『既視』




 登校の準備をしていたら、神無月の両親に「夏休みでしょう、寝ぼけて登校しようとしてるの?」と笑われてしまった。

 LINNEはロールバックされてしまっていて、最新の受信は「夏休み計画会議! お昼にいつものとこ集合!」と遥夏の提案に巻き戻っていた。

 それは一か月前の今日、8月1日に送られてきたはずのものだったのに。


 『いつもの場所』。

 操車場の近く、放置されたコンテナ墓場のうちのひとつ。そこで、仁の持ってきた災害時用のポータブル電源にコードを繋ぎ、扇風機を二台も稼働させて涼を得ていた。




「……煌、野崎さんがいないうちに聞きたいことがあるんだ。 あの校外学習の博物館で見た包帯のテロリストと、彼女は……、同一人物か?」




 それも……、一ヶ月前に話したものだ。

 ディオの件では権能の影響で記憶曖昧になってしまったようだから忘れてしまっても仕方がないが、これほど重い話だ、普通には忘れられるはずがない。

 それなのに仁は、たったの一度も聞いたことがないなんて顔でそれを聞いてきた。

 まるで……、81




「どうなんだい? 沈黙はイエス、と受け取るべきなのかな」


「……一応、確認させてくれ。 この話、前にも話したことがあるよな?」


「えっ……? いや、初めてだけど……。 まさか、とぼけようとしてるのかい? 何か隠している、そうだろう?」




 仁は本気だ。

 どうやら、本当に憶えていないらしい。




「どうして何も相談してくれないんだい。 煌が何か抱え込んでることは分かってる、力になりたいんだよ」


「ありがとう、仁。 有耶無耶うやむやに隠すつもりはない。 全部話す。 あの日のテロリストと野崎は……」


「おまたせ〜、アイス買ってきたよ〜!」




 コンテナに顔を出してきたのは、四本のアイスを手にした遥夏だ。

 そうだ、これもあの日の通りだ。

 なら、次にコンテナに来るのは……




「最近、煌と野崎ちゃんって仲良いでしょ? 転入してすぐあんなことも起きちゃったし、友達少なくて寂しーって言ってたから、大変だろーなーって思って! 呼んじゃった!」


「お邪魔します」




 そう、野崎だ。

 流れも、会話も、全部一ヶ月前と同じだ。

 日常でたまに感じるような既視感とは、比較にもならないほどの圧倒的な不気味。

 こんな不思議は、権能の影響でもなければ起きるはずがない。


 ここ最近、権能に関わったことなんてたったの一度も――――、いや、あった。

 夏休み最後の日に見たあの夢。

 黒鴉の男が、権能がどうのと話をしていたのを思い出した。

 となると、相談すべき相手は…………




「なあ、野崎。 ちょっといいか……」




 仁と遥夏が話しているところを狙って陰で耳打ちする。

 アイスに吸い付きながら、野崎は何か気持ち悪そうに耳を傾ける。




「今日って、なんか変じゃねえか?」


「……どういう意味だよ?」


「オレもうまく説明できねえんだけどさ、なんか、一ヶ月前と同じ日をまた送ってるっつーか、今日は9月1日のはずなのに、8月1日に戻ってるんだよ。 お前は気付いてねえのか?」


「何を言い出すかと思えば。 君は前から浪漫主義ロマンチストで、現実離れした夢ばかり語る奴だと思っていたけどね、遂にそれが極まってしまったな。 あー、嫌だ嫌だ。 意味不明な寝惚ねぼけ事を聞かせないでくれよ」


「おっ、お前ぇ……!」




 駄目だ。この様子じゃ、野崎も他の奴らと同じでこの異常に気付いていないらしい。

 不思議に関しては野崎に任せきりだったものだから、野崎が把握していないとなると、急に手詰まりに感じてしまう。


 だが、一ヶ月前の8月1日を再び送っているということ以外の不思議は起きていないみたいだし、ロビンソンやディオの権能のような、命に影響する実害があるワケでもないようだ。

