3  新しいルール

 僕は基本的に他人に対して悪いイメージを抱くことはあまりない。それが初対面の相手ならば尚更だ。その人のことをよく知ってもいないのに、勝手に悪い印象を抱くなんてそれこそ失礼というものだろう。


 しかしこの目の前にいる女性、宗像杏さんについていえば、例の件があるだけにどうしても偏見がついてまわる。


 小倉さんのような善良な人を陽の人と呼ぶならば、宗像さんについてはどうしても陰、いや淫の人と呼んでしまいそうになる。


 いかんいかん、初対面の人にそんな印象を抱くなんてどうかしているぞ。まったく、失礼極まりないな、僕は。


 しかしどうしても思い出してしまう。壬生さんがゴールデンウィークの合宿中にスマホを通話状態のままにしたことで聞こえてしまった、あの男の女の淫らな会話。


 僕は壬生さんの隣にいる宗像さんを見る。


 クール系美少女の壬生さんに対して、宗像さんは一見すると優しいお姉さんタイプの女性だ。といっても学年は同じなので、僕より年上ということはないだろう。


 なのになぜお姉さんっぽく感じるといえば、妙に包容力のある顔と体をしているからだ。


 そう、彼女はとても色っぽい雰囲気のある、男から好かれそうな女性なのだ。


 ウェーブのかかった長い髪に、抱きしめたらすごく気持ちよくなれそうな柔肌、壬生さんよりも大きく豊かな胸。その大きな胸に対してくびれはきゅっと締まっており、どこまでも女らしさを感じさせる滑らかな体をしている。


 これは、ダメかもしれん。こんな包容力のある女性に誘惑されたら、うん、抱いちゃうね。僕はようやく、なぜ他の女子がいる部屋の中であの男子が誘惑に乗ったのか、その理由がよくわかった。これは無理だわ。男ならみんな行っちゃうわ。


 こんな、こんな綺麗なお姉さんが、性に奔放な淫の人だったなんて。うちの学校の風紀はどうなっているのだろう。


「根東くん?」


 ハッ!しまった、宗像さんのあまりの魅力につい呆然としてしまった。壬生さんに声をかけられ、僕は意識を取り戻す。


「あ、ごめん。えーと、壬生さんの彼氏の根東司です。よろしくお願いします」


「こちらこそ、今日はWデート、よろしくね」


 柔和な笑みを浮かべて挨拶をしてくれる宗像さん。その落ち着きのある態度と礼儀正しい姿だけ見れば、育ちの良いお嬢様のようだった。でも淫の方なんだよなあ。


「それにしても、意外ね」


 宗像さんが僕の方を興味深そうにじっと見つめる。その綺麗な目で見つめられると、吸い込まれそうだ。


「来沙羅の彼氏くんが寝取られ趣味の人だったなんて」


「え!なぜそれを!壬生さん、一体どこまで話したの!」


「うん?ああ、大丈夫。杏は信用できる女の子だから」


「あ、そうなの?じゃあ大丈夫か!よかった、宗像さんが信用できる人で!」


 そうか、宗像さんは淫の方だけど信用できる人なのか!じゃあ僕の性癖がバレても安心だよね!


 …いや、おかしいだろ。いくら信用できるからって、彼氏の性癖を恋人でもない人に簡単に教えちゃう?


 いやいや、大丈夫だよ。壬生さんを信じろ。教えるって言ってもあれだよ、ちょっと軽く教えた程度だって。そんなスマホで合宿の様子を盗み聞きするとか、そんなヤバいことまでは教えてないよね!


「ちなみにどこまで話したの?」


「えーと、十割くらいかしら?」


 全部じゃん。包み隠さず全部教えてるじゃん。もうこれ以上、教えようがないよ。


「え!じゃあ宗像さん、もしかして合宿の件も知ってるの!」


「ええ、もちろん。まさか来沙羅の彼氏くんにまで聞かれてたなんて、恥ずかしいね」


 宗像さんは困ったような笑みを浮かべて、恥ずかしいのか体をもじもじさせる。


 そら恥ずかしいよな。だって彼氏以外の男を誘惑してる場面をまったく関係ない第三者に聞かれるんだもん。そんなシチュエーション、AVでしか見たことないよ。


「あの、まさかそこまでご存知とは。あの、なんかすいません。勝手に聞いちゃったりして」


「ううん、いいの。あんな場所で始めた私たちが悪いんだし」


 ――でも、と宗像さんは続ける。「盗聴もよくないよね」


「来沙羅にも言ったんだけど、盗み聞きはよくないと思うの。根東くんもそう思わない?」


「すいません。その通りです。全面的に謝罪します!」


 確かにいろいろツッコミを入れたいことは多々ある。あるのだが、こちらにも非がある分、ちょっと非難しづらいところもあった。


 そもそも寝取られ性癖を持っているような僕が、宗像さんの性事情についてとやかく言う資格があるのだろうか?


