103話 侮辱の果て

「ご苦労だったな。雑用係――」


 ラインハルトはそう言って、歪んだ笑みを浮かべた。


「なんだって……?」

「ふふふ、猿も煽てれば木に登るとはこのことだね。ここまで僕らの思惑どおりに動いてくれるなんて」


 彼の態度の急変に状況を把握しきれずに、俺は戸惑いの表情を浮かべる。

 だが、そんな俺とは対照的に、ラインハルトと取り巻きたちは愉快げに笑った。

 その笑い声には、明確なあざけりの色が込められていた。


「ほら、わたくしの言ったとおりでしょう、ラインハルト様。この男は少しでもおだててあげれば、思い通りに働いてくれるのです」


 マーガレットが勝ち誇った様子で胸を張る。


「ああ、君のおかげだよ、マーガレット。君から雑用係にまずは頭を下げるように言われたときは、正気を疑ったけど、結果として全てうまくいった」

「畏れ多いお言葉ですわ、ラインハルト様」


 マーガレットはラインハルトに向かって頭を下げる。

 

「それに何よりも――君の技能スキル二重思考ダブル・シンク】のおかげだ」

 

「【二重思考ダブル・シンク】――?」


 聞いたことのない技能スキルに、俺は首を傾げる。


「【二重思考ダブル・シンク】は、わたくし精神魔法マインドマジックの一つ。対象者は無意識のうちに、のですわ」


 マーガレットの言っている説明がうまく理解できない。

 思考が空滑りしていく。


わたくしはこの魔法をラインハルト様に使いましたの。その対象はニコ・フラメル――あなたに対する認知ですわ」


 二重思考ダブル・シンク

 その対象は、ラインハルトの俺に対する認知?

 

「ラインハルト様はあなたのことを只の『雑用係』としてしか認識していませんから。だけど、あなたを……お猿さんのように私たちの手のひらの上で踊らせるためには、あなたの同情心を確実に引き出す必要があるでしょう?」


「だからわたくしは【二重思考ダブルな・シンク】をラインハルト様に使って、と、ニセモノの認知を植え付けましたの」

 

 彼女はそう言うと、口元に手を当ててくすっと笑う。


「結果として、その目論見もくろみは大成功でした。あなたはラインハルト様に憐憫れんびんの情を示して、自分から回復薬ポーションのレシピをわたくし達に与えてくれましたわ。わたくし達の望むままに。まるで糸操人形マリオネットみたいでしたわ」

「まぁ、そういうことだ」


 マーガレットとラインハルトが頷き合う。

 

「ありがとうマーガレット。それにしても改めてゾッとするよ。魔法の効果とはいえ、この僕が雑用係に頭を下げて、一瞬でも仲間扱いをするなんて。まぁ、パーティを立て直すためには仕方のない選択だったけれどね」

「安心してくださいね。偽の認知の効力は限定的。もうラインハルト様の頭の中には一欠片ひとかけらも残っていませんから」


 ラインハルトたちの言葉に俺は唖然あぜんとする。

 

「じゃあ、あのときの謝罪は……」

「ああ、嘘だよ。当然だろう? 」

「君は俺のことを仲間だって……」

「だからそれは【二重思考ダブル・シンク】の効果だって、マーガレットが説明しただろ? 君は馬鹿なのか?」


 ラインハルトが鼻で笑いながら言葉を続ける。


「ははは、おい、まさか。まさか君は、僕に仲間と言われて喜んだのか? おいおい、思い上がるのも大概にしてくれよ!

