110話 次の日の朝

 次の日。

 俺は寝ぼけ眼を擦りながら、ベッドから身体を起こした。


「いてて……」


 その拍子に、身体の節々がズキリと痛んだ。

 その痛みのおかげで霞がかかったようにぼんやりした寝起きの頭がすこしだけ明瞭クリアになる。


 まずは自分の身体の現状を確認。

 

 ラインハルトたちにつけられた傷、炎の短剣ファイアブランドを使用したことで負った右腕の火傷、それに加えて慣れない短剣術で戦ったせいで全身は筋肉痛だし、極めつけは、魔力切れによる倦怠感が未だ残っている。

 昨日応急処置をしたとはいえ、戦いの影響が、まだ色濃く残っているようだった。


 全身が錆び付いてしまったかのような感覚の身体をぎこちなく動かし、サイドテーブルに置かれた自分の鞄から回復薬ポーションを取り出すと、一気に飲み干した。


「ふぅ……」


 ほっと一息。

 身体の痛みも少し和らいだ気がする。

 体力回復という基本効果の他、【滋養強壮】と【即効性】の付加効果エンチャントがしっかり効いている証拠だ。

 我ながら上等な回復薬ポーションだ、と心の中で自画自賛をした。


 ひと心地ついた俺はベッドから起き上がり、窓際へと向かう。

 カーテンを開けると窓から差し込んでくる朝日が部屋の中を明るく照らした。


 そして明るく照らされた部屋の中に目を向けると――


 部屋の壁際に備えられたソファの上。

 銀髪の少女が毛布にくるまって、すやすやと安らかな寝息を立てていた。


 あー……そうだ、昨日はミステルと同じ部屋で眠ったんだっけ。


 なぜこのような状況になっているのか。

 その理由は昨日の夜に遡る。


 ***


 宿にたどり着いた後、俺の疲労困憊ひろうこんぱい具合を見て取ったミステルは、早々にとこくことを提案してくれた。

 実際俺自身も色々と限界だったので、彼女の言葉に従い休むことにした……のだが。


「はい、提案……ニコくんは身体のあちこち傷だらけだし、魔力切れも心配。看病にのために……誰かひとりついてあげたほうがいい」


 ソフィーがそんなことを提案してきたのだ。


「そして当然、その役割はミステルしかいない……ミステル、いける?」

「はい! もちろんです。任せてください」


 ミステルはソフィーの言葉を受けて、胸を張ってそう答えた。

 

「え、いや……大丈夫だよ。魔力切れなら一晩寝れば回復するだろうし、回復薬ポーションもあるから……ミステルに悪いよ」


 俺は遠慮しようとしたのだが。


「ダメ……魔力切れを舐めないほうがいい……」

「というか、もうニコとミステルは恋人同士なんだから〜一緒の部屋に泊まる方が自然でしょ」

 

 などなど。

 あれやこれやとソフィーとトゥーリアに押し切られ。

 結局、その晩は俺はミステルと一緒の部屋で寝ることになってしまったのだ。


 俺とミステルは長くアトリエで共同生活をしているが、当然のことながら寝室は別室だ。

 なので、こうして同室で一晩を過ごすのは初めての経験だった。


 しかも、俺が泊まっている部屋は一人部屋シングル。当然部屋の中にはシングルベッド一つしか置いていない。否応なしに色々と意識してしまう。


 俺は若干朦朧とする意識の中で必死に考えた。この場合、どうするのが正解なのかと。

 シングルベッドを二人一緒に使うべきか。

 それとも、一人がベッドを使い、もう一人がソファで寝るべきか。


 当然、これまでの俺だったら迷わず後者を選んでいた。

 ミステルにベッドを譲り、俺がソファで眠る。


 しかし、一応俺たちは恋人同士になったわけだし、逆にミステルに対して失礼な選択になるんじゃないか。


 だけど、一緒に寝るなんて、まだ心の準備が――


 などと俺が悶々とあれこれ考えていると。


「ニコ。今日は私が看病しますので、安心してお休みくださいね」


 そう言ってミステルはさも当然とばかりに俺をベッドに押し込んで、自分がソファの方へと進んでいった。


「いや……ミステルを差し置いて俺がベッドを使うわけには……」

「そんなことをいってる場合じゃありません! ニコの怪我や魔力切れを――体調を万全にすることが最優先です!」

 

 ミステルは強い口調でぴしゃりと言い放つ。

 その迫力に押されて思わず押し黙ってしまった。

 

