第二話

 アレクセイと出会ったのは闇が濃い森の中、夜襲を受けた日に城から逃げ延びて、必死に行く宛てもなく走っている時だった。その時は城からひたすらに離れる以外に頭に無く、どこをどう走っているのかも曖昧だったが、立ち止まって確認してはいられなかった。

 背におぶるパスカルは疲れからだろうかぐっすり眠っていた。目覚めた瞬間に夢であるかもしれない淡い期待が消えるのだろう。なんて説明するか考えるのは明日の私に任せて、今の私の役目は走り続けることだとそう考えていた。


 そんな時、息も絶え絶えだった私に立ち塞がるように近づいた若い男がいた。


「おい、お前」


 警戒して一点立ち止まる私。絶えず走ることで軽減されていた疲労が、ブレーキをかけた足のつま先から、さざめく波のように全身に広がって脳と心臓を直撃し多大な負荷が襲う。

 しかし背中には守ると誓った男児がいる。隙を見せる訳にはいかない。肺が潰れそうな中せめて眼力を強くして牽制をかけてみる。

 冷静に振り返ってみれば、真っ暗で顔もよく見えなかった中でのその行動に意味はあったのだろうか。少なくとも目の前の男に通じなかったのは確かだ。男が余裕ぶった口調で言う。


「こんな夜更けに何してんだ? 吸血鬼ヴァンパイアでもそこまでハシャがねえぜ?」

「お前には関係ない」


 私が言うと男は少し間を置くと「ふっ……ははは!」と愉快そうに笑った。


「お前女だったのか! こりゃ失礼、男だとばかり」


 私はこの時結構カチンと来たのを覚えている。謎の上から目線が鼻につくのだ。取り繕わずにそのまま不快な顔をしていただろう。

 しかしこのことで私をセリーヌだと知らない目の前の男は城の夜襲とは無関係であることがだいたい分かった。


「まあ、男でも女でもどっちでもいい。問題はお前の背負しょってるモンだ」

「渡す訳にはいかない……」息を切らしながら言う。

「ははぁ……。そんな必死こいて、どんなお宝だ? そういや走ってきた方角的には王城があるな」

「お前の望むような宝は持ち合わせていない。それに何度も言うが渡さないぞ」

「望むも何も、宝の価値を決めるのは望んでる奴であって俺じゃない。ガラクタだって誰かから見りゃ宝石だ。……悪く思うな。俺も明日の生活がかかってんだ。同じ盗賊同士、分かってくれるだろ?」


 男は腰につけていた二本のダガーを慣れた手付きで抜き取る。光の侵入を許さないその森の中の中であっても、切っ先を通る二筋の光がきらりと主張した。

 構えからして戦う気満々の様子だった。これはもう仕方が無い、と私は背中で寝ているパスカルの片腕を引っ張って前に担ぎあげた。

「……ふぁ? えっ?」と眠たげだが状況を掴むべく口が動いている。盗賊の男は突っ立っていたが、目を丸くして驚いているのは伝わった。


「こ、子供……?」

「ほら! 違うと言っただろ! 私は盗賊じゃない! 急いでいるんだ! どいてくれ!」

「あ、ああ……。悪かった」


 おずおずと短剣をしまって脇に逸れる男。敵対する意思は無いように見受けられた。

 厄介者はなんとかなった、とホッとするが重要なことを忘れてはいけない。パスカルを起こしてしまった。


「セリーヌぅ……。ここどこぉ……?」


 不安がちに聞くパスカル。ただ寝ぼけているためか森の中で鬼気迫る状況なことに気づいてはいなかった。夜襲さえ無ければ今頃は何事も無くぐっすり眠れていたことだろう。そう思うとより一層胸が苦しかった。

 私はパスカルに背を向けてしゃがむとおんぶの形に腕を動かした。


「今日は私の背中で我慢してくれる? いい子だから」

「うん…………」


 パスカルはおもむろに動き出して私の首に両腕を回した。しっかり安定したおんぶポジションについたことを確認すると、腕でパスカルの尻を支えて立ち上がる。

 さっきの男にイライラが溜まっていたが怒るよりは逃げた方が良い、と私は男を見ようともせず最初から何も無かったかのように走ろうとした。

 だけど向こうがそうしなかった。


「おい、ちょっといいか?」

「今度は何!」


 つい強い当たりになってしまった。怒りと焦りの両方があったもので。

 男は私の声に怖がったのが暗くても分かるくらいビクッと肩を震わせた。だが男は引かず期限を伺うように言う。


「あのさ……行くとこ無いなら俺らのとこ来るか?」


 それを聞いた時、私は嬉しさより警戒心の方が大きかった。今となってはこの提案を蹴っていたら十年も無事に暮らせていなかったと考えると非常にありがたかった。


「……要らん」

「そんな事言うなよ。事情はよく分からないけど、寝る場所が無いのは嫌なはずだろ? 俺にもその男の子くらいの弟がいるんだ。だから見過ごせないって」

「…………」

「な? あんたの背中は寝心地がいいのかもしれないけど屋根が無いのはダメだと思うぜ? せめて一晩はベッドで寝かしてやった方がいいんじゃねえか?」


 体感ではだいぶ長考したと思う。決め手になったのはパスカルの寝顔をふと見たことだった。やはり、ベッドで寝かしてあげたい。リスクで考えていたはずなのに決め手が私情なのは至らぬ若さだと思うけど、そのおかげでアレクセイと出会えたと思えば結果論で悪くない。

