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 放課後。時刻は十七時を過ぎ、部活動を終える時間帯になる。夕日に照らされた校舎は赤く染まり、気温が少しだけ下がり始めていた。


「昨日はその、ありがとな」


 まだ部活が終わってないからだろう、体操着姿の百崎さんが僕に話しかける。


 え、なんか感謝されるようなことしたっけ?僕が黙っていると、「ほら傘貸してくれただろ」と言う。


 ああ、そういえば。


「わりーな。部室に置きっぱなしだから、今から取りに行くよ」


「そんなに急がなくてもいいよ。傘ぐらいいつでもいいし」


「え?じゃあ今日は何しにきたんだ?」


「なにって、百崎さんに会いに来たんだけど…」


「え?」


「え?」


 …あ、まずい。今の言い方ではまるで百崎さんを口説いているみたいじゃないか。いや、寝取るという意味では良いのだが、そんなあからさまに口説く奴がいるか?もうちょっと手順とかあるだろ。


「お、俺に何の用だよ」


 おや?なぜか動揺してる。百崎さんは所在なさけに視線を動かし、僕から目をそらす。頬を赤く染めて髪を弄る姿なんてまるで乙女だ。


「言っておくけど、俺、…彼氏いるぞ」


 と彼女は言うが、なぜかあまり顔が晴れない。やっぱり彼氏とはうまくいってないのかもしれないな。


「え、ああ、そうなんだ。深い意味はないんだけど。ほら、せっかく友達になったんだし、挨拶ぐらいした方がいいかなって」


「え、ああ、うん、そうか。そうだな、俺たち友達だもんな!」


 うん?僕らって友達だっけ?まずいなあ、最近脳が壊されるイベントばかりだったから、なんか思考力がバグってるわ。


 僕は陰キャのはずなのに。陽キャでコミュ強の壬生さんといつも一緒にいるせいか、僕までなんかチャラ男みたいな思考が身に付き始めてる。


 ちなみに今日は壬生さんは女子テニス部をサボって遊びに行っている。…うん?遊びに行くだと?このタイミングで?


 どうしよう、急に不安になった。


 壬生さんは六月が終わるまで逆寝取りはしないと言ってくれた。しかしそれは、一線を越えないと言っただけで、別にそれまでの期間、なにもしないとは言ってない。


 どくん。心臓が高鳴る。


 やばい。あの壬生さんがなにもしないわけがないのだ。なぜ僕はそのことに気づかないのだ。


 どうしよう?めっちゃ壬生さんに連絡してなにをしているのか確認したい。しかし今はそんなことをしている場合なのか?


 そう、今回は制限時間がある。一秒でも早く百崎さんを攻略しないと、壬生さんの貞操がヤバいのだ。


 …あれ?百崎さんを攻略すればいいんだっけ?でも攻略したら壬生さんが寝取られるって話じゃなかったっけ?もうわけがわかんないぜ!


「おい、どうした?なんか顔色悪くないか?」


「え?ああ、ごめん、大丈夫。ちょっと喉乾いただけだから」


「ああ、そうなのか?なら、なにか飲みにでも行くか?」


 お、誘い出すちょうど良い口実できたな。


「うん、そうだね。百崎さん、今からどっか遊びに行く?」


「おう、いいぞ。ちょっと待ってろ。着替えてくる」


 たったったっ、と校庭を走り、部室棟へ向かう百崎さん。とりあえず、一緒に時間を過ごせそうだ。


「あれ?根東くん。なーにしてるの?」


 背後から知っている声をかけられる。その声の主はぽんと僕の肩を叩く。


「もしかして、私に会いに来てくれたのかな?」


 同い年のはずなのに、えらく余裕のある大人っぽいお姉さんボイスをだすその人は、宗像杏さんだった。


 別の意味で危ない人まで寝取り合戦に参加してきた。


「む、宗像さん!なぜここに!」


「だって私、テニス部だし。部員がいたらおかしいのかな?」


 そう言って大人っぽい笑みを浮かべる宗像さん。すでに着替え終わったのか、ブレザーの制服姿の彼女はとても可愛く、色っぽい。


 帰宅途中の男子がたまに宗像さんの方をちらりと見て目を見開き、そのあとに僕の方を見てなんだか恨めしそうな表情を変えるという現象が彼女の周囲で繰り広げられている。


 …いや、このタイミングで宗像さんはまずくない?だってさ、宗像さんって確か、百崎さんの彼氏と浮気したんじゃなかったっけ?


