第三十章:道賢経筒の謎
醍醐帝逝去前後の法事に関して、当時の記録には「
「そうは言っても、一度に千人もの出家が行われる訳ではないだろう。事実上、既に僧侶として生活している者達に公度僧の資格を与えてやったという事だ」
須佐の解説は続いた。
「公度僧の制度には経済的な意義もある。正式な僧は納税義務も、課役に服する義務も免除されていたんだ」
古代の税制は人頭税を基本としていたので、公度僧を認められるという事は、寺にとって免税枠を獲得するという事に等しい。
延暦寺が勢力を拡大した要因には、独自の戒壇を有し、受戒即ち僧の資格授与を公的に行える権限を有していた事が大きく寄与している。
「醍醐帝の時代には、『勝ち組寺院』がはっきり形成されていて、朝廷をも脅かす程の大勢力となっていたんだ」
須佐曰く、醍醐帝は此の勢力バランスを突き崩そうとしたのだと言う。
「何せ、
堂を建てたり、仏像を建立したり、公度僧枠の「割り当て」も、醍醐寺に手厚かった筈だと、須佐は主張した。
「経済的な側面で言えば、いろんな名目の手当を支給し、免税枠を割り当てたという事になるわな」
醍醐寺尊重姿勢は醍醐帝の後継者である朱雀帝にも引き継がれた。お陰で醍醐寺は隆盛を極め、南都北嶺の二極支配体制に楔を打ち込む存在と成った。
「構造的に言えばだ、仏教勢力に対する防御機構として醍醐寺を擁立し、神道勢力に対しては北野天満宮を立てて牽制に努めたんだな。此の二つを権威付けする為に利用されたのが、道真の怨霊だった」
現代的な表現をすれば、其れは「プロパガンダ」であった。
一つ、道真は無実の罪で放逐され、非業の死を遂げた事。
一つ、道真は恨みの内に死に、天満大自在天となりつつ、怨霊と成った事。
一つ、其の祟りが世に災いをもたらし続けている事。
一つ、醍醐帝は道真を無実の罪により大宰府に流した為、地獄に堕ちて苦しんでいる事。
一つ、祟りを鎮めるには道真を神として祀るべき事。
一つ、また、仏塔建立、公度僧認可等の仏教式供養を行うべき事。
此の内容をショッキングなレポートに纏め、世に流布したのである。
「其れが『道賢上人冥途記』であり、『北野天神縁起絵巻』だ」
冥途記の内容を
夢から覚め、一命を取り留めた道賢は夢の内容を世に知らしめ、天神信仰を広める事に寄与した。
「此の道賢という僧は、出自来歴が貞崇に良く似ているんだな。どちらも三善氏の出身といわれ、真言僧であり、金峯山で長年修行を積んだ事になっている」
「貞崇は表の歴史にも登場する実在の人物だろうけど、道賢の方はどうなんだ? 冥途に行って甦ったなんて、如何にも胡散臭い話じゃないか?」
「そう。霊験あらたかな高僧だというなら、他の形でも歴史に名を残していそうな物なのに、冥途記以外では事績が存在しないんだ」
「ということは、架空の人物という事か」
実在する貞崇の事績を借り、もっともらしく道真怨霊伝説を語らせたのではないか? 私には、そう思えた。
「只ね、道賢と名乗る人物は実在したらしいんだよ。妙な形で証拠が残っている」
「証拠って、何が何処に残っているんだ?」
須佐の答は、予想もしていない物であった。
「
「経筒?」
「うん。長さ十七センチ、直径五センチ程の円筒で、銅板に金メッキが施されている物だそうだ。筒の内部に経を納め、寺に奉納する為の物だ」
「同名の別人という事はないのかな?」
「経筒の表面に刻印がある。『倭国椿谷椿山寺奉納三部経一巻為父母菩提敬白延長三乙 酉年八月十三日道賢法師』と、はっきり刻まれているそうだ」
延長三年は西暦九二五年に当たり、醍醐天皇が亡くなる五年前である。時代は一致していると言えよう。
「冥途記の道賢は、金峯山の椿山寺で修行したと伝えられているから、刻印の文字と符合する」
