『英雄に必要な階段』
野崎の落とした銃を急いで拾って、ディオへと向ける。
「野崎を元に戻せ、ディオ!」
「駄目だッ! その願いは聞けないな!」
他者へ敗役を振り与える力、それがこいつの仮面の能力。観客役を任命されれば、観客としてディオの
「成程、……ね。 あのゾンビとテロリストたちにも納得がいったよ。 私はお前の権能を、ゾンビを増やすことも、テロリストの顔を全く同じにしてしまうことも出来る、応用の効く能力だということまでは推理できたけど、その本質まで見抜くことは出来なかった。 けれど、正体を知った今だから言える。 そんな身勝手な権能、見抜ける訳がなかったんだよ。 なんて言ったってお前は、人に触れるだけで相手を好き勝手に
そう話す野崎の着ているシャツが、ズボンが、靴が、全身の包帯が、じわりじわりと漆黒に染まっていく。
「ゾンビは有り得ないほどの重傷を負っている奴ばかりだった。 テロリストも、覆面の下はどいつも同じ顔をしていた。 どういう訳か分かった。 あれは、メイクアップだったんだな」
「オオオオー! 流石は我と同じ、仮面を持つ者だッ! その通り、我の
「私は裏方役……。 この黒染めは、黒子という訳か? 美的センスもないモノクロ姿にしやがって!」
野崎はすっかり全身真っ黒になって、背後の遮光カーテンに紛れてしまった。その姿は、演劇における暗闇の中の補助役。観客に姿を見られないよう配慮された、サポートに徹した姿に他ならなかった。
「君たち凡人だって、一度は夢見たことがあるだろう? 学校にゾンビが大量発生したらどうしよう、テロリストがやってきて占拠したらどうしようという妄想をッ!
「馬鹿も休み休み言えエゴ野郎ッ! オレはまだお前の権能を受けていない! オレならまだ、銃の引き金を引けるってことだ!! もう一度言う、野崎を、生徒達を解放しろ!!」
銃を握るのは、これで二度目だ。
もし三度目があったとしても、この重量感と緊張には慣れられそうにない。
というより、慣れちゃいけない。慣れるべきではないものなんだ。それが、普通だ。普通の人間らしい情緒ってもんだ。
野崎もディオも、オレよりずっと銃を握った経験があるだろう。なら、これがどれほど脅威的か理解しているはずだ。
引き金を引く勇気の無さを、銃に宿る抑止力でカバーする。
折れてくれ、ディオ。
オレは友人たちの為なら、これを撃っちまうかもしれない。だから、撃たせるな。撃たせないでくれディオ。
オレはお前らのように、こんなものに慣れたくはない。人を傷つける経験なんてしたくないんだよ。
「どうやら銃を盾に必死みたいだが、既に君は無力だッ! 手に持ってるものを良く見てみろッ!」
どろり、と。
溶けたソフトクリームみたいに、握った銃の先端が液状化し、オレの手を伝っていた。
「そこの包帯君は、我が
「なっ……!?」
銃は発射機構と、その為の弾丸があって初めて脅威となる。
その両方を野崎の権能で補っていただけに、権能が解除されれば、オレの握っているものはただの溶けたガラクタと化してしまう。
「これで分かったな!? 我は最強だ! 我は無敵だ! 我は全ての中心だッ!! 仇なすことすら許されんのだよッ! さあ、凡人の君よ。 包帯君と同様、我が配役を受け入れるがいい!」
「……っ、クソッ!」
悪あがきに溶けかけの銃をディオに投げつけ、クイックターンして遮光カーテンを勢いよく
触れられるだけで奴に敗役を振られちまうっていうなら、逃げ道はこちらしかない。体育館の中へ、逃げ込むしか。
カーテンの奥は、暗闇だった。
舞台袖に繋がる小階段から射し込む光が、唯一の頼り。
その光の直線を目で追うと、進行方向先にスライド扉があることに気が付き、走り込んでそれを思い切り左右へ開いた、が。
目に入ってきた体育館内の様子は、明らかに異様だった。
照明が落とされ、舞台からの光だけで顔の照らされた暗闇の中の生徒たち。彼ら彼女らは皆、完全均一にぴっしりと並べられたパイプ椅子に座り、式典に出席している時のような堅い座り方で、ただただ真っ直ぐに前を向いている。
ディオは先程、体育館内の生徒らは手錠をしていると言っていたが、あれは野崎に鍵を受け取らせるためだけのブラフで、実際には誰一人として縛りつけられたりなんてしていなかった。
いや、そんなことをしなくても、彼の仮面の能力さえあれば、生徒らを一人残らず無力化し、反抗できぬよう強制させることが可能なのだから。
体育館いっぱいに集められた生徒たちは、静かにディオの用意した公演を観劇する、熱狂的な観客達と化していたのだ。
「悪いがクマの濃い君も、今回は諦めてくれ!」
背後から外光と共に届いた声に、振り向く。
「確かに我には、本来こんな立場でなければ君らを巻き込んでいい理由なんてないかもしれないが、逆説を唱えれば、君らが我の計画を止める必要なんてのもないはずだッ! だから今回は、我が公演を楽しむ側に回るってのはどうだ! 共に英雄劇を完成させようじゃないかッ!!」
「何を言ってやがる! お前は今自分で言ったよな、オレたちを巻き込んでいると! 何人死んだと思ってやがる! どれだけの大事になったと思っていやがるッ! これだけ巻き込んでおいて諦めろ? 大概にしやがれッ!」
「そうか! 成程確かに、それは説明不足だったッ! 失敬失敬、いやあ言い忘れていたなッ!」
うっかりしていたと言いたそうな様子で、
「実は我が
全て、元通りになる……?
