108話 戦いの終わり、愛しいきみへ

「ま、まさか――ラインハルト様? 嘘ですよね?」

「ラインハルト!」


 トゥーリアたちと戦っていたマーガレットとリリアンは、ラインハルトの異変を目にするや否や、それぞれが戦いを放棄した。

 悲鳴に近い声をあげて、彼に駆け寄る。


「嘘でしょ? 雑用係なんかにやられたの!?」

「目を開けてください、ラインハルト様! リリアン、早く回復の奇跡を――」


 そんなやりとりを横目に見ながら――

 立ち眩みのように、視界が青くなるのを感じた。

 

 すべての魔力を使い果たした俺は、これ以上、立っていることができなくて膝から崩れ落ちる。

 しかし、俺が地面に倒れ込む前に、誰かに支えられる感触があった。


「あっ……」

 

 霞む視界の中、目を向ける。

 そこにはミステルの姿があった。

 

 どうやら彼女が俺の身体を抱き止めてくれたようだ。

彼女は、優しい微笑みを浮かべると、そっと囁くように言う。

 

「……ニコ、お疲れさまでした」


 彼女らしい単純シンプルな労いの言葉だった。

 その言葉を聞いただけで、未だ凝り固まっていた緊張の糸が解けていくような気がした。

 俺は戦いの終わりをやっと実感する。

 

 俺は、彼女の小さな肩を借りながら、不格好ながらなんとか立つことができた。

 

「――怪我はない?」

「はい、わたしは大丈夫です――」

「よかった――」


 俺は胸を撫で下ろす。

 勝敗なんかよりも、彼女の無事のほうが、俺にとって大事なことだった。


「トドメの一撃――見事でした」


 ミステルは俺を褒めてくれる。

 だけど。俺はその褒め言葉を素直に受け取ることはできなかった。


「どうして――聖剣エクスカリバーは奴の手から離れたんだろう」


 俺は率直な疑問を口にする。

 ラインハルトが最後に放った一撃。


 完全に死に体になった俺に放たれた致命の一撃クリティカルヒット――


 本来であれば、俺はあの一撃を受けていたはずだ。

 おそらく無事では済まなかっただろう。

 

 だけど、俺に攻撃が当たる直前、聖剣エクスカリバーは、見えない力によって弾かれたのだ。

 それはまるで聖剣エクスカリバーが、俺を傷つけることを拒んでいるようだった。


「正直わかりません――でも、もしかしたら、それが聖剣エクスカリバー誓約せいやくなのかもしれません」

「誓約――?」


 ミステルは、あくまでもわたしの憶測おくそくです、と前置きをしたうえで、自身の見解を述べた。


技能スキルの中でも、選ばれた一握りの者に与えられる固有技能ユニークスキル。いずれも強力な効果を持つものばかりですが、中にはその力の代償として、一定の誓約を課すものもあるといいます」

技能スキルの誓約……」

「たとえば、所有者の人格に影響を与えるとか、特定の条件以外では使用できないとか――」

「じゃあラインハルトの最後の一撃が弾かれたのは、聖剣解放エクスカリバー・オーバードライブという固有技能ユニークスキルの、誓約だったっていうこと?」


 俺の言葉にミステルは頷いた。


「はい。彼は、聖剣エクスカリバーがある限り、どんな魔族にも負けることはないと豪語していました。それはおそらく誇張こちょうではなく、彼の実体験から出た真実の言葉なのでしょう。どんな魔族でも討つことができる固有技能ユニークスキル。それに誓約が課されていたとしたら――」


 ミステルは言葉を続ける。


「逆に、聖剣エクスカリバーは――ということなんじゃないでしょうか」

「人を傷つけることができない剣――」


 もしミステルの言うことが正しいとしたら、ラインハルトは自身の技能スキルの使い方を間違えたということになる。

 いや、所有者自らが、あまねく人を守るという、自身の技能スキルの在り方を裏切ったと言った方が正しいか。


 俺はふと、気を失って倒れているラインハルトの方へ視線を向けた。

 

 ラインハルトはそうまでして、俺に憎しみをぶつけてきた。俺のことを傷つけたいと望んだのだった。

 なぜ、そこまで彼は俺のことを憎んだんだろうか。

 俺にその理由がわからなかった。


 

 ……ラインハルトと分かり合う術はなかったのかな。


 

 戦いの興奮が冷め、彼に対する憐憫れんびんの情がふと頭をもたげる。

 そのことに思いを馳せていると、ミステルは突然、俺の頭を優しく撫でてきた。

 

「えっ?  ミ、ミステル……?」

 

 俺は突然のことに驚いて、ミステルの方へ向き直る。

 