 …うん、ないね。宗像さんの彼氏さんが言うならわかるけど、僕にはないよ。よし、宗像さんを批判することは絶対に止めよう!少なくとも僕に彼女を批判する権利はない。


「あら?正直に謝るのね。悪いと思ってるの?」


「はい!思ってます!宗像さんのプライバシーを侵害して申し訳ないです!」


「そう?うーん、謝ってくれるなら、そうね。根東くんのこと、許しちゃいます。ならこの話はこれでおしまい!今日は二人っきりで遊ぼうね!」


「はい!わかりました!宗像さんに喜んでもらえるよう、頑張ります!」


 ふぅ、助かった。やっぱ悪いことしたらちゃんと謝らないとね。


 …うん?今なんか変なこと言ってたな。二人っきりって?


「根東くん」


 壬生さんが僕に言う。


「私もね、昨日の件もだけど、最近ちょっとやり過ぎたかなって反省してるの。いくらやりたいことがあるからって、やっぱり他人に迷惑をかけてまでやるのは違うと思うの」


 あの壬生さんが、非を認めているだと!


 …いや、もともと壬生さんは間違ってることは認めるタイプか。ただ行動力がありすぎるせいで、非を認める前に行動に出ちゃうというだけのことだろう。


 それはそれで厄介な性格だけど。


「でもね、止められないの。思いついたらやりたくなっちゃって」


 だめだこの人。非は認めるけど、反省するつもりは無いようだ。


「根東くんの彼女としてもっと彼氏を喜ばせてあげたい、でも周囲に迷惑はかけられない。じゃあどうしたらいいのかしら?そうだ、協力者を増やせばいいんだ!って気づいたの」


 なに言ってんだこの人?壬生さん、頭が良くなりすぎておかしくなっちゃったのかな?


「小倉さんは善良すぎてダメだった。でも杏なら大丈夫。根東くん、杏は信用できるよ!」


 え、なにが?ちょっと言ってる意味、わからないっすね。


「根東くん、新しいルールを追加しましょう」


 壬生さんは僕の方を見つめ、怒涛のように話を展開していく。もう話についていくので精一杯だ。


「ルールって、あのルール?」


 僕は彼女と付き合う時に約束したルールを思い出す。いわく、疑う人は嫌いなので付き合えない、そしてセックスをするということは疑うことなので別れる、というやつだ。


 まあ、今の僕は壬生さんに対する不動の信頼があるので、今になって彼女を疑うことなんてないし、卒業まで我慢できる自信もある。正直、このルールはもう形骸化しているといっても過言ではないくらいだ。


「あの時は根東くんの性癖について詳しく知らなかったから、あんな簡単なルールになってしまったの。知っていたら、もっとえげつないルールを考えられたと思うの」


 …えげつないルールって、君は一体僕をどうするつもりなのだろう?


「根東くんは他の女の子とエッチしても良いよ。その代わり、その時は私も他の男の子とエッチする。これが新しいルールだから」


 …え?


「うん?ごめん、ちょっとよくわからなかった。どういうこと?」


「根東くんが他の女とエッチしたら、私も他の男とエッチする、そういう意味だよ」


 やっぱりそういう意味か。どうやら僕の脳はちゃんと正常に働いているらしい。幻聴じゃなくて良かった!


「ちょっと待ってよ。なんで急にそんな新ルールを追加するの?そんな闇のゲームみたいなことしなくてもいいでしょ!」


 闇っていうか、ピンク色のゲームなんだけど。


「だってその方が根東くん、喜ぶでしょ?」


 と壬生さんは、こいつなに当たり前のこと言ってんだ?みたいな態度で言う。いや、当たり前じゃないんですけどね。


「いやいや、喜ばないよ!なにを言ってるの!」


「本当に?じゃあ試しても問題ないよね?」


「え?」


 あ、やべえ、これ本気の顔だわ。


「これからね、杏の彼氏が来るの。今日は私、その人と一緒にデートするから、根東くんは杏と一緒にデートしてきて。もしエッチしたくなったら、いつでもどうぞ。その時は、私も杏の彼氏とエッチするから」


 え、マジで言ってる?


「いやいや、ダメだって。だって、杏さんだって彼氏以外の男とエッチなんて嫌だよね!」


「うん?私は大丈夫だよ」


 あー、そうだった。この人、そういう人だった。


「いや、でも彼氏さんがダメでしょ!宗像さんが良くても、彼氏さんが迷惑被るよ!」


 そうだ!今回は宗像さんだけじゃない!その彼氏さんもいるんだ!彼氏さんがダメだって言えばこの検証は不成立になるのだ!


