ストレンジホテル
春雷
ストレンジホテル
ホテル滞在四日目。
仕事は順調に進んでいた。取材も大方終わり、執筆もほとんど終わっていた。私は美味しいものでも食べようかと思い、外出することにした。ここに来てから忙しくて、ほとんど何も食べていないのだ。
着替えていると、携帯電話が鳴った。ベッドに放り投げられていた携帯電話を手に取る。妻からだった。
「ねえ、そのホテルやっぱり怪しいわよ」
妻の声は暗かった。
「また妙なサイトに入れ知恵されたのか。大丈夫だよ、今のところ怪現象は起こっていない」
「でも、あなたは霊を呼びやすい体質だって言うじゃない。心配なのよ。ネットの情報では、そのホテルで何人もの人が」
「わかったよ。どうせ明日帰るんだし、もう良いだろう。今のところ何も起こっていないわけだし」
「でも」
「もう切るよ」
「あ、待って。切らないで」
「どうしたんだ?」
「鷹が熱を出したのよ」
「熱?」
私の息子の鷹はめったに風邪を引かない子どもだったから、珍しいこともあるのだなと思った。
「病院には行った?」
「まだ。今日の夕方くらいから急に熱を出して、最初はそんなに辛そうじゃなかったから、市販薬を飲ませたんだけど、良くならなくて。今からだと開いている病院も少ないし、明日診てもらおうかなと思っているんだけど、どう?」
「まあ、鷹は丈夫な子だから、そんなに心配することもないと思うが、さらに熱が上がったりしたら、救急で診てもらえば良いんじゃないか」
「鷹の熱もそのホテルのせいじゃないかしら」
「馬鹿言うな。そんなことあるわけないだろう。ネットの情報なんてものは不正確なものが多いんだ。君はもう少し慎重に、冷静になった方が良いと思うよ」
そうかしら、と妻が言った。そうだ、と私は断言し、電話を切った。
妻の言う通り、ホテル滞在中に怪現象が発生してしまうことは多かった。あまりにたびたび起こるので、妻は元々旅行好きだったのが、ホテル嫌いのせいでまったく旅行に行かなくなってしまった。私が出張する際も、ホテルを避けて誰かの家に泊まったらと提案する始末だ。やれやれ、と私は頭を振った。みんなホラー映画の観すぎだろう。ホテルにそんな魔力はない。妻は私がジャック・ニコルソンのようになると思っているのだろうか。
外出する気が失せてきた。冷蔵庫を開けて、コーラを飲む。私は下戸だから、コーラがビールの役割をしている。この国はまだまだ下戸への理解が足りないように思える。接待で何度飲まされたことか。ホテルより酒の方がよっぽど怖い。酒の魔力こそ真に危惧すべきことだろう。
私がコーラを飲み干した、その時だった。
ばたん。
ひとりでに冷蔵庫のドアが閉まった。
照明が明滅し、テレビが勝手に点いた。部屋のドアも開閉を繰り返している。電話が鳴り、切れた。カーテンは風もないのに揺れている。
「くそ」
私は思わず呟いた。
枕が私に向かって飛んできた。私はそれをキャッチする。
「やれやれ、またか」
これで何回目だ。ホテル滞在中に起こることが多いのだ。それも、今回のはかなり大きい力だ。これほどのものは今まででもなかった。
部屋を出るべきか。
「しかし」
私は迷っていた。どうするべきか。
部屋のベルが鳴った。誰だ、こんな時に。音を聞きつけて、やってきたのだろうか。
「すみませーん」
間抜けな声がドアの向こうでする。今、彼に関わっている暇はないのに。
そう思っていると、勝手に部屋のドアが開き、彼が入ってきた。赤い帽子をかぶった、長髪の青年だった。顔にはまだ幼さが残っている。背は高い。大学生だろうか。
「いるじゃないですかー。どうして出てくれないのですかあ」
「見ればわかるだろう、忙しいのだ」
「怪奇現象、ってやつですかあ?」
「そんなところだ」
「はあ、あなた、嘘を吐く方なんですね」
「嘘? 何を言っている」
「だって、これ」
「あなたの、仕業でしょう?」
「な、何を言っている?」
「とぼけるのですかあ。はあ、良くないなあ」
「とぼけているわけではない」
「気付いているのでしょう。あなたも。そう、あなたは超能力者だ」
私は苦い顔になる。そうだ。薄々気付いていたのだ。霊の仕業では説明のつかない物事が、たびたび起こっていたのだ。確実に私の意思によって発生した怪現象があった。やはり、これは私によって引き起こされた現象なのだ。
「認めよう。だが、これは私の意思とは無関係なのだ」
「仕事は順調ですかあ?」
「ああ」
「ホテルではよく眠れますかあ?」
「実はよく眠れない。ホテル滞在は好きだが、どうにも落ち着かなくてな」
「最近、何かストレスのかかるような出来事がありましたかあ」
私ははっとした。妻からの電話。あの電話のあとに怪現象は起こり始めた。
「なるほど。私のストレスが原因ということか」
「ええ。ストレス発散することによって、この現象を抑えることができますう。あとで、コントロール法も教えてあげましょう」
「助かる。しかし、君は何者だ?」
「ああ。そうですね。霊、と名乗っておきましょうか」
私は彼の顔を見た。
「冗談ですよお」
彼は笑った。私も笑った。そして、彼と飲みに行くことになった。ストレスを発散したことで、怪現象は起こらなくなった。コントロール法も教わった。私は酒が飲めないため、ソフトドリンクを飲みながら、彼と色んな話をした。久々に楽しい夜だった。居酒屋を出ると、夜風が気持ちよくて、私と彼は肩を組んで歩いた。
部屋に戻ると、携帯電話が鳴っていた。妻からだ。何回もかけていたようで、着信履歴が妻の名前だらけになっていた。
「何度もかけたのよ」
「すまない。飲みに行っていたんだ」
「誰と?」
「今日知り合いになった人」
「怪しい人じゃないでしょうね?」
「怪しくないよ。隣の部屋に泊まっている人」
「そう」
「ところで何の用?」
「あ、そうそう。あのサイトを見ていたらね」
「またサイトか。もう見るのやめた方が良いんじゃないか」
「そうはいかないわよ。あなたのためを思って調べているんだから」
「はいはい」
「それで、そのサイトに載っていたのよ」
「何が?」
「その部屋で、過去に自殺をした人がいるって」
「自殺? この部屋で?」
「そう。時々幽霊の目撃談もあるらしいわ」
「馬鹿馬鹿しい」
「その特徴を言うわね」
「勝手にどうぞ」
「赤い帽子。長髪。すらりと高い背。舌足らずな話し方。青年らしいわ。ねえ、聞いてる?
もしもし? どうしたの?」
「ねえ、あなた?」
ストレンジホテル 春雷 @syunrai3333
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