パスカル

第七話

 僕はユリスが手綱を引く馬の後ろに乗って移動していた。聖堂から離れていって地面が岩と石で覆われた場所から降りていって森の中に入る。

 僕はさっきのことを問いただした。


「ユリス! なんであんなことしたのさ!」

「ん? なにが」とユリスはわざとらしく言った。

「なにがじゃなくて! なんで四人を殺そうとしたんだ! それに、せ、セリーヌが……!」

「黙ってて悪かったな。なあ兄弟。奴らってのは説得じゃなんとかできないもんだよ。喋れなくするしか……うおっと!」


 闇に沈む視界の悪い森の中、馬が進むには向かない斜面で、よろけながらも馬の手綱を操りながらユリスが言う。


「実は俺も城に帰ったら父上を殺そうと思ってんだ」

「えっ!?」

「兄弟、一緒に自由になるんだ。誰かに人生を決められることも無い! 僕たちは僕たちの望む人生を掴むんだよ」

「……ユリス。ずっと分かんないよ。なんでユリスは僕に気にかけるの? 会ったことなんてなかったじゃないか」

「それはね……あの日手紙を渡しただろ? 俺はあの時に君を一目見て分かった。君は俺と同じだ」

「何が……?」

「俺と同じ人間だってこと。俺も父上から王になるために色々と教育されてきた。……まるで父上の操り人形のようにね。君もそうだろ? 王座になんて興味が無いと思ってる」


 返す言葉が無かった。実際その通りだからだ。僕はセリーヌたちといつまでも屋敷で暮らせればそれで良かった。


「一緒に自由になろう! ……まあ父上を殺したら俺が王になるしかないんだけどね。でも押し付けられたのとはだいぶ違う。パスカルは何がしたい?」


 急に振られた話に僕は返答に困った。しばらく考える。

 具体的に何をしたいかは分からないけれど僕の望みははっきりしていた。王の息子だとかそんな運命が無いのなら僕は―――。


「セリーヌと一緒に居られたらそれで良いんだよ」


 ユリスが怪訝な顔をして一瞬振り返るとすぐに顔を前に向けた。僕は続ける。


「本当の姉弟きょうだいみたいにずっと平和に暮らせていければ、僕は―――」

「何か来てる! 構えろ!」


 ユリスが言った瞬間、僕のすぐ横の木を揺らして現れた影があった。木の葉の激しい音と共に現れたそれは間違いなくセリーヌだったが人間と言っていいのか怪しい姿をしていた。

 全身のほとんどと顔の左側全体を黒い傷跡が覆い、目は白目の全てが赤く染まり、人の形をしていない真っ黒な両腕と右脚を動かして馬と並走している。


「パスカル! 大丈夫!?」


 僕はセリーヌのその姿に恐怖を覚えていたもののその声を聞くと安心してしまう。


「ちっ、化け物か! 今度こそ死んでくれよ!」


 ユリスは手綱から左手を離して上に真っ直ぐ伸ばす。広げた左手の上には光の球が生まれた。それはさっきセリーヌに当てたものとはまた違い、ゆっくりゆっくりと膨張していく。

 セリーヌが馬の脇腹に触れ、その後反対方向に触れた腕を横に振りかぶった。それを見たユリスが言う。


「いいのか!? 馬を揺らしたらパスカルも無事じゃすまない!」

「……っ!」


 悔しそうに歯ぎしりするセリーヌ。その間にも光の球は大きくなっていく。アレクシオスからチラッと聞いた事のある魔術だが、習得するには並々ならぬ努力が必要らしい。

 僕はユリスに言った。


「待って! やめてよ! セリーヌが死んだら僕は……!」

「じゃあどうする!? あいつのとこに戻って王の座を目指すのか?」

「そ、それも嫌だけど……」

「パスカル! 怖がらないで私に飛びついて!」とセリーヌが僕に言った。


 僕は走っているセリーヌと目を合わせる。僕に向ける優しい視線には何も変わりは無かった。その時片手のみで器用に手綱を操って馬を進ませるユリスが言った。


「行くな! 君の自由を縛ってくる奴らのとこに戻るのか?」

「デタラメだ、聞くな!」

「パスカルを王にさせるって躍起になってるけど、なんて都合のいいように飾った押し付けだ! 僕はパスカルの人生をパスカルの自由にしてやれる!」

「違う! ぜ、全部パスカルのためにやってるんだ! 信じてくれ!」

「僕の父上と同じこと言ってんな……!」


 僕は固まっていた。セリーヌに飛びつくべきか、このままユリスの後ろに乗っていくべきか。ユリスの光の球は充分なほど大きくなっていた。


「君はどうしたい! 何がしたいんだ! いつまでも待ってられないよ!」ユリスから急かされる。


 どうすればいいか、何をすればいいか、考えてみると色々なしがらみや事情が絡まりあって僕を縛り上げる。なのでもう何も考えずに僕は僕の心に従うことにした。


「……っ、僕は王になんてなりたくないよ! ごめん、セリーヌ。だけど僕はもう嫌なんだ。父上の最後の願いって言われても……僕はずっと王になるチャンスが来ないで欲しいって思ってたんだよ」

