『仮面の理由』




「まさか警察に仮面を拾われていたなんてね。 それに加えて、ディオが逃げ出して、特務課なんて奴らが煌を疑ってる? 想定外のことだらけだ」


 野崎は遠回りに遠回りを重ねて、跡をつける者がいないかを確認してから、やっと聴取の内容を聞いてきた。

 オレが全てを伝えると、仮面を押収されたのが余程ショックだったのか、他にも抜かりがないか確認するために、あの日の事件の流れを頭から再確認しはじめた。





 事件の日は、何の特別もない平日だった。

 神隠しとまで言われた失踪人、御山翔太郎は約11年の月日を泥の中で耐え、遂にその日、山から降りてきた。

 御山の目的は学校を危機から救い、自身が英雄として讃えられることだった。そのために、その手で事件を引き起こし、自らの手でそれを解決することで、マッチポンプの要領で栄光を得ようとしていたのだ。


 ヒーローマスクを被り、ディオと名乗った御山は学校へ侵入し、職員室で権能を使用して教師陣を洗脳。校内放送を操り、学校中に混乱を振り撒いた。

 洗脳にかかった者は権能の効果でゾンビとなり、ホームルーム中だった生徒達を襲い始める。ディオは事件を嗅ぎつけ突如現れたヒーローを装い、ゾンビを撃退して生徒達を救出していく。

 そして、生き残った生徒たちを体育館に誘導し、フィナーレの準備を進めていった。


 オレと野崎は校内を逃げ回り、ディオの正体と権能の効果を識別しようと奮闘していた。

 権能によって変身したテロリストに道を阻まれながらも、ディオを探して体育館へ向かい、オレ達は奴の能力の詳細を知った。


 敗役はいやくを振るう才能『悲劇の誕生ロールプレイング』。対象への直接接触、または権能効果を宿した物を相手に渡すことで発動し、ディオの宣言した敗役の特性に洗脳される、恐ろしい仮面の能力。

 その権能を以て、ゾンビやテロリストを学校に呼び込んだという設定の悪役を作り出し、その者を観客の前で倒し、殺すことで、ディオは英雄として決定的な功績を得ようとしていた。

 なんとその悪役には、ディオの五連勝伝説を塗り替えようとしていた勝人に配役されていたのだ。


 ディオの凶行を止めよう動いた野崎だったが、役職の束縛にかかってしまい、オレは選択を迫られた。

 このまま勝人を見殺しに事の終息を見守るか、返り討ちにあう危険に身を投じてでもアクションを起こすか。

 選んだのは当然、後者だった。オレは勝人の代わりに悪役を名乗り出て、ディオを止める好機チャンスを伺った。


 殺陣の末、ディオの自己顕示欲を逆手に取り、彼が理想とする舞台展開を故意に作り上げることで、仮面を自分から外させるように仕向けることができたのだった。

 仮面を外したことで権能は解除され、影響下にあったものが全て元に戻る。その隙を突いて、野崎と協力し、ディオを打ち倒すことに成功した。

 その後、すぐに到着した警官達から怪しまれないため、観客席の生徒たちに紛れて体育館内に隠れ、そこで目を覚ました振りをした。


 これが、あの日の一部始終だった。





「勝人君は大怪我で入院して一命を取り留めたって言ってたね。 五連勝伝説の裏面、『失踪の六戦目』は実現しなかったという訳だ」


「ああ……、勝人が助かったのは野崎、お前のおかけだ。 お前がいなかったら、ディオに太刀打ちできなかった」


「当然だね。 太刀打ちどころか、他の生徒達と同様に訳も分からず観客役にされて終わりだったろう」



 つけ上がられるのは気に入らないが、本当にそうなのだから何とも反論は出来ない。勝人たちを危険に巻き込んだ野崎が、今度は救う側に回るなんて、思ってもみなかった。



「……ディオはあそこまでして、どうして英雄なんて呼ばれたかったんだろうな」


「おいおい、それは煌が一番分かってるだろう? そうでもなきゃ、あんな作戦は土壇場で思いつけない。 自己顕示欲さ。 人なら誰だって持っている、欲求のひとつだよ」


「それは分かってる。 気になるのはきっかけの方だ」



 自己顕示欲。

 主役になりたい、目立ちたい、褒められたいっていう、誰にだってある欲求のひとつだ。

 でも、あそこまで歪んじまうには何か、劇的なほど固執しちまうきっかけがあったはずだ。

 どんな過去を持ってりゃ、他人を身勝手に犠牲にするような計画に、長い月日がかけられるっていうんだ?

