100話 まずはゆったりコーヒーでも

 俺たちは、宿場エリアから移動して、エルミア城まで続く大通りメインストリートを散歩することになった。

 

 トゥーリアメモに書かれたお店は、ほとんどがこの通り沿いに集中していたし、昨日一度、俺一人でも見て回った場所だから、少しだけ土地勘もはたらく。


 そんなわけで、俺とミステルは二人並んで城下の大通りを歩いている。

 

 それにしても。


「今日は昨日にもまして通りに人が多いね。特別な日なのかな」


 俺は通りを埋め尽くす人の波を見渡しながら言った。

 単純に通行人が多いだけでなく、通りのあちこちには露店が並び、そこかしこで客引きの声が飛び交っている。

 ただでさえ人の多い王都だけど、明らかに昨日より人通りが増え、活気に溢れているように感じられた。


「今日は休日ですから。それでかもしれませんね」

「あ、そっか」


 言われてみると今日は休日だった。旅をしていると曜日感覚がなくなってしまってよくない。


「きゃっ――」


 ……などと考えていたら、不意に隣で小さな悲鳴が上がった。

 見ればミステルが、すれ違った人にぶつかって尻餅をついてしまっていた。

 


「ミステル! 大丈夫?」

 

 俺は慌てて彼女に駆け寄り、手を貸すためにしゃがみ込む。

 

「すみません、ありがとうございます……」

 

 彼女は俺の手を取って立ち上がる。

 そのまま道端みちばたに移動すると、申し訳なさそうに顔を伏せた。


「ごめんなさい……着慣れていない服のせいか、ちょっと歩きづらくて」

「ううん、こっちこそごめん。もっと気にしてあげればよかった。怪我はない?」

「はい、大丈夫です」

「洋服は汚れて……なさそうだね。……よかった」


 ほっとして息をついた後、ちょっとした罪悪感が胸をよぎった。


 ちゃんとミステルをリードすること。

 トゥーリアの書き置きにも書かれていたことだ。

 

 俺はミステルについて、狩人ハンターとしての強くて頼りになる側面ばかりを見ていた。それでついつい忘れてしまいがちだけど、彼女は俺より歳下の女の子なんだ。

 

(今日一日は、ちゃんと彼女をエスコートしなければ。男として)


「ミステル……あの、これだけの人だし。はぐれたらいけないから……」


 俺はそう言って手を差し出した。


「よかったら、手を繋ごう?」

「えっ!?」

「も、もちろん、嫌だったらいいんだけどね!?」

 

 自分で提案しておきながら、急に恥ずかしくなって手を引っ込めそうになる。我ながら不恰好すぎて情けない。

 

「あっ……いえ。嫌じゃありません…」


 ミステルは一瞬驚いた表情を浮かべた後、頬を染めて小さく呟いた。

 

「その……ぜひお願いします」

 

 そして、差し出された俺の手を取ると、キュッと握りしめてくる。

 俺も彼女の細い指を優しく握り返した。

 

 お互い気恥ずかしくて、視線を合わせることはできなかったけれど。

 それでも、繋いだ手の温もりは確かに伝わってきた。


「じゃあ、行こうか」

「はいっ」


 俺たちは二人並んで歩き出した。

 残念ながら恋人繋ぎをするまでの勇気は俺にはなかったけれど。


 ***


 大通りをぶらぶらと歩き、雑貨屋だったり、本屋だったり、目に付いたお店を順番に覗いていく。

 途中、とあるお店の看板の前で、ミステルの足が止まった。


「どうしたの? ここ入ってみる?」

「えっと……いいですか?」


 店の軒先にはコーヒー樽が置かれており、硝子張りの店内からはコーヒーの香ばしい匂いが立ち上っていた。


 看板を見ると『喫茶黒猫カフェ・シャノワール』と書かれている。

 中は焙煎所ばいせんじょを兼ねた喫茶店のようだ。

 

「もちろん。入ろうか」

「はい!」

 

 扉を押し開けるとドアベルがカランコロンと小気味よい音を鳴らした。

 中に入ると、コーヒーの芳ばしい香りがより深く立ち込めて、鼻腔を刺激する。

 内装はダークブラウンを基調とした落ち着いた雰囲気で統一されていた。

 カウンター席の奥には、様々な品種のコーヒー豆が納められた棚と、コーヒーメーカーらしき器材が置かれている。

 そのコーヒーメーカーは、フラスコとアルコールランプを合体させたような、変わった形をしていた。パッと見錬金術の実験道具のようにも見える。

 