「ニコは……本当によく頑張りました。ご褒美です」

「え、あ、ありがとう……」

「だから、そんな悲しそうな顔はしないでください」


 俺の頭に触れる彼女の手つきはどこまでも優しい。

 俺のことを思いやる気持ちが痛いほど伝わってきて、嬉しかった。


 そうだ。

 ラインハルトが何を考えていたかなんて、今更俺が考えてもどうしようもないことだ。

 

 彼は俺の大切な女性ひとを傷つけようとした。

 それが許せなくて、彼女を守りたくて。

 俺は彼と戦った。


 それだけだった。

 それが全てだった。


 俺は自分の目の前に立つ、世界で一番大切な女性ひと――ミステルに視線を向ける。


 俺がなんとかこの手で守ることができたは、俺を見つめながら優しい微笑を浮かべていた。

 

 その笑顔を見ていると、俺の中に、とあるが急激に湧き上がる。

 


 ――

 

 

 そして、その感情は、俺の身体を突き動かした。


 俺は彼女の細い身体を抱きしめていた。


「えっ――」

 

 ミステルは一瞬驚いた様子で身体を硬直させる。

 

 だけど、すぐに安心したように、身体の力を抜いて、俺の胸に身を預けてきた。


「ニコ、暖かい――」


 耳元で彼女が俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「ミステル。俺のために、怒ってくれてありがとう。俺のために戦ってくれてありがとう。俺に勇気をくれてありがとう。本当に心強かった……本当に嬉しかった――」


 俺は感謝の言葉を口にする。

 

「当たり前です……わたしはあなたの相棒なんですから」

 

 ミステルは俺の胸に頭を預けたまま小さく返事をした。


「ミステル――」


 俺は彼女の名前を呼んで、抱き寄せていた彼女の身体を少しだけ離す。


「――?」

 

 ミステルは少し名残惜しそうな様子で、小首を傾げながら、俺を見つめた。


 その先の言葉は自然と俺の口から溢れでていた。


「俺はきみが好きだ」

「えっ……」

 

 俺の告白を受けて、ミステルの顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。


「えっと――好きっていうのは……」


 彼女は消え入りそうなか細い声で、俺の言葉の真意を問うてくる。


「言葉通りだよ。そのサラサラな銀髪も。綺麗な赤い瞳も。優しいところも。寂しがり屋なところも。強いところも。弱いところも。とにかく、全部――」


 一度そう口にすると、せきを切ったように彼女への想いが溢れ出た。

 その想いを、できるだけ単純シンプルに、形のある言葉の箱の中に納めて――

 俺はミステルの赤い瞳を真っ直ぐ見据えて言い放った。


「君のことが大好きなんだ。だからお願いだ。ずっと、俺と一緒にいてくれないか」

 

 ミステルの瞳が大きく見開かれた。

 やがてその両の瞳にたまのような涙が浮かぶ。


 そして、しばしの沈黙の後――


 

「――はい」

 


 ミステルは大粒の涙を瞳に浮かべながら、嬉しそうににっこりと微笑んだ。


「ニコ――わたしも、あなたが好きです。大好きです。こちらこそ、ずっと、一緒にいさせてください――」

 

 ミステルは目にいっぱいの涙を溜めて、それでもなお、俺の目を見て、はっきりと言葉にした。


「ッ――!」


 その言葉を耳にして、もう止まらなかった。

 俺はミステルの肩に手を添えて、そのまま抱き寄せる。


「きゃっ」


 ミステルの口から可愛らしい悲鳴が漏れた。

 そのまま、彼女の身体を力一杯抱きしめた後、彼女の顔をじっと見つめる。

 

 俺が次に何を欲しているか、ミステルはすぐに察したらしい。

 彼女は一瞬びくりと身を震わせたけど、すぐに目を閉じてくれた。

 

 俺はゆっくりと顔を近づけていく。

 俺たちの距離は徐々に縮まっていった。


 そのとき――

 

 俺たちに突き刺さる、とある視線を感じた。


 視線の方向に目を向けると、その先にはトゥーリアとソフィーがいた。

 二人ともニヤニヤしながら、俺たちのやりとりをじっと見つめている。


「ねぇチューだよ、ぜったいチューだよ! いやーん! 大胆!」

「二人ともよかったねぇ……ミステル……おめでとう……」


 二人の姿をみて、俺は我に帰った。

 そうだ。

 こんな人目につく場所で何をやっているんだ。


「み、ミステル! ごめん! ストップ!」

 

 俺は慌てて、ミステルから身を離した。

 

「え……あの……その……はい……」

 

 ミステルも恥ずかしそうに頬を赤らめて俯く。

 それから俺たちはしばらくの間、互いに顔を赤くしたまま黙り込んでしまった。

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