 倫理観なんかを飛び越えられるような高尚な理由でもねえと、説明にならない。説明されたって、納得出来る気もしないが……



「……まだ煌は分かってないな、この世の中を。 いいか、。 八十億もの人間がひしめくこの星で、世界一に輝けるなんてことはほぼ有り得ない。 コンクールで賞を取った、好きな異性との交際が始まった、そんな程度の幸せが、普通の人間の絶頂なんだ。 そしてそれは、マイナスも同様なのさ。 夢がやぶれた、伴侶に先立たれた、その程度が人生の最低だ。 宇宙から侵略者がやってきて、見たことも無い武器やミサイルで地球を脅し、生体サンプル獲得のために人類の中からたった一人だけ生贄をよこせと言われ、クジ引きで決められたのが自分だった、なんて超劇的な不幸は起きないんだ。 絶頂と最低の波の振れ幅は小さく、普通はほぼ同じくらいなんだよ」



 まるで野崎は自分の話をしているような口調で、



「だけど、ディオのように歪み狂った奴は世の中にごろごろといる。 つまりね、歪むのには劇的なイベントなんて必要ないのさ。 じゃあどうして? 答えは、小さな悲劇と緩急つける幸福の積み重ね。 それが、狂人を産みだすのさ。 ディオが実際どうだったかなんて、本人しか知るよしもないけどね、奴の自分語りを聞いて推測すると……、彼は過去の成功体験、あの五連勝伝説程度が人生の絶頂になってしまうだろうと、少年心で気がついてしまったのだろうよ。 それはもう、絶望だろう。 あとは最低と小さな幸せを繰り返す普通の人生が待っているんだから。 大人はよく言うだろ? 学生時代が僕・私の人生の華だったってさ。 ディオはそういう、普通でいることにどうしても耐えられなかったんだろう。 自分なら絶頂を塗り替えられると信じ、しかもその機会を天運に任せず、自分の手で掴もうとしたんだ。 それが、先の事件を起こそうと考えた理由だろう、きっとね」



 憶測だらけで決めつけだらけの話だが、野崎のそれには妙な信憑性しんぴょうせいを感じた。

 それは野崎が、ディオと同じ仮面を持つ者として事件を起こした過去があるからだろう。

 狂気のディテールは、狂った者同士にしか暗黙に見通し得ない。それが、彼女の言の葉から伝わってきた。


 じゃあ、野崎は?

 野崎もそんなディオと同じように、日常の積み重ねで歪んじまったっていうのか?

 オレは知る必要がある。

 彼女を。仮面を持つ者を。



「……野崎、お前もそうなのか? お前も、デカいきっかけなんてない、普通の連続と先の不安ってのが仮面を被らせたのか?」


「私のことはいいだろう、聞かなくたって」


「いいや、聞きたい。 聞かせてくれ。 オレはお前のことを知りたいんだ。 友達のことを知りたいって思うのは、当然のことだろ?」


「フン、またそれか。 随分と使いやすい切札言葉にされたもんだ。 ただの交渉関係だというのに」


「それでも、友達は友達だ。 憎んでたって、疑ってたって、友達だ。 お前が先にそう呼ばれる関係を望んだんだろ?」


「……………………」




 野崎はこちらを見ることすらせず、無言で歩く。

 かなり苦い顔をして十数秒。

 遂に、開口した。





「父の挫折した夢を代わりに叶えてやりたいんだ」





 包帯の隙間で、言葉を選ぶ目が泳ぐ。




「父は、絵描きだった。 夢は、絵で売れたい。 ……ただそれだけだった。 狂乱する母から私を匿う時は、いつも父のアトリエに入れられた。 私はそこで、夜な夜な写生にふけった。 外界から遮断され、テレビもコンピュータもない部屋で、本の挿絵や写真を模写し続けたよ。 いつの間にか、絵だけが私の取り柄になっていった。 溢れる表現欲だけが、私という定義の領分を埋めていった。 褒めてくれるのは父だけだったけど、それで充分だった。 父は母の分も働きづめだったが、ある日から急に家に金が入ってくるようになった。 ……その頃から、好きだった父の絵は、急にスタイルが変わったんだ。 それが、近代美術と呼ばれる抽象画風だった。 これまで微細で美しい絵を描いていた父が、わけのわからないぐちゃぐちゃな何かを創り、それを著名な画家の名を借りて売っていると気がつくには、そう長い時間は必要としなかったよ」


「…………それは、家族を養うための方向転換ってやつか?」


「そうだね。 でも、父は悩んでいた。 日に日に薬の量も増えていったし、絵で悩むと母に殴り返すようになった。 父の心中も、あの抽象画みたいに、ぐちゃぐちゃに、理解不能にされていった……。 なにかおかしくなった原因があるはずだと、私は父の寝室を探り、そこで取引のメールを盗み見た。 そこで知ったよ。 家計の弱みを狙って、悪徳をそそのかした悪党どもの存在を。 画風のスタイル変更を促し、他人の名を借りて絵を売るゴーストライターなんて悪魔の商法を提案したのは、美術界の大御所が大勢参席しているメジャーなマネージメント事務所だった。 父は、業界の穢れに操られていた。 しばらくして、父は本当に狂った。 母と無理心中したよ。 残ったのは私だけ。 そして私に残されたのは、好きだった父の画風、超微細な写実志向だけだった」



 野崎の横顔は、深い悲しみと震える怒りに満ちていた。

 彼女の辛みは、オレには分かってやりきることはできない。それでも、その過去は歪むのに充分なほど悲劇的であることは、美術に一切の造詣がないオレにでも理解出来た。



「一年後、私は『少数派ルサンチマン』と出会った。 指導者の男は、憎しみも望みも、何もかも叶えてやると言い放った。 もう私には絵を見せる人もいなかったし、何にだってすがりついて、腐った世の中を塗り替えてやるって、その為に必要な力を望んだ。 そうして、私は仮面を被った」


「……野崎、今の話のどこが普通だっていうんだよ? お前は……」


「いい、聞きたくないよ。 私は慰められたりするにはもう遅い、随分と悲しみすぎた。 君は今の話を悲しい物語だと思うだろうけどね、渦中にいる私には分かる。 周りを見れば同じレベルの悲しみはごまんと転がっている。 だからね、これからは普通以上になれるよう生きるって決めたよ。 私の人生を、悲劇だったと大口叩けるようにね。 そのためには、父の、今や私の夢の通り、売れる必要があるのさ。 売れている者の過去しか世間は悲劇として捉えないからね。 酷いもんだよ。 ただ、この夢には前提目標がある。 穢れた業界を、歪んだ大人を、腐った世の中をぶっ壊すって目標さ。 ……ここまで話せば分かってくれたかよ? 私は友達が君以外にいないからさ、友達にどこまで話していいものか分からず、全部話しちまったよ。



 野崎が自己開示した時は、いつもその口癖を使う。

 でも今日は、いつもとは違う。

 まるで嘆くみたいに言い放って、目を逃がしていた。



「そんなの、オレは――――」


「いい、不要だ。 何度も言わせるな。 ここまで君に話したのは、君が友達だから友達だからと度重ねて情緒に訴えてくるものだから鬱雑ウザったくて、もう二度と私に深入りさせないためにここではっきりさせたんだ。 いいか、これ以上、この話は無しだ。 君が友達っていうなら、友達が嫌だということはするなよな」


「……ああ、分かった。 でも、これだけは言わせてくれ。 野崎さ、話してくれてありがとな」


「……次に口を開いたら、その首を作品にしてやるよ」



 野崎も御山も、その表現欲も自己顕示欲も、普通じゃない。彼女らは、きっと本当の異常だ。

 ただし、異常なのはその行動や思考だけじゃない。起因となる過去だって普通じゃなかったのだ。


 野崎は語った過去を普通だと言っているが、どう考えたって普通じゃない。きっと彼女は、積み重なる日々に時折訪れるマイナスのモーメントだけを摘出して話したつもりでいる。だから人生全体の平均値に見れば人生の波は劇的というほどではないと言いたいのだろうが、それは明らかに劇的だった。そう、悲劇だ。引き伸ばされた悲劇だ。


 それでも彼女が、きっと御山も、自分らの運命を普通の範疇だと言い聞かせてきたのは、それが、彼女たちなりの異常に対する心理的ストレス回避の方法になっていたからだろう。

 みんなこれくらいは当然苦しんでいる。世界一の苦しみではないって暗示しながら、震える怒りや絶望、普通で収まることに耐えられず、世の中に食らいついた。


 それが仮面を被るに至った、理由だったんだ。

 異常に目を伏せるための、仮面だったのだ。


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