「わっ、すごいな……なんか本格的っていうか」


 俺は思わず呟いた。

 コーヒーのことにあまり詳しくない俺でも、思わず圧倒されてしまうような本格的な店構えだった。


「はい、凄いです」


 俺の隣でミステルは、キョロキョロと店内を見回している。その目はキラキラと輝いていた。

 コーヒーにはかなりのこだわりを持つ彼女のことだ。目に映るものすべてが興味の対象なんだろう。


「ニコ! 見てください、あのコーヒーメーカー。サイフォン式の最新のものですよ。わたしも初めて見ました。さすが王都ですねっ」

 

 彼女らしからぬテンションの上がりっぷりに、俺は思わず微笑んでしまう。


「せっかくだから一杯飲んでいこうよ。どうしよう、テーブルとカウンターがあるみたいだけど」

「あの、コーヒーを淹れる様子をよく見たくて。カウンターでもいいですか?」

「うん、わかった」


 俺とミステルは二人並んでカウンターに腰掛けた。

 カウンターは重厚な一枚板で造られており、手で触れると吸い付くような滑らかな手触りだ。


「こんにちは。ご注文が決まりましたらお声がけください」

 

 カウンターの奥に立つ白髪の男性が声を掛けてくる。

 この店のオーナーだろうか。パリッとした紳士風の洋服を着こなし、口元には柔和な笑みを浮かべていた。


 カウンターに置かれたメニュー表には様々な種類のコーヒーの品名が書かれている。

 俺とミステルはしばらくメニュー表と睨めっこして、あーでもないこーでもないと話し合った結果、結局二人とも定番のブレンドを頼むことにした。


「かしこまりました。少々お待ちください」


 オーナーは手慣れた様子で準備を始めた。

 

 サイフォン式と呼ばれるコーヒーメーカーの台座部分にはアルコールランプが設置されている。

 オーナーはまず、フラスコのような形をしたガラス容器を棚から取り出すと、中に湯を注ぎ、火を灯したアルコールランプの上に設置した。

 更に、フラスコの上部にコーヒー粉を入れたロート状のガラス容器をセットする。

 しばらくすると、沸騰したお湯が下部のフラスコから上部のロートへと上昇していった。

 それと共にロートの中に入っているコーヒー粉が、沸騰した湯で撹拌かくはんされ、泡立つのが見えた。


「へえ、蒸気圧で下から上へ湯を汲み上げてるんだ……なんだか錬金術の実験みたいだ」

「はい。抽出が終わると、フィルターを通してコーヒー液だけが上のロートから下のフラスコに戻るんですよ。面白いですよね」


 俺とミステルは一連の工程を見て、思わず感心してしまった。

 

「お待たせいたしました。ブレンドになります」


 俺たちの前に二つのコーヒーカップが差し出された。

 ふわりと漂う豊かな香りが鼻をくすぐる。


「いただきます」

「ありがとうございます、いい香り……」

 

 俺たちは二人揃って一礼して、コーヒーを口に含む。

 すると、口一杯に豊かなコーヒーの風味が広がった。

 

「美味しい……」

「美味しい……」

 

 俺とミステルは同じタイミングで、まったく同じ台詞を呟いた。

 それがなんだか可笑しくて、二人で顔を見合わせて笑ってしまった。


「お口に合ったようでなによりです」


 そんな俺たちの様子を見てオーナーが笑顔を見せた。

 そして彼は傍らの棚から小皿を取り出し、そのうえに小さなショートケーキを乗せて、こちらに差し出した。


「こちら、サービスです」

「え、いいんですか?」


 俺が聞き返すと、オーナーは目を細めて微笑む。


「ええ、お若いお二人の仲睦まじい様子をみさせて頂きましたので」

「え……? あっ……」


 オーナーの思わぬ返答に、思わずミステルと顔を見合わせてしまう。


 それってもしかして俺たちは今恋人同士に見えているんだろうか。

 

 そう思った途端に気恥ずかしくなって、お互いに視線を逸らしてしまった。

 ミステルの頬は赤く染まり、俺も耳の辺りに熱を感じる。


「では、ごゆっくりどうぞ。お二人にとって今日という一日が素敵なものになりますように」


 俺たちの反応を楽しむように微笑んだ後、そう言い残し、オーナーはカウンターの奥へと戻っていった。

 

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