「それなら大丈夫だよ」


 と宗像さんははっきりと断言する。なぜに?なにか根拠でもあるのだろうか?


「だって私の彼氏、私の浮気、公認してるもん」


 と呆気なくとんでもない事実を暴露する宗像さん。


 う、うううう、浮気公認してるの?


 嘘だろ。どこの世界に彼女の浮気を公認する彼氏がいるんだよ!いや、ここにいるか。でもそんなのありえないだろ!おかしいんじゃないの!


 …と批判できたら良かったんだけどなあ。でも無理だよ。だって僕と壬生さんの関係もなかなかイカれてるもん。正直な話、僕みたいな人間が常識や良識を語って宗像さんを批判するのはかなり無理がある。


 あーあ、普通の人に産まれたかった。それならこんなわけわかんない事態に巻き込まれずに済んだのに。あ、でもそれだと壬生さんと付き合えないからダメか。もうこの性癖とは最後まで付き合うしかないかもね。


 っていうか、そもそも浮気ってダメなんじゃないの?やったら裏切りになるんじゃないの?


 …いや、違うか。結婚しているっていうならともかく、未婚の関係での浮気は当事者の問題であって、部外者には関係ない問題だもんね。


 つまり、本人たちが公認しているなら、浮気しても問題ないってことか。それにしても宗像さんの彼氏さんは一体なぜ浮気を公認したのだろう?それが最大の謎だよ。


「で、やるの?根東くん?」


 壬生さんは僕に詰め寄る。なんだか今日は圧が強いな。


「それって、断ったらダメなの?」


「ダメ」


「どうして?」


 僕はできれば断りたかった。そんな新ルールの追加、認めたくない。だってそんなルール追加されたら、絶対壬生さん、暴走するもん。


 壬生さんは僕の真正面に立って、下からじっと僕の方を見上げている。なんだか詰問されているみたい。あれ、僕なんか怒らせるようなことしたかな?


「私ね、根東くんのことが好き。こんなにも一人の男を好きになったのは人生で初めてかも。だから本気で付き合いたいの。根東くんと対等の関係になりたいの。根東くんがどうして寝取られで喜ぶのか、それが知りたい」


「う、うん。そうなんだ」


「昔からね、知りたいって思ったら止められない性格なんだ。根東くんを喜ばすにはどうすればいいのか、知りたくて知りたくて、止められない。だから教えてほしいの――寝取られるってどんな気分なの?」


 壬生さんはますます僕に近づいてくる。あまりにも近くて、ほとんど抱き合っているみたいだ。彼女の吐息が漏れると、僕の顎にあたってくすぐったい。


「そ、そのためなら、他の男とエッチしても良いって思ってるの?」


「ううん、良くはないよ。悪いことだとは思う。でもそれをしないとわからないんでしょ?じゃあ、やるしかないじゃない」


 あ、そうだ、この人はこういう人だ。


 壬生さんは善悪にそれほど頓着がないのだろう。それが悪い手段であっても、目的のためなら平然とやるタイプだ。


 もちろん、それが悪いことである以上、そこから生じるデメリットや損害なども彼女のことだからきっちり計算し、どうすれば穴埋めできるかまで考えているのだろう。


 これが普通の人の場合、そこまで面倒な手間暇をかけるぐらいなら、やらない方がいいと思うだろう。でも彼女はやるのだ。


 善悪で言えばそれは悪なのだ。でも必要だからやる、壬生さんはそう言いたいのだろう。


 でも、だからといってすんなり受け入れるわけにはいかない。いくら僕が寝取られで喜ぶ変態だからといって、越えてはいけない一線ぐらい僕にだってわかる。これを越えたらもう後戻りができない。

 

 だからなんとかしてでも、壬生さんを止めたい。


「でも、僕が他の女の子とエッチしなければ、壬生さんもしないんだよね?」


「うん、そうだよ」


 壬生さんはようやく僕から後退し、にっこりと笑みを浮かべる。


「根東くんが自分の性癖を振り切って、それでもエッチしないって言うんなら、私もその意思を尊重したいから、他の男には抱かれない。だからね…」


 ――根東くんが寝取られ性癖に負けない限りは、私の体は綺麗なままだよ、と壬生さんは言った。


 これは、ガチだ。ダメだ。もう壬生さんは止まる気がない。


 なんで壬生さんと過去に付き合っていた男たちが悉くすぐ破局したのか、その理由がよくわかったよ。これは付き合えないわ。心の底から彼女のことが好きじゃないと。


「わかったよ、やるよ」


 でも僕は他の男たちとは違う。だって僕は、いまだに壬生さんのことが大好きだから。壬生さんの行動を止められないし、