銅製の経筒は当時としては高価な物だった筈であり、其れなりに身分ある者にしか手にする事は出来なかったろう。とすれば、道賢という僧もきちんとしたステータスを持っていたと考えられる。
「経筒が偽物という可能性はないかな?」
私が疑問を呈すると、須佐は首を横に振った。
「偽物を造る意味がないだろう。現に経筒が世に出たのは、一九三九年の事だ。其れまでは歴史の陰に埋もれていたんだ」
「道賢という僧」は実在した。但し、実際に死んで冥途を見てきた訳ではなく、道真怨霊伝説の語り部として天神信仰流布の中心に存在したのであろう。
「此処からは全くの想像だ。道賢は三善清行の弟ではなかったろうが、恐らく三善氏の一員ではあった。金峯山で修行したというのも嘘ではないだろう。そしてきっと、優秀な学僧だったんだ。天神ネットワークと密に繋がる三善一族の一員だった道賢は、自ら大陸に渡ったのだろう。勿論、博多から異国船に乗って。そして中国大陸で勉学に励んだ」
当時既に唐は滅亡し、「五代十国」と呼ばれる群雄割拠の時代となっていた。
「道賢が大陸の何処に渡って修行したかは分からないが、世情は不安定で苦労した事だろう。兎も角も、道賢は無事に帰国出来た」
だからこそ、冥途記を著わす事が出来たのだ。
「大陸で修行している間に、故郷の父母が亡くなったんだろう。其れで供養の為に経筒を奉納したんだ」
遙か海の彼方で修行する身では、父母の臨終を看取る事も出来なかった。せめて菩提よ安らかなれと、経筒を納めたのだと想像したい。其れが須佐の思いだった。
「道真には、
須佐の見立てでは、道賢は相当に「出来る」男だったに違いないと言う。そうでなければ、「冥途記」が信用される筈がないと。
勿論、大陸で仏教の修行を積んで来たのだろうが、其れだけではなかろうと、言う。
「最先端の大陸技術、恐らく医術を身に付けて帰国したのだろう。病気治癒の実績を以て、公家の間で認められたのだと思う」
扶桑略記に不思議な話がある。延喜二十年(九二〇)大陸から渡ってきた僧長秀の父親が病に倒れ、如何なる治療でも良くならない。思い余って、日本の高僧に祈祷を願った所、たちどころに快癒した。
是程効験あらたかな僧は中国にもいないと、驚き敬ったという。
「其の高僧とは、浄蔵の事さ」
浄蔵は、三善清行の子として知られる存在である。
須佐の説はこうだった。
貞崇、浄蔵、道賢という三善氏属性の僧は、宇多、醍醐、朱雀という帝王三代に寄り添う存在であり、天神仏教勢力の象徴であった。凡そ彼らの事績の陰には、天神使徒の働きがあった。
「浄蔵や貞崇の祈祷というのは、天神使徒による医療行為をカモフラージュしているのさ」
土師氏が出雲時代からオオナムチに仕えていたとしたら、出雲国風土記に伝えられる様に
「大体、三善清行の第八子とされる浄蔵の生まれが、寛平三年(八九一)とされているのに対して、清行の弟だといわれる道賢は延喜五年(九〇五)生まれと推定されている。清行自身は承和十四年(八四七)生まれとされているのにだ。」
其のまま受け取れば、浄蔵は清行が四十四歳の時の子供となるのに対し、道賢は五十八歳年齢の離れた弟という事になる。
「大分いい加減な設定だという事さ」
浄蔵や貞崇は歴史の表に実体として存在したが、道賢の場合は「宣伝塔」という役割が先行している様だ。三善氏の持つ役割を象徴する存在ともいえた。
「三善氏イコール渡来系氏族なのだから、そもそも仏教との親和性が高い。そこで、天神ネットワークの仏教方面担当として、中核的な役割を果たす事に成ったのだろう」
因みに、貞崇は貞観八年(八六六)生まれで、清行とは十九歳しか年が違わないが、清行の弟という紹介は見かけない。其の事から、其れなりの人物として実在したのであろうと推測される。
