第2話 ラボ
私が母に連れられて訪れたのはラボだった。そこは倉庫を練習場に改造したような所でした。
「ミノ君、よろしくね」
母はプロレスラーみたいな体型の男に挨拶する。
この人は美濃部剛さん。母の友人の旦那さんでこのラボの社長兼トレーナー。周りからはミノ君やミノさんと呼ばれています。
「よろしく。
私はミノさんに返事をせず、母に、
「どういうこと?」
怒り交じりの疑問をぶつけます。
「玲、ここに来るまでに言ったでしょ? せめて上手く投げられるようにならないと」
「試合に出るだけって言ってたのに」
騙され、私は少し後悔する。
「でもきちんと投げられないと」
とミノさんも言う。
まあ、そうだけど。
……練習か。
めんどくさいな。でもスマホのためだし。
「さ、こっちに来て」
私はミノさんに案内されてピッチングエリアに連れられた。
そしてミノさんは箱からゴムボールを一つ取り出し、私に手渡します。
そのゴムボールは軟式のボールではなく、灰色の握るとぐにゃりと変形するゴムボールでした。
「これをそこのピッチャーマウントから向こうの板に当たるように投げてみて」
ミノさんが奥を指差します。その奥にはホームベース、バッターボックスにはバットを構えた人形。そして本来、キャッチーがいるところにはストライクゾーンの板が立てられています。その板に当てろということでしょう。
私はピッチャーマウンドに立ち、ゴムボールを投げました。
ゴムボールは私と板のちょうど間くらいに落ち、数度バウンドしてからコロコロ転がりました。
「全然ね」
母が呆れたように言った。そして、
「これだと試合で笑われるわね」
「やっぱ辞めようかな」
「スマホはいいの?」
「うっ!」
「なら試合までに向こうまでボールを飛ばせるようにならないとね。ミノ君、よろしくね」
「ええ。なんとか向こうまで届くようにはします」
◯
「まずはフォームから練習しようか」
「フォームですか?」
私だって何も勉強しなかったわけではない。動画とかで見て学んだ。
さっきのゴムボールを投げた時だって、フォームはきちんとしていたはず。
「ゆっくりとスローモーションのように投げてみて。あっ、ボールは投げなくていいから」
「はあ」
私は言われた通り、スローモーションのように投球フォームをする。短冊型のピッチャーマウンドに右足を被せるように置き、体を右に向け、ボールを握る。そして左膝を上げる。ボールを握った腕は後ろへと。そして上げた左足を開き、ホームベースに向け、足を下ろす。その左足が地面に着くと同時に右腕を振り……。
「ストップ」
私は二の腕を上げ、肘を90度にしたところで止められた。
「もう一度やってみて」
「え? はあ」
私はもう一度体を右に向け、左膝を上げます。そして股を開き、左足をホームベースに向けて下ろし、ボールを持った右腕を……。
「そこ!」
「えっ!?」
「ボールを待つ腕。前から持ち上げるように……時計回りに肘を上げたね」
「え? ん?」
「それはダーツ投げだよ。いいかい。投げる時、腕を後ろへと回してくるりとひねる。反時計回りに」
「え? 後ろ? 反時計回り?」
「ええと、こういう風に」
ミノさんは腕を後ろへ回し、拳が上に上がるところで腕をひねる。
「分かる?」
「え? ……いいえ」
「ペットボトルを使おうか」
ミノさんは空のペットボトルを棚から2本持ってくる。その内、一本を私に渡します。
「キャップを持って。そして投げる時はペットボトルの底が前になるように」
ミノさんはペットボトルの底を前へ向ける。
「ではゆっくり投球フォームをするからよく見てて」
「はい」
ミノさんは腕をぶら下げる。そしてゆっくりと腕を後ろへ回すとペットボトルの底が上を向く。肘を曲げ始め、腕を捻り、ペットボトルの底が前に向くようになる。
「同じようにやってみて」
私はペットボトルでミノさんがさっきやった通りに投球フォームを真似る。そしてペットボトルの底を前に向くように腕を捻ります。
「
「ひねりが逆だよ。右回し」
「あっ、はい」
「もう一度」
私はもう一度右腕を下げて、そしてペットボトルの底が上に向くようにゆっくりと後ろへ腕を回し、そして肩の高さで腕を右回しで捻る。すると自然に肘も90度に曲がり、ペットボトルの底も前を向きます。
「うん。いいよ。それが投球フォームだよ。分かった?」
「たぶん」
「それじゃあ、確認のためもう一度やってみて」
それから何回か投球フォームの練習をした後で、
「フォームはもういいかな。ちょっと待ってて」
と言い、ミノさんは棚に向かい、次は大きい段ボールを抱えて戻ってきました。そして段ボールを地面に置き、中には《変わった》ゴムボールをたくさん入っていました。その内、一本を取り出して、
「次はこれを使ってあそこの壁に投げてみようか」
そのゴムボールには矢が刺さっていました。
矢も羽以外はゴム製なのか力を込めるとぷらんぷらんしています。そして矢が刺さった箇所の反対側は大きな吸盤が付いていました。
「これって、今流行りの?」
母が矢のついたゴムボールを見て、ミノさんに聞く。
どうやら母にはこの矢のついたゴムボールに心当たりがあるようです。
「違いますよ」
母の問いにミノは苦笑して否定する。
「これ
「へえ」
「玲君、このボールを投げて、あのストライクゾーンの壁にゴムボールの先にある吸盤がくっ付くようにしてみて」
「はい」
私は矢の刺さったゴムボールを握り、先程の教わった投球フォームで投げる。
矢は変に回転して、ボールを下へと落とす。
その飛距離は普通のボールの時よりひどかった。
「もう一回」
私はもう一度投げました。
しかし、矢の付いたボールは矢が邪魔しているのか、矢がボールの後ろで暴れ回り、ボールは力を
「なんで落ちるのか分かる?」
「いえ?」
「ボールを投げる瞬間と投げ放す時、手首が大きく曲がってるからだよ。正確には手首が大きく動いているってことだね」
とミノさんは矢の付いたボールを握り、投げる前のポーズを取ります。
「この時、手首を後ろへと曲げると……矢の羽は下になるよね?」
「はい」
「そして投げた時、手首を前に曲げると……投げられたボールは羽が上になるよね?」
「はい」
「それじゃあ、ボールはどうなる?」
「落ちる」
「そう。だから手首の曲げはなしで投げるように。手首が固まってるように意識して投げてみて」
「でもそれって本当に上手に投げられるようになるの?」
母が会話に割って入り、ミノさんに聞く。
「怪しいかもしれませんが結構よくなりますよ」
「ふうん。でもさ、手首を曲げるなって言うけどボールって回転が大事って言うじゃない? 手首を曲げないと回転とかかけられないんじゃない?」
「いいえ。回転は指ですよ。変化球だって大事なのは指ですよ。変わった握り方するでしょ。あと、学童野球では変化球は投げては駄目ですから」
「へえ、変化球NGなんだ」
「そうですよ。では玲君、投げてみて。ボールはたくさんあるから、まずは空になるまで投げてみて」
「はい」
そうして私は矢の付いたゴムボールを投げ始めます。
◯
1時間ほど投げてようやく矢が変に回転しなくなりました。
けど──。
「全然届いてないわね」
母が呆れた声を出します。私が投げている間、母は椅子に座り、ぼんやりしていました。
こっちは1時間も投げさせられて、肘や肩がつらいのに。
「でも、フォームはよくなりましたよ」
「試合までには上手くなれそう?」
「まあ1ヶ月あればなんとか」
「もしかして毎日練習じゃないよね?」
「なわけないでしょ。週一よ」
「ええ。玲君には試合まで毎週水曜日に通っていただきます」
「ええ!」
「仕方ないでしょ。このままだとヘボピッチャーよ。あんただって試合で恥をかきたくないでしょ?」
そりゃあ確かにバンバン打たれたらつらいけど。
「しんどーい。筋肉痛だよ」
「嘘おっしゃい! 筋肉痛は明日でしょ?」
「いや、若い子はすぐに筋肉痛になりますよ」
とミノさんが母に言う。
「まじか。若いって、そんなんだっけ? すごいわねー」
母は私の肩を叩きます。
「痛いって!」
◯
帰り際、ミノさんからプリントを渡されました。
「なんですか?」
「おうちでも出来る練習方だよ」
え? 家でも練習しろと?
「それじゃあ、一週間後ね」
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