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【ウォランス家はセオ・コーテルラ・ウォランスの小さな商い(同時に金貸しもしていたとか)から始まった。幼い頃からウォランス一世には他の者が呆れるような野望があり、彼はそれを叶える為の勤勉さと真面目さを有していた。もちろんそれだけではない。世界の流れから未来を見る高い先見性、必要であれば大きく賭けに出ることも厭わない勇気、運が彼を救ったこともあったという。
そのように徐々にだが確実に大きくなっていったウォランス家は、様々な事業へ拡大しては成功を納めていった。
そして今ではその影響力を世界中へ広げ、その名を知らぬ者はいないと言わせるほどにまでなっている】
メイドの朝は早い。体内時計のアラームで目を覚ました私はまず二秒間、天井を眺めるのだ。二秒後、私の眠気は跡形もなく消散している。
その後、ベッドから出るとベッドメイキングをし身支度を手早く済ませキッチンへ(だがこの時はまだメイド服ではなく動きやすい恰好)。
まず軽食を口に運ぶ。
「これとこれとこれで、適当にサンドイッチを作ってと――」
その後に武道場へ。そこでまず朝の運動を始める。軽く汗をかく程度だ。相手がいないのは少し物足りないがそれでも相手を想像し動き一つ一つを意識しながら丁寧にやる。決して手は抜かない。
それが終われば武道場を軽く清掃し自室へ戻り汗を流し、メイド服を着てブーツを履く。
その後、客室や応接間などの軽い清掃。ダイニングや広間などのこの後に使用する部屋やこの屋敷の顔である玄関などは、この時に丁寧に掃除しておく。とは言いつつも毎日のように掃除している為、汚れは無い。
「こんな隅っこも綺麗。今日までの私、頑張ってる」
そう過去の自分へ称賛を送っていると視界の端に異変を捉えた。体は動かさぬまま微かに顔と目を動かしそれを確認する。やっぱりそこにはいたのだ。どこから迷い込んだのか……虫が。
私はその姿を捉えたまま瞬時に内腿に隠し持ったクナイを抜きその虫へ狙いを定めた。真っすぐ飛んだクナイは寸分狂わず虫に突き刺さる。
「ふぅ。虫とて無断でこの屋敷に入る事は許されないわよ」
それが終わると一度、自室で新たなメイド服へ着替えキッチンに戻り朝食の準備を始めておく。
七時にはお坊ちゃまの寝室へ行き、夢世界からお戻りいただく。
【第五代フィンリー・S・コーテルラ・W(ウィリアム)・ウォランス伯爵様。ウォランス家の当主だった彼はこれまでの歴史を守りつつ更なる発展の為、尽力していた。
そんな中、妻のオフィーリア様が息子のアーサー様を出産後、死去。しかし悲しみに暮れながらもフィンリー様は家の主として強く振る舞っていた】
まるで人形のように眠る危険など知りもしない無防備なその寝顔は、とても愛らしく見る者を癒す魅力を有していた。
私はこの瞬間が好きだ。朝、寝室を訪れお坊ちゃまへ手を伸ばすこの瞬間が。そっと伸ばした手が羽毛布団越しに小さな体へ触れると、優しくだがそれでいてしっかりとお目覚め出来る程度に揺らす。
「お坊ちゃま。お坊ちゃま」
あまり大きな声は出してはいけない。だが聞こえなくても意味がない。小鳥の囀りで目覚める朝のような心地好さを意識してお坊ちゃまを起こす。
「ん~」
静かに唸りながらまだ抵抗のある瞼を半分ほど上げたお坊ちゃまが、薄くぼやけているであろう視界で私を見遣る。
「まこと?」
「おはようございます。お目覚めのお時間ですよ」
「……まだ、眠たいよ」
そう言って布団に少しばかり潜るお坊ちゃまに、ついついそのご希望を叶えて差し上げたいと思ってしまうが、ここは心を鬼にしなくてはならない。
「お気持ちはお察し致しますが、お目覚め下さい」
「ん~」
私はベッド際から窓際へと移動するとカーテンに手を伸ばした。
「本日も大変気持ちの好い朝ですよ」
言葉に合わせるようにゆっくりとカーテンを開き、朝日を部屋へ招き入れた。意気揚々とやってきた朝日は床や棚、ベッドとそれからお坊ちゃまを祝福するように照らし私の手助けをしてくれる。薄暗さに紛れお坊ちゃまを誘惑する睡魔を神々しき朝日が暗闇の最奥へ追いやり、その隙にベッド際へ戻った私は陰翳に潜るお坊ちゃまへ光の温かさをお教えした。夢世界には無い五感で見る光。
「さぁ。お坊ちゃま」
寝ぼけ眼を擦りながら起き上がるお坊ちゃまに合わせ羽毛布団を大きく捲りベッドから足を出しやすくした。そして放り出された両足に片一方ずつ履物を履いてもらう。
だがその時、まだ半分ほど眠ったままそよ風に吹かれる花のように前後に揺れていたお坊ちゃまの体が後方に戻らず前進し続けた。もう片方の小さな足を手に取っていた私は視界端でそれを確認すると、履物を手にしたまま素早く、だがその瞬間は何よりも丁寧にそのお体を受け止めた。
私の腕の中でゆっくりと再度、目を覚ますお坊ちゃま。
「おはようございます。まずは目を覚ましてしまいましょうか」
「ぅん」
お坊ちゃまから離れもう片方の足へ履物を履いてもらうと私は手を差し出した。まるでダンスのお誘いをするように手を差し出したが当然ながらそう言う意味ではない。手を握ったお坊ちゃまがベッドから床に下りると私は立ち上がり、歩き出したお坊ちゃまの後に続く。
【だがフィンリー様は、アーサー様がまだ十も行かぬうちに不慮の事故によりオフィーリア様の後を追う形になってしまった。当然、暗殺などの噂も広く囁かれたがそれを裏付ける証拠もなければ不審な点もない。それらの点からまだ幼いアーサー様を残し当主不在となったウォランス家に代わりフィンリー様の姉君でありキャルティック家の現当主アティカス・キャルティック様の奥様でもあるクロエ・キャルティック様が公式に声明を出しこの件に終止符を打った】
まずはお顔を洗う。洗面台へ行かれるとそこに置かれている台の上に乗りお坊ちゃまはお顔を洗われる。その間に私はタオルを用意し、それが終われば透かさず差し出すのだ。
洗顔を終えると私はタオルを持って一度キッチンへ戻り温かいミルクを部屋へお運びする。
「お坊ちゃま、どうぞ」
「ありがとう」
すぐに飲める程度の熱さでお渡しするのが鉄則だ。カップが空になるとお坊ちゃまのお着換えのお手伝いをする。
そしてそれが済むとお坊ちゃまをダイニングへとお連れし、朝食の時間。私は残りの準備を手早く済ませ給仕をする。以前まではお坊ちゃまに起床いただく前に済ませていたのだが、お坊ちゃまのご希望により今ではご一緒にお食事させていただいているのだ。
この時にも私には大事な役目がある。それは、
「お坊ちゃま。あまり音を立ててはいけませんよ」
お坊ちゃまへテーブルマナーを覚えていただくこと。
「お坊ちゃま。お食事中にフォークやナイフを置く場合はお皿の上へ斜めに向けて置いてください。それとお飲み物を飲まれる際はフォークを一度置いてからですよ」
ウォランス家の当主ともなれば実に様々な方とお食事をする機会がある。その際にウォランス家の――何よりお坊ちゃま自身の為にもこれは身に着けておかなければならない事だ。故に何度でもお声を掛け覚えていただく。
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