 その先のミステルは頑なだった。

 自分がソファを使うので、俺がベッドを使えと主張しては決して譲らない。


「私はこう見えても結構丈夫ですから、気にしないで下さい。ほら、早く横になって目を閉じないと、治るものも治らないですよ」

「わ、わかった……」

 

結局、ミステルに気圧される形で、俺の方が折れることになったのだ。


 ひとまず別々の寝床で眠ることになったのだが、そうは言っても一晩を同じ部屋で過ごすことには変わらない。

 緊張して眠れないんじゃないか。

 

 ……そんな心配をしていたが杞憂きゆうだった。

 ベッドの中に入ってすぐ、泥沼どろぬまのような睡魔に襲われ、俺は深い眠りの底へと引きずり込まれていった。


 ***

 

 そして今に至る。


 彼女は相変わらずソファの上で安らかな寝顔を晒していた。

 時計に目をやるとすでに九時を回っている。

 いつも早起きなミステルがこの時間までこうして眠りこけているんだ。きっと昨日は夜更けまで俺のことを看てくれていたんだろう。彼女自身も疲れていただろうに。


 俺は起こさないようにそっと彼女に近づき、ソファの前に膝をつく。

 そして彼女の寝顔を見つめた。

 

 整った綺麗な顔立ちをしている。

 長いまつげに、柔らかそうな唇。

 無防備に寝息を立てるその姿は、まるで人形のように可愛らしい。

 普段からミステルが魅力的な女の子であることは間違いないけど、寝顔を見るとより一層それが際立って見える気がした。

 

 そんな彼女を見つめていると、心の奥から愛しさが込み上げてくる。

 

 俺がそのまま、彼女の顔にじっと見惚れていると。

 

 狩人の性で人の気配を機敏きびんに感じ取ったのか、ミステルがうっすらと目を開けた。

 そしてそのままぼんやりとした様子で、目の前にいる俺の顔に視線を向けた。

 そして数秒の間見つめ合った後――

 

「……っ!?」


 ミステルは大きく目を見開いて飛び起きた。

 その拍子にソファから転げ落ちそうになるが、間一髪で踏みとどまったようだ。

 

「おはようミステル。よく眠れた?」

「ご、ごめんなさい――わたし、いつの間にか眠ってしまっていて――」


 ミステルはあたふたと慌てた様子で謝罪の言葉を口にする。

 

「気にしないで。それに遅くまで看病してくれてありがとうね。ミステルこそ身体の調子は大丈夫?  どこか痛んだりしてない?」


 そう、昨日の戦いで傷ついたのは俺だけじゃない。ミステルだって俺と一緒に戦ったんだ。


 俺が尋ねると、ミステルは少し身体を動かしたり、手を握ったり開いたりした。

 

「いえ……わたしは大丈夫です。特に痛みもありません」

「ああ、良かった」

「……心配してくれて、ありがとうございます」

 

 ミステルは微笑みながら礼を言った。

 そういってお互いに見つめ合う。


「えっと――」

「……」


 なんだか気恥ずかしくて、それ以上言葉が出てこなかった。

 ミステルも同じ気持ちなのか、お互い何も言わずにただ静かに見つめ合っていた。


 俺とミステルは想いを伝え合って正式に恋人同士になった。だけどそれは昨日の今日のことなので、こういう状況になると、どう接したらいいのか分からなくなる。

 二人の関係の変化に感情がついていけていないといった感じだ。

 

 気まずくはないけど、くすぐったい。

 相手に何かを伝えたいけど、言葉をうまく選べない。

 そんなもどかしい感じだった。

 

 そんな風に二人でギクシャクしていると、不意に部屋の扉がノックされた。

 

「は、はい、どうぞ。空いてるよ」

 

 俺は慌てて返事をする。

 ガチャリと音を立てて扉が開き、ソフィーとトゥーリアが入ってきた。


「おはよーニコ! ミステル! 体調はどうー?」

「うふふ、……昨晩はお楽しみでした……?」

 

「おはよう二人とも、おかげさまでだいぶよくなったよ。それと、ソフィー、別にお楽しみなんかしてないなら。というか、なんでそういう発想になるんだよ……」


 二人ともいつも通りの調子で軽口を向けてくる。

 俺は苦笑しながら言葉を返した。

 ミステルも可笑そうにくすくすと笑っている。


「まあ、でも元気になったみたいでよかったね! じゃあみんなで朝ごはん食べよっ」


 トゥーリアは笑顔でそう提案した。

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