 君はあくまで僕たちにとって、アイテムを生み出すだけの雑用係でしかない。パーティに居たとき、そう徹底的にしつけてやったつもりだけど。もう忘れたのかい?」


 そう言ってラインハルトは俺の肩に馴れ馴れしく手を置いた。


「ふふ、だけどまぁ、今回の件は少しは感謝しているよ。これは二重思考ダブル・シンクによる偽物の認知じゃない、僕の本心さ。このレシピは大切に使わせてもらう。だから、もうキミは要らないんだ――」


、ニコ・フラメル」


 ラインハルトは俺の耳元でそうささやくと、きびすを返し、マーガレットたちの元へ戻っていった。


「ねえねえ、ラインハルト。もし、あいつが青の一党ブラウ・ファミリアに再加入したいっていってきたら、その時はどうするつもりだったのー?」


 ふとリリアンがそんな軽口を叩いた。

 彼女の問いかけに、ラインハルトは小さく笑みを浮かべた。


「ん? そうだな……そのときは、雑用係としてなら迎え入れてやったかもしれないな。なにせ、僕はこれから忙しい身になるわけだし。そうだ、僕たちの荷物持ちを兼任させてやってもよかったかもしれないね」

「きゃはは、荷物持ちとかウケるんだけど。前より扱い下じゃん!」


 そう言って、リリアンは腹を抱えて笑った。

 ラインハルトも。

 マーガレットも。


 彼らは釣られるようにわらっていた。


 

 ***

 


 俺はゆっくりと瞼を閉じる。

 なるべく外からの情報を頭の中に入れたくなかった。

 だけど、両の耳からは、嫌でもラインハルトたちの笑い声が聞こえて来る。

 

 耳を塞いでしゃがみ込んでしまいたくなったけれど、そんなことをしたら、更にあいつらに笑いの種を与えるだけだ。ちっぽけな矜持プライドが両の足をなんとか支えていた。


 ふと、自分が何処にいて、何をしているか、よくわからなくなった。


 あれ、俺なんでここに来たんだっけ?

 

 そうだ、ラインハルト達を助けようと思って、レシピを渡しに――


 

 なんで、そう思ったんだ?

 あんな奴ら放っておけばよかったじゃないか?

 

 ラインハルトたちは俺にとっては仲間だったから。

 その仲間が困っていたから、俺にできることをしたかった――


 ということは、ここに来たのは自分の意志じゃないか?

 だったら、その結果としてラインハルト達に馬鹿にされても、コケにされても別に問題はないだろ?

 全部自分の甘さが招いた結果じゃないか。


 そうだね。そのとおりだ。

 うん、大丈夫。

 こういうのは慣れてるし。


 こんなのすぐに終わる。

 夜になれば、笑い話として、笑って話せる。


 それに今日は他に良いことが、楽しいことが沢山あった一日だったじゃないか。


 だから、大丈夫。


 


 ああ、でも。

 やっぱりキツイなぁ。


 


 ソフィーなら。

 彼女はいつも冷静だから落ち着いて話を聞いてくれそうだ。俺の愚痴を聞いてくれたお礼に一冊本を買ってあげてもいいかもしれないな。



 トゥーリアなら。

 真っ直ぐでいい奴だから、この話を聞いたら、きっと自分のことのように憤慨してくれるだろうな。

 もしかしたら青の一党ブラウ・ファミリアに殴り込みをかけるとか言い出しかねないかも。その時は俺が止めないと。



 ミステルはどうかな。


 ミステル。


 ミステル――


 きみは――


 ***


 俺は瞳を開いた。

 

 俺の目の前には、銀髪の華奢な少女の後ろ姿があった。


「ミステル――?」


 俺は思わず彼女の名前を呼んだ。

 しかし、彼女は俺の声かけに反応せずに、そのままラインハルトの元までつかつかと歩み寄った。

 その表情をこちらからうかがうことはできない。


「どうしましたか? 麗しいお嬢さん」


 ラインハルトがミステルに対して、うやうやしい様子で声をかけた。


 しかし、彼女はその声には応えない。

 その代わりに彼女は右手をゆっくりと振り上げた。


 おそらく、この場にいる誰もが、その後の彼女の動きを予想できなかったと思う。


 そして、彼女は。


 

 渾身の力を込めて、

 そのまま辺りいっぱいに鳴り響くほど音高く、


 

 ラインハルトの左頬を打ち抜いた。

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