ディオのやったことが、あのゾンビが、あのテロリストが、あの惨劇が、全てなかったことになるだと?
「ただし、メイク落としが起動するには劇を幕切れまで公演し続ける必要がある! エンディングまで到達せず、中途半端に終わってしまえばそれまでなのだッ! ……ムム? ムムムム! 信じられないようだなッ! だがそれで結構。 元より理解など求めていないのでな! だが我は別に、大殺戮を計画したかった訳では無い。 大殺戮の計画を阻止するという戯曲で、主役を演じたかっただけなのだッ! 人が死ねば、観客が減る。観客が減れば、英雄を讃える者が減る。英雄を讃える者が減れば、我は満足出来なくなるッ! だから、人が死ぬような出来事は、我だって反対なのだッ!!」
……もしディオの語ることが、全て本当なら。
こいつは恐ろしい力を持ってはいるが、劇を終幕までやりきりさえすれば、権能によって起きた全ての事実がリセットされる。
誰も傷つかなかったことになり、死んだ者は生き返り、負傷した仁も元通りになる。
ならば下手に対立するより、いっそこいつの言う通りに物事を進めちまった方が、穏便に事件を終息させられるかも知れない。
「……あんたの考えはよく分かった。降参するよ、英雄劇ってやつの邪魔はしない。だから、約束してくれ。 全て終わったら今日巻き込まれた人達を全員、元通りにするんだ。いいな?」
「ああッ! 当然だとも!! ちゃんと悪党以外は全員元に戻すさ!!」
ディオは子供用ヒーロー番組の決めポーズのような手振りで、オレの期待を裏切る答えを突き出してきた。
「我が
「……どうせその悪党のリーダーってのも、お前が勝手に配役した縁もゆかりも無い他人なんだろ? 誰なんだよ、そのリーダーってのは?」
「それは違うな! 縁もゆかりも無いほどの者を急に悪の指導者なんて大役に配役する訳がなかろうッ! それなりに理由のある者を探し出してきたさ!」
約11年も人里から離れていたディオが、大役とまで呼ぶ指導者の位置に配役した人物? そんなの、ディオがこの学校に在校していた当時の関係者くらいしか候補が思いつかない。
教師や友人、家族あたりが可能性に入ってくるだろう。 他に思い当たるとすれば、彼の伝説に関係する人物だが――――、
…………伝説?
ディオの伝説とは、単身で様々な部活動破りに挑戦し、見事に五連勝を勝ち取り英雄と称された
そういえば、この学校にはたった一人だけ、五連勝伝説に関係している生徒がいる。
「先日、我が山から降りてきてすぐのことだ。 我がいないというのに、生徒たちはとある一人の働きに目を奪われ、声を上げて校庭に集まっていた。 その者は伝説を超え、記録を塗り替え、英雄の名を奪い、この学校から我が存在を忘れ去らせようとしていたのだッ! 大悪党だッッ!! 憤慨した我はその者を見つけ出し、悪党の頭目として配役したぞッ!! それが、彼だ!」
ディオは途端に走り跳躍し、舞台袖へ裏から登壇するための小階段へと上がり、射し込む光の隙間に指をかけて、黒い幕を音を出さぬよう、ゆっくりと開いた。
舞台後方から照射される光に一瞬の目潰しを食らったが、すぐに中央に立つ人物へ目のピントが合った。
迷彩服に身を包み、肩からベルトに繋げられた小銃を提げ、ボサボサしたボリュームのある黒髪をオールバックで押さえた男。
予感は、最悪にも的中していた。
異様な格好をしているが、
その顔立ちは、よく知っている彼だ。
「紹介しよう。 テロリスト達をけしかけ学校関係者と生徒を襲い、校内にゾンビウイルスをばら蒔いた悪の指導者ッ! 相原勝人ッッ!! 彼を殺し、我は真の英雄となるのだァーッッ!!!!」
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