらい作れたら嬉しい。
お腹がいっぱいになると嬉しいから、料理は好きだ。
部屋をひと通り見てから出入り口の格子に戻ってくると、レオンは鍵を閉めた所にまだ立っていた。
まだなにか用があるのかと見上げると、彼はようやく名乗ってくれた。
「俺はレオンだ」
さっきそう呼ばれていたから、心の中で勝手に呼んでいる。
これで俺の名はゴルドールだ、と言われたら即答で嘘でしょと叫べる。
「エミリアです。エミリア・コンカート」
家柄はここじゃあなんの役にも立たないだろうし、うちはもう役に立つような家でもない。
けれど、私はきちんと名乗って礼をした。
そこまで話すとレオンは踵を返した。私の名前も聞き、部屋に入れればそれで今日はいいらしい。脅す必要もないと思っているのだろうか。
「誰も踏み込めない、安心して寝ていい」
家から出る間際、小さくレオンの声が聞こえた。
私はパチパチと瞬きをして、しっかり掛かっている大きな鍵を見る。この鍵はひょっとして、私を外に逃さないためではなく、他の盗賊から私を守るために掛けられているのか。
ひょっとしてレオンの待遇は想像よりいいのかな。
そう考えながら、私は去っていく彼の後ろ姿を見送った。
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