 何に巻き込まれているのか分からないが……、今はあまり騒ぎ立てず、様子見が安定かもしれない。

 野崎に言われた通り、これはオレの寝惚ねろぼけた夢なのかもしれないし、明日、目が覚めれば元の9月1日に戻っているかもしれないからな。


 他愛のない雑談と、遥夏の夏休み計画を聞き、オレ達は西日を浴びながらアイスを買いに行った。

 一日の終わり、ベッドの上で不思議を想いながら眠った。


 目が覚めても、8月は続いた。

 8月2日、8月3日と、記憶通りに日々を過ごすうちに、この様子じゃあ、この夏はしばらく続くことになるとどこかで覚悟してしまっていた。

 野崎に相談しようとも答えは分からず。ならば、他に異常が起きるまではこのまま様子見するしかない。

 そう落ち着いてからは、惰性の生活が始まった。


 ゼロからにリセットされた宿題を消化しながら、全く同じ日々を過ごしていく。

 退屈な毎日の楽しみといえば、神無月の両親が家に置いている本棚を、上から下まで読み潰すことだった。

 活字に連れられて、夏が過ぎていく。


 海へ行く。

 海の家を楽しむ勝人と野崎。

 夕焼けの電車に揺られる。


 遥夏の家に呼ばれて、宿泊会。

 おかしなボードゲームをするが、

 サイコロの出目まで全て記憶通りでつまらない。

 男女別々の部屋で気絶するように眠る。


 夏祭りに集まる。

 出店を楽しみ、人混みに押される。

 花火の下で「夏休みももうすぐ終わりだね」。


 自由研究に、七不思議を調査することになる。

 記憶と同じルートで侵入し、全く同じ結果に終わる。


 そして……、8月31日、夏休み最後の日。

 遥夏に秘密基地に集まろうと言われるが、

 宿題や明日の準備で、集まることは叶わなかった。



 この一ヶ月、本当に何も変化がなかった。

 まるで劇場が同じ演目を連日公演するところを、二日続けて見に言ったみたいだった。

 まあ、二日なら可愛いものだ。長尺の劇だろうと見ていて新発見があり、内容が面白ければそれなりに楽しめるだろうからな。

 だが、実際は二ヶ月だ。……これは流石に辛い。



 今日は、やけに眠い。

 思い出せば、一ヶ月前の8月31日もそうだった。

 夏休み最後だからと、惰眠を貪り眠りに落ちたところで、あの夢を見たんだ。

 このまま眠ったら、あの日と同じ夢を見てしまうかもしれない。もしそうなれば……、また8月1日からやり直させられちまうのか?

 無理だ、これ以上は。

 確かに8月は楽しかった。『いつもの場所』のメンバーと青春を送り、それなりに充実していたと思う。


 それでも……、同じ一ヶ月が続くというのは、結構、精神的にクるものがある。

 全く同じ内容の宿題、全く同じ友人との会話、全く同じ夏の夕日……。

 いつまでもそんなのを繰り返していたら、おかしくなってしまう。今度は正しく9月に突入したい。


 眠気に耐えて本を読み、風呂に入り、妹と会話し、時間を潰した。

 もうすぐ時計は0時。

 このまま起きていれば、8月を越えられる。

 グラスに注いだ炭酸飲料を味わい、分針が進むのを待った。


 遂に残り一分ほどで夏休みが終わる、というところで、その不思議は起きた。

 太陽は沈みきり、夜の帳が支配していたはずの窓外から、茜色の明かりが膨らみ始めた。

 救急車でも外に止まったのかと不審に思い、カーテンを開いて窓を解錠すると、その不思議は視界いっぱいに広がった。



 真夜中に存在するはずのない夕焼けが、

 一面の空を侵蝕していたのだ。


 あの赤は、あの夢で見た夕日と同じ――――






 まばたきをすると、

 既に景色は変わっていた。


 眼前には、水平線まで続く夕焼け。

 無限に続く幻想世界に飛ばされていた。




「…………ここは……」


「久しいね、『特例』の君よ」




 夕焼けの黒点、その人影。

 鴉面で顔を隠す、季節外れの夢男。




「夏は楽しめたか? 惜しいくらいだろう、安心しろ。 、夏を楽しみ続けてもらって構わないさ」


「……やっぱり、この異常はお前のせいか?」


「私ではない。 君だよ。 君自身が、この異常を起こしているのだ。 君の罹患した『黄昏症候群トワイライトシンドローム』がね」




 こいつは前に見た夢でも、同じことを言っていた。




「その『黄昏症候群トワイライトシンドローム』って何なんだよ? どうしてオレは二度も8月を送ることになったってんだよ?」


「どれだけ絶望的だろうと、患者に正しい病状を伝えるのも医師の義務だな。 8月を繰り返す理由、それは、それそのものが君の罹患した病気の症状だからなのだよ。 君が発症した『黄昏症候群トワイライトシンドローム』は、風邪やインフルエンザのように発熱や咳嗽せきのような一般的な症状を持たない。 その代わりに、一ヶ月に一度、発作を起こす。 それが、今の君だ。 発作が起きれば、ここへ来る。 そして目が覚めれば8月の頭に戻される。 永久に8月を繰り返し続ける。 君はもう、狂うまで救われない。 それが私の『椅子取り遊戯ワールドデバッグ』より産み出た、新世界の病だ」


「意味わかんねえよ、どうしてオレがそんなことに……!」


「言ったろ、私はロビンソンに代わる、君の新しい監視役だ。 君はロビンソンとディオを退しりぞけるほどの本領を持つが、その尻尾を見せない。 だから私なりのやり方で監視をすることにした。 8月フラスコに閉じ込めて、極限を引き出すのだよ。 何日、何ヶ月、何年が必要になろうと、君はもう8月から抜け出ることは出来ない。 諦めて、主治医の私に全てをさらけ出してもらおうか?」




 夕日が歪み始める。

 赤が雲も水面も、全部を染めていく。




「『椅子取り遊戯ワールドデバッグ』。

 さあ、また世界の何処かで、

 誰かが損をこうむることになる。

 それを見た誰かが、泡銭あぶくぜにを拾う。

 それは君か、将又はたまた、私か。

 この間違いバグだらけの世の中にメスをれ、

 調律バランスのとれた世界に戻そうじゃあないか」




 鴉面の目に位置するゴーグルのグラスが、紅色に輝く。

 その後ろから伸びる夕日の赤が、オレを飲み込んだ。

 眩しさが網膜に張り付いて剥がれない。

 目を押さえて膝をつき、水面に倒れ込む。



 そして、夕日の前に沈んでいった。












「――――ッが!」




 水の中にいたような息切れから目が覚めると、既視感のある朝が待っていた。

 急いで携帯を探して画面をタップすると、案の定、そこには8月1日 7時13分の表示。




「嘘、だろ…………」




 夢に出てきた鴉の男が言っていた通りだ。

 オレは間違いなく、8月を繰り返している。






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