「証拠は何もないが、中国僧長秀の父を治療したのは道賢で、御礼の意味も兼ねて長秀の船に乗せて貰い、大陸に渡ったのかもしれない」
「其処で、更に医術を修めたという訳か」
面白い仮説だと思った。
「さて、いよいよ清涼殿落雷事件に迫るぜ。なんたって、道真怨霊伝説の最大事件だからな」
事件の概要は次のようなものである。
延長八年(九三〇)六月二十六日、宮中清涼殿において落雷の為に死傷者多数が出た。この日、都周辺で続く旱魃について対策を議する為に帝のいる清涼殿に諸臣が集まっていた。すると、俄に天が曇り、
そうこうするうちに、清涼殿南西方第一の柱に雷が落ち、炎が燃え上がった。次に、大納言藤原
紫宸殿にも落雷し、
更に清涼殿南側の軒下で、
「『日本紀略』、『扶桑略紀』という歴とした史書の記述を要約すると、こういう事になる」
少なくとも五人が死亡、一人が重傷という大事件である。
「だけど、様子がおかしい所が幾つかあるね」
「だろう? 髪とか、膝を焼かれて死んだとかね。一番ひどいのが、
「本当にそう書かれているのか?」
「間違いないね。『右近衛茂景独
雷に打たれて、「撲滅」という事はないだろう。
「何者かに撲殺されたという事さ」
「其れなら、他殺じゃないか。」
単なる自然現象ではなかった。少なくとも、何者かが宮中に襲撃を掛けたのだ。
「俺の見立てでは、天神一派が対立勢力を粛正したのだと思う」
須佐は、言った。
「藤原清貫は、大納言とはいえ藤原家では傍流だ。時平が斃れ、忠平の代になってから急速に出世しているんだな。せっせと蓄財に励んだのだろう」
平希世は皇族から臣籍降下した貴族であった。元々の財産は少なく、是もまた寄進系荘園の利を貪った事が想像される。天神の里の平和を、是らの貴族達が武力を以て侵す事態が発生したのではないか。其れが須佐の推測であった。
――――――――――
「長太が死にました」
感情を亡くした声で、里の長が梅に告げた。昨日から生死の境を彷徨っていたが、夜明けを待たずに息を引き取ったのだ。
「そうか。助からなかったか」
無惨であった。長太は、可愛い盛りの四つになったばかりで、近衛が乗る馬の蹄に掛けられた。
肋骨が、大方砕けていたという。
其処に目をつけた近隣の荘園領主が、土地を寄進せよと里長に迫った。さもなくば、耕作が出来ぬように水路を破壊すると。
里では、此の言いがかりを撥ね付け、交代で水路の見回りをする等して守りを固めて来た。小競り合いが何度かあったが、大怪我をする者もなく、昨日まで睨み合いが続いていた。
ところが昨日、突然騎馬の集団に水路を襲われた。蹄を鳴らして押し寄せた集団は、手に手に棍棒を持ち、里人を撲り倒した。
そうしておいて、供の下人に水路の堤を切らせた。
「良いか! 吾等は
兵衛の頭分はそう叫ぶと、手綱を返して引き上げようとした。その時、走り出した馬の足下に、間の悪い事に畦で遊んでいた長太が迷い出た。あっという間もなく、長太の体は馬に踏み付けられた。後続の馬の何頭かにも踏み付けられ、騎馬集団が去った後には、襤褸雑巾の様に成った長太が転がっていた。
「此の様な非道、断じて許せませぬ」
里長は、抑えた声で梅に訴えた。
「うむ。だが、軽挙はならんぞ。土地の寄進を求めているのは、
「其れで、相手が収りましょうか?」
里長が梅に迫った。
「収らねば、此方にも覚悟がある」
梅はそう言い切ると、腕を組んで瞑目した。
「後の事は吾に任せよ。御前は長太を弔ってやるが良い」
「――はい」
里長は頭を下げてから、引き下がった。長太は里長の孫であった。
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