「おい司、待たせたな!って杏、なんでお前がここに!」


 あ、やべ。鉢合わせしちゃった。大丈夫かな?


「えー、またその質問に答えるの?もう瑞樹ったら、私がここにいたらおかしいの?」


「いやおかしくはないけど、お前、司と知り合いなの?」


 見れば、ブレザーの制服に着替えた百崎さんがそこにいた。急いでいたのか、息を軽く弾ませている。


 それにしても、もっと修羅場になるかなって思っていたが、案外平気そうだ。もう和解済みなのかな?


 まあそうだよな。でなきゃ合宿の時、同じ部屋で遊んだりしないもんな。


「根東くんはフレンズだよ。私たちはセフ…」


「そう、お友達!壬生さんと一緒に遊んだことがあるんだよ!」


 宗像さんからとんでもなく卑猥な単語が出そうな予感がしたので、それを遮って答えた。遮られた宗像さんは僕の方を見て、ニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべている。


「ああ、そうなんだ。じゃあこれからどうする?杏も一緒に軽く食べに行くか?」


「あら、いいわね。根東くんも一緒に行くの?」


 なぜちょっと頬を赤く染めて僕の方を見る?


「う、うん。そうだよ」


 どうしよう?僕には百崎さんを寝取れという命題がある。しかし彼氏持ちの女の子をナンパするなんて、そんな芸当、僕にはない。ここは二人っきりで行動するより、人数を増やしてあくまでフレンズ感覚で接してますよってアピールすべきか?


 うん、そうだな。焦ることはないんだ。そうしよう。


「宗像さんも一緒に行こうよ!」


 と僕は彼女を誘うことにした。


「それにしてもよく来沙羅のやつ、杏と仲良くすること許したな」


 校門を出て通学路を一緒に歩く僕たち。僕を挟む形で右に百崎さん、左に宗像さんがいる。


 なぜだろう?お姉さんタイプの美女の宗像さんと、アスリート系美少女の百崎さんに挟まれるという、まるでハーレムみたいな状況なのに、まるで楽しめない。むしろ胃の負担がでかいぞ!


「え?なんで?宗像さん、すごく良い人だよ!」


 まさか浮気の件、知ってますよ、なんて言うわけにもいかないので、僕はあくまで善意の第三者に徹する。


「あら?根東くん、私のこと、そう思っててくれたの?嬉しいわ」


 そんな本当に嬉しそうな笑みを浮かべないで欲しい。僕まで照れるじゃないか。


「いや、だってお前、あの…いや、この話はいいや」


 もしかしたら浮気の件をつつきたいのかもしれないが、さすがにここで言う話じゃないと思ったのか、百崎さんは途中で黙る。


「根東くん、実は私ね、瑞樹の彼氏とエッチしたことあるの」


 なぜバラす?宗像さんはあれかな、僕の胃に穴でも開けたいのかな?


「ええ!そうなの!一体なんで?」


 まあ本当は知ってるけど、そう言われたらこういう反応するしかないしなあ。


「お前、バカ、言うなよ!杏、お前が許してほしいって言うから俺、本当はムカついてたけど許してやったんだぞ!」


 友人が突然浮気を告白するもんだから、百崎さんもびっくりしてる。そらそうなるわな。


「えっと、それはもう解決済みの話でいいのかな?」


 おそるおそる聞いてみる。


 すると、百崎さんは苦虫を噛み潰すような嫌な顔をしつつ、「ああ」と肯定する。


「それはもう、いいよ。もうやらないって約束してくれたし。別に俺、杏を恨みたいわけでもないしな」


「ふふ、ありがとう瑞樹。じゃあこの話はおしまいね」


 いや、あなたが勝手に始めただけで、誰も聞きたいなんて言ってないんですけどね!