 アレクセイは森の中をまるで自分の庭のように突っ切っていく。私はその背中を追っかけていくのみだが、目の前の男が不用心に背中をこちらに向けているのを見て不用心だと思った。


「俺の家には弟が二人いるんだ。仲良くしてやってくれな」

「うん。迷惑はかけないつもり」

「ちょっとくらいかけた方が仲良くなりやすいぜ? 俺の二個下がアレクシスで九個下がアレクシオスだ」

「な、何? 悪いけど分かりづらいよ。アレク……あなたがなんだっけ?」

「俺はアレクシス……ん? いや俺はアレクセイだったな? なんてよ」

「あなたが間違えてたら世話ないでしょ」

「ははははっ。まあ見た目はだいぶ違うぜ。そこで覚えてくれ」


 どんよりとした森の中だったが軽快に笑うアレクセイ。私の心も幾分か晴れていく感覚があった。


「そもそも、二個下とか九個下って言われてもあなたの年齢としが分からないよ」

「俺? 十七だよ」

「あ、一緒。私もそう」

「マジで? その背丈で十七の女子は詐欺じゃないか?」

「騙してるつもりは無いんだけどね。みんなびっくりするんだよ」

「だろうな。今まさに俺も―――あっ、着いたぞ」


 アレクセイ達が住む屋敷はそれこそ森の中にポツンとある印象だ。ずっと住んできたが今でもその印象が強い。アレクセイが扉を開けて中に入るように促した。

 中にはパスカルと同い年くらいの少年がいた。アレクシオスだ。


「おかえり、アレクセイ兄ちゃん! ……え、誰なの?」


 アレクシオスは私に気づくと興味津々は瞳でこちらを見、座っていた木製椅子からガタッと降りると駆け寄った。背中のパスカルを見つけるとさらに目の輝きが増した。


「旅のお方だ。寝る場所が無さそうだったからな」

「へえ! よろしく! 名前はなんていうの?」

「私はセリーヌ。この子はパスカルって言うんだ。……あなたは?」


 その時は名前を教えて貰ったばかりなのだが、覚えきれなかったので知らないふりをした。


「僕はアレクシオス! よろしく!」

「うん。パスカルと仲良くしてね」と言いながら私の頬はほころんだ。


 家の中に、今いる部屋しか見てないが見たところ二人しかいないようだった。ふとアレクセイに聞いてみた。


「二人だけなの?」

「奥の部屋にアレクシスがいるよ」

「じゃあ三人だけ?」

「そうだけど」

「えっと……親はどうしたの? こんな森の中で三人だけって」

「あぁ、父さんも母さんも殺されちまったからな」

「えっ……?」


 内容の重さに反してあっさりと言ったアレクセイ。アレクシオスがその時複雑な顔をしたのを覚えている。私は踏み込んではいけないラインを超えたのかもしれない、嫌なことを思い出させてしまったかもしれないと後悔した。

 私は「ごめん、変なこと聞いて」と謝るが、アレクセイはむしろ親の話をしたがった。


「いや、むしろ俺達と関わるなら知っておいた方がいい事だ。アレクシオス、これを」


 アレクセイは机の上にあった火のついていないキャンドルを手に取ってアレクシオスの前に出した。

 アレクシオスは目を閉じて一度深呼吸するとキャンドルに向かってカッと目を開けた。するとなんと、何もされていないはずのキャンドルに火が灯ったのだ。私が驚いていると、私の顔を見たアレクシオスはご満悦なのか自慢げにニヤリと笑った。


「今の、もしかして魔法?」

「そう。初めて見るか? 俺達の一族は魔法を使えるんだ。といっても向き不向きがあって、俺とアレクシスは使えないんだがな。逆にアレクシオスはめちゃくちゃ向いてたらしい」

「へぇ……」

「だけどな、魔法を嫌がった奴らがいたんだ。ユスト教団だよ。俺の親もそいつらに殺されたんだ」

「そうだったの。大変だったんだね……」

「まあそれなりにな」


 アレクセイは近くの椅子を引いて腰掛けた。私はこれ以上踏み込んでいいのか迷ったが、考えた末にこれだけは聞いてみた。


「復讐したいって思ってるの?」

「……それなりにな」


 アレクセイの瞳の奥には怒りと恨みと殺意の炎が力強く燃えているのを悟った。返答の短さとは全く見合っていない程の莫大な想いがあっただろう。私は少し身震いしてしまった。

 するとその時、部屋の中のドアの一つが開いた。寝てるパスカルを除いて全員がそちらを見ると、ドアをくぐって来たのは比較的大柄な……少年だった。まだ青年と言うには歳を重ねていない印象を受けた。


「あれ? お客さんかな」

「そうだ。汚い鎧してる女がセリーヌで背中にいるのがパスカルだ」

「女……女!?」

「やっぱ驚かれちまったな」


 いたずらっぽく微笑んだアレクセイはからかうように私に言った。やっぱりイラつく人だな、なんて宿を貸してくれた人に思ったら失礼なのだけれど、思ってしまったものは仕方が無い。


 ただアレクセイ達の屋敷に長居するつもりなんて無かった。一晩身体を休めたらすぐに出ていくつもりだった。

 しかし一日と言わず一週間と三兄弟に誘われて、一週間と言わず一ヶ月と屋敷に身を隠しながら暮らしていき、一年ほどすればその屋敷が二人の居場所になっていた。パスカルにとっての第二の生家だと胸を張って言える現在は、もう十年の月日が経っていた。

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