「そ、そんな……」

「本当にごめん、セリーヌ。現実的にさ、僕には無理なんだよ」

「よく言った!」


 ユリスが巨大化した光の球をセリーヌに放った。それはセリーヌの脚に向かって移動して膝を中心に爆発する。その爆音で馬が鳴いて振り落とされそうになるがユリスがなんとか馬の体勢を立て直させて走っていく。

 あの光の球はセリーヌの脚というよりは足元の地面に向かっての攻撃という印象を受けた。周囲数メートル、音を立てて崩れた地面とその周りの木がセリーヌを飲み込んで沈んでいった。

 しかしものの十数秒で生き埋めになったセリーヌは土の下から這い出てきた。まるで地獄からこの世に顕現する悪魔のように、異形の両手が地面から生えてきたかと思えば勢いよく全身を出す。そしてセリーヌの身体には先程のユリスの攻撃での傷や血は一切見られなかった。

 セリーヌはフラフラと立ち上がると、馬の足音がする方を見て呟いた。


「パスカル……。お願いだ、待ってくれ……」


 駆けた足で土煙をあげながら、セリーヌは馬の走っていった方へと人間離れした素早さで向かっていった。

 僕とユリスはその様を近くの茂みに隠れて見ていた。セリーヌが埋まっている間に馬から降りて馬だけを走らせて身を隠していたのだが、濃すぎるほどの闇が味方して気付かれなかったようだ。


「言ったろ? ああいう手合いは説得じゃダメ、喋れないくらいにしてやらないと。僕の父上が良い例だ」


 ユリスはセリーヌがまだ僕のことを諦めない姿を見てそう言った。


「セリーヌ、一体どうなっちゃったの?」僕は聞いてみる。

「分からないよ。なんで魔物になったかなん―――」

「魔物じゃない!」


 僕はつい口走ってしまった。セリーヌを魔物呼ばわりされたくなかった、その一心だった。ユリスは少し焦る様子を見せる。


「ちょっ、謝るから静かにしてくれ。まだ撒いたわけじゃないんだ」


 ユリスがそう言ってすぐにかすかに聞こえていた馬の足音が止んだ。すると木の葉がササッと揺れる音がしたと思えば今度はセリーヌの叫ぶような声が聞こえてくる。


「パスカル! どこ行ったの! 出てきて!」


 その声の発生源はなんと空の上だった。セリーヌの背中の肩あたるからは真っ黒で大きな翼が生えていたのだ。その両翼をバサバサと動かして空へと飛び上がって浮いていた。

 セリーヌは目下にある森をキョロキョロと不安がちに見回しながら僕の名を呼ぶ。僕はその呼びかけに吸い込まれそうになってしまうがなんとか踏ん張った。


「わ、私は……パスカル……ぐぁああああっ!!!」


 しばらくするとセリーヌに異変が起こった。頭を抱えて悶えて空の上で身体を揺らしていた。暗がりのせいで今まで気付かなかったが、月明かりの助けでセリーヌの身体に向かって大量の黒い煙が集まっているのが確認できた。

 苦しむように唸るセリーヌだったがある時はっきりと叫んだ。


「私の身体だ! 渡すか! ぱ、パスカルは私が守るんだっ!」


 セリーヌは両翼を大きく振りかぶると勢いよく羽ばたき、急速に夜の空の奥へと消えていった。

 僕は激しい苦しみに苛まれていたセリーヌを見て自然と涙が溢れていた。

 セリーヌの様子に唖然としていたユリスが言う。


「なんだったんだあれは……えっ、泣いてんの?」

「ご、ごめんよ、セリーヌ……、き、君には苦しんで欲しくなかったのに、ああっ……」


 僕の涙が落ち着くまでユリスは傍についていた。「悪かったよ、あんな事して……」とボソッと呟いてからじっと僕の傍にいた。

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