「司、お前も気をつけろよ。来沙羅のこと悲しませたら承知しねえからな!」


「う、うん。もちろん壬生さんのことは大事にしてるよ」


「お?そうか」


 ――それは羨ましいな、と百崎さんの声はちょっと小さく、そして重い口調だった。


 まさかすでに宗像さんとやる一歩手前までいったとはとても言える雰囲気ではないな。さすがの宗像さんもそこまで言うつもりはないらしい。


「そうだよな、お前、駅で堂々と来沙羅とチューする仲だもんな!」


 なぜバラす?僕、なにか恨まれるようなことしたか?


「ちょ、あんまり言わないで。恥ずかしいな」


「あらあら、本当に仲が良いのね。羨ましいわ」


 同じ羨ましいという単語でも、宗像さんが言うとなんか意味合いが違ってくるな。なぜだろう?宗像さん、僕の下半身の方をじっと見ていた。そんなもの見ても面白くはないだろ。


 そんな取り留めのない話をすること十数分。僕らは繁華街へと到着し、とりあえずどこに行くか話しながら歩く。


 そういえば、百崎さんの彼氏もテニス部なんだよな?なんで今日、一緒じゃないんだろ?


 そんな疑問をよそに、宗像さんと百崎さんはファーストフードのお店へ行く。どうやら放課後に彼女たちがよく行く店のようだ。


「司、ここでいいよな?」


「うん、いいよ」


 お店のなかはそこそこ混んでいた。僕らは適当にコーラとポテトを注文し、席につく。


 テーブルを挟んでそれぞれのイスに座るわけなのだが、なぜか宗像さんが僕の隣に座り、正面に百崎さんが座る。


 こういうのって女の子同士の方がいいのではないのだろうか?宗像さんから妙な圧を感じる。


「そういえば今日、来沙羅と一緒じゃねえの?」


「壬生さんは遊びに行ってる」


「ああ、あいつ遊ぶの好きだもんな。よく部活サボってどこか行ってたな」


 まるで思い出すように語る百崎さん。授業関係において壬生さんはかなり真面目な優等生なのだが、部活動に関してはそこまで真面目に出ているわけではないみたいだ。


「へえ、そうなんだ。誰も文句言わないの?」


「無理だよ。だってあいつ、練習してないのに誰よりも上手いし」


 へえ、ガチで天才肌だな。


「昔からそんなに上手かったの?」


「来沙羅は高校からテニス始めたから、そもそも昔はやってないよ」


 宗像さんが教えてくれる。


 へえ、高校から始めるだけで経験者より上手くなれるんだあ。そら凄いわな。


 僕は壬生さんのことについて、勉強面については同じクラスなのでよく知っているが、部活動についてはほとんど知らないだけに、知らないことを知れるのは素直に嬉しかった。


「なんだよ、知らなかったのか?」


「うん。そういえば聞いてなかったね」


「昔からの知り合いとかじゃないのか?」


「え?違うよ。知り合ったのは高校から。付き合ったのは今年の春からだよ」


 なんだ、本当に一ヶ月以上付き合ってるのかあ、と嘆く百崎さん。そういえば付き合っている期間を賭けの対象にしてたな。


「スポーツもできれば勉強もできる。しかもめちゃくちゃ可愛い。あいつには弱点とかないのかよ」


 と嘆く百崎さん。


 うーん、弱点か。


「壬生さんは、耳が弱点かなあ」


 とぽつりと僕はつぶやき、しまった!余計なこと言ってしまったと後悔した。


「あ?なんだそれ?」


「いや、ごめん。今のは聞かなかったことにして」


「あら!来沙羅って耳が弱点なのね。知らなかったわ!」


 と驚く宗像さん。やべ、まったく聞き逃すつもりはないらしい。


 ごめん、壬生さん。君の弱点、バラしちゃった!


「あの完璧女にもそんな弱点あったのか。それはお熱いことで」


 面白くないとでもいわんばかりの態度で、百崎さんはごくごくとコーラを飲み干す。


「ちょっとトイレ行くわ」


 そう言い残して席を立ち、トイレに向かう百崎さん。すると宗像さんが「それで」と僕の方を見て、「根東くんはなにが目的で瑞樹に近づいたの?」と圧のある声で言われた。


 あれ、なんか怖いんだけど?


