『風船噛』




 オレは夏休みの予定をかなぐり捨てて、ラヴェンダーを探し始めた。


 『少数派ルサンチマン』の内部聞き込みをしている野崎は、考えを察知されないよう下手に動くなと忠告していたが……、彼女がそこまでしてくれるというなら、オレも何かアクションしたい。


 どうせ野崎がヒントを見つけてくれるまでは闇雲だ。

 繰り返しの日々にも飽きたしな、こうなったら動き回って悪あがきくらいはしてやる。

 それにラヴェンダーはオレを監視していると言っていた。監視というからには、オレに追従して回る必要がある。

 つまり、ラヴェンダーに近づく手がかりはオレ自身。その行動となる。いつか奴がボロを出したところを突ければ、8月から脱出できるかもしれない。


 とは、思うのだが――――、




「っぱ、暑いよなぁ…………」




 『いつもの場所』のラジオで聞いたニュースじゃ、今年は記録的猛暑だそうだ。

 先月から異常気象の噂は囁かれていたが、まさかここまで暑いとは。

 心做こころなしか、ループが始まる前の初めての8月でも流石にここまで暑くはなかったのでは、と思えてしまうほどだ。




「はぁ!? この自販機どれもこれも売り切れじゃねえか。 メロンソーダもナタデココ缶すらも残ってねえ……。 くそ、もう少し歩いてコンビニまで行くか……」




 聴取の帰りに訪れた公園、その緑々しい並木道。

 完売の自販機をガンつける素振りをしながら、横目で後方にラヴェンダーがいないかを探す。

 ランニングやペットの散歩コースとして使われることが多々あるはずの公園だが、この猛暑のせいか人気ひとけがない。

 しかも今日は無風だ、たまの涼しさなんてない。外出する方が馬鹿らしい。




「くそ、流石に今日はやめときゃよかった……。 これじゃあ熱中症になっちまう」




 日の直射を避けて、木の影を歩く。

 行動を始めるまでは少しでも足掻いてやると思っていたものだが、ぐでぐでに茹でられた今ではこんなことに意味があるのか、と惰性で歩を進めている。

 無理をして監視中のラヴェンダーを発見しても、いざと言う時にとっ捕まえるスタミナがなくては意味がない。

 今日のところは、帰って冷房クーラーの下にさらされる方が得策のようだ。



 並木に伝って数分ほど歩いたところで、後方か

急な突風に見舞われた。

 木々が揺らめく。葉の艶がらめく。

 疾走する落ち葉がオレを追い越して転がっていく。




「みぃーつけた。 神無月、煌クン」




 その呼び声に振り向くと、まるで最初からそこにいたみたいに、見知らぬ男が立っていた。


 斜め切りパッツンの黄緑色が入った前髪に、襟足を刈り上げたボブヘアの垂れ目の男。

 高身長を包む、薄手のマウンテンパーカーに、下は足首までぴったり隠したランニングウェアを着用するスポーティな装い。

 膨張と収縮を繰り返すピンク色の風船噛夢フーセンガムに目がいく。




「そうそー、その目のクマ。 君だよ君君君。 ビンゴだ」


「……あんた、誰だ?」


「とぼけなくてもいいってー。 僕のこと探してたのはそっちでしょ?」


「は……? ってことは、お前がラヴェンダーか……!?」




 オレの想像していたラヴェンダーの容姿とは違う。

 まあ……、夢の中じゃデカいからすみてえなマスクに、全身黒コートだから中身なんてわかりゃしねえんだが…………

 こう、雰囲気っつーかオーラっつーか、何もかもこいつとは真逆だ。話し方も全然違うし、コレジャナイ感が半端ハンパない。


 噛夢ガムを破いた男は上から目線で、




「…………ラヴェンダー? 誰それ、知らないんだけど」


「……違うのか?」


「違う、そんなお花みたいな名前じゃないよ」




 ラヴェンダーではない、というのは落胆しながらも納得だ。というか……、もし本当にラヴェンダーなら、こんな風に自分から接触して来るわけがないしな。

 じゃあ、この男は誰なんだ?

 探しているのはラヴェンダーだ。こんなスラリとした高身長の薄顔イケメンじゃない。


 だが……、あちらはオレを知っているみたいだ。

 考えられる可能性はふたつ。

 このイケメンの人違いか、または……、オレが記憶を失う前の知り合いか、だ。




「ただ顔を忘れちまってるだけならすまねえ。 最近、物忘れが酷くてな。 それで……、誰だったっけか?」


「……そんな適当なこといって、逃げれると思ってんの? じゃあさ、こうすれば思い出してくれる?」




 男が両の手のひらで顔を隠すと、手の甲に黒と緑のバーコード模様が走った。

 そして、いないいないバアと驚かすみたいに、バーコード柄のつぼみが開かれる。


 その顔面には、先程まで着けていなかったはずの仮面が張り付いていた。

 ネオンサインのような緑の顔文字が煌々と光る黒面。

 明らかにそれは、権能を扱う者のそれだった。




「お前、それは……!」


「見覚え、あるよね? 良かった良かった。 人違いかと思って一瞬困っちゃった。 でも、今ので確信。 やっぱ、君で間違いない」




 パーカーのポケットから取り出されたのは、黄色のスーパーボールだった。

 それを片手で放ってはキャッチしてを繰り返す。




「それじゃ、始めよっか」


「始めるって、何を……?」




 回答が来る前に、唐突な衝撃が額に衝突した。

 理解しようという考えが起きる間もなく、後頭部からアスファルトにぶつかる。思いもよらない鈍痛が首下まで広がる。


 頭を押さえて悶えていると、男はまたぐようにして上に立った。

 その手にはスーパーボール。黄色だったはずのカラーが、赤色に変わっている。




「ありゃりゃ、まともに食らっちゃったね。 あの時のはマグレだったり?」


「痛ッて……! お前、今、何を……!」


「そーゆうのいいからさ、やろうよ。 君もそのつもりだったんでしょ」


「何の話だよ! 第一、オレはお前のことなんか知らねえって言ってんだろうが!」


「まーだとぼけてる。 僕の仮面見てビックリしちゃった時点で、もうバレバレなんだってば。 面倒臭いし、さっさと終わらせてやんよ」




 何なんだ、こいつ……!


 男の白いスニーカーがオレの頬を踏み付ける。

 足首を掴んで退かそうとしたが、力強い健脚はビクともしない。




「くっ……そ、お前……」




 スニーカー裏からでは男が何をしようとしているのかわからない。上体を起こせず、足で暴れていたところに、突き刺されるような鋭い痛みが連続して腹を穿った。

 全身に駆け巡る緊急信号に、思わず声をあげる。

 痛みを原動力に思い切って男の脚に腕をぶつけ、踏み付けから逃げることができたが……、起き上がることが出来ない。


 視線を落とすと、腹部は穴だらけで真っ赤だった。

 隣に転がるのは、血で染まったスーパーボール。

 この穴は……、こいつであけられたのか!?


 オレははずだ。

 普通、ボールをぶつけられた程度でこんな大怪我するものか。

 まるで……、としか思えない。そんな恐ろしいことが出来るのは――――、




「『そして誰もいなくなったグリッチ・ノイジー・モーションブラー』。 じゃ、さようならだね。 神無月、煌クン」




 直後、何十もの抉るような衝撃と痛みに襲われた。ボコボコと、体に何かがぶつけられているのが分かった。

 それは肉を千切ちぎり、皮を裂き、臓腑の中で破壊を乱反射し、余りのことに一瞬で意識が遠のいた。


 充満する痛みと真っ赤な暗黒に、為す術なく沈んだ。





















   「『椅子取り遊戯ワールドデバッグ』」





















「――――ぅ、ぐッ」




 深い痛みの底から、急に意識が浮上した。

 息切れのまま目が覚めると、これまた既視感のある朝が待っていた。

 まさか、と携帯を探して画面をタップすると、案の定、8月1日 7時13分の表示がそこで待っていた。




「…………マジ、かよ」




 オレは、あのネオンマスクの男に殺された。

 実際殺されたのかどうかはわからないが、オレが見た限り、あの腹の怪我はかなりの出血だったし、あのレベルのダメージを以降も受けたなら、死んでしまってもおかしくはない。

 問題は、この現状だ。




 8月は、死んでもループする。

 その事実は、あまりにも気味が悪く、

 その真実は、あまりにも絶望的だった。







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