「瑞樹はね、私がいうのもあれだけど、大事な友達なの。あんまり変なことはしてほしくないかな」


 あ、もしかして怒ってるのかな?こういう修羅場が来るとは予想外だった!


「いや、違うんです!そういうのではなくて…」


「ところでさっき、来沙羅を見たんだよね」


「え?」


 一体どこで見たんだろ?


「瑞樹の彼氏の竜二くんと一緒に歩いてたの。そのあとで根東くんが瑞樹と仲良さそうにしてたでしょ?だからなーにしてるのかなって勘ぐちゃったの」


 …え?それガチトーク?


「そ、そそそ、それは、その本当に壬生さんだったのかな?」


「あら?本当に知らなかったの?ごめんなさいね」


 まるで謝る気のない謝罪を受けてしまった。


 というかちょっと待ってよ。壬生さん!え、嘘!マジで?君、今日は遊びに行くって言ってたじゃん。いや、壬生さんからしたら他の男とちょっと出かけるなんて遊び気分なのかもしれないけども!ただほら、僕からするとそれ、重大な寝取られイベントになっちゃうからさ!できれば事前に報告が欲しかったよ!でないと僕、寝取られを楽しめないよ!


 …いや、違う。楽しんでないよ。僕は寝取られを楽しんでないからね!ただほら、連絡はちゃんとして欲しいな、というごくごく当たり前のことを考えてただけだから!


 僕は慌ててスマホを取り出し、壬生さんにメッセージを送る。


『壬生さん!今、百崎さんの彼氏と一緒にいるってホント!』


 ぴろん♪


 すごい早く返信がきた。


『本当だよ!』


 ノリ軽いな。


 今の質問ってそんな適当なノリで答えられるような質問だったかな?まあ、いまさら壬生さんが他の男と一緒にいたところで、確かにパンチ弱いもんな。


 うん、そうだわ。なにを僕は慌てているのだろう?相手は壬生さんだぜ。こんなことで動揺してたらあっという間に脳が粉末状になるまで破壊されちゃうぞ!


 もうさ、やめようぜ。たかが他の男と一緒にいた程度でさ、裏切りだとか騒ぐのみっともないよ!この程度はね、RPG序盤でいうところの雑魚モンスター程度の脅威だから。すでにボスを狩れる程度まで成長した僕からしたら、いまさら嘆くことじゃないよ!


 ぴろん♪


 おや?またメッセージだ。ふふ、壬生さんってば、もうこの程度の寝取られ、とっくに耐性ができてるってことにまだ気づいてないのかな?そういうところ、可愛いぞ!


『誘ったら他の男子もいっぱい来ました!これが証拠の画像だよ!』


 画像ファイルが添付されて送信されてきた。


 そこには五人ほどの男子に囲まれ、ゲーセンで遊んでいる壬生さんがいた。


 …複数かあ。


 せめて一人に絞って欲しかった。まさかこちらの倍以上の数の異性に囲まれてるとは。さすがは壬生さんだ。僕の予想の斜め上をいく。


「あら、根東くん。なんだか顔色が悪いわね。どうしたの?」


「え?ああ、いやちょっと脳神経がスパーキングしただけだから、大丈夫だよ」


「それって大丈夫にカウントしていいのかしら?」


 本当に大丈夫?膝枕してあげようか?と優しく提案してくれる宗像さん。この女性は本当に聖母のように優しいな。壬生さんの周囲には素晴らしい女性ばかりだ。


 この女性は信用できる。なぜか今の僕はそう断言できた。


 …あれ?宗像さんってそんな心底より信用して良い人だったっけ?うーん、脳が破壊されすぎてよくわからないや!まあいいや!とりあえず全部話しちゃえ!


 僕は宗像さんに全部話してみた。実は君の大事なお友達、寝取るつもりなんだよねえ、と言ってみたら、宗像さんは、


「あら!それ、良いわね!よーし、私も応援するよ!」


 と同意してくれた。


 やっぱり話せばわかるね。宗像さんは本当に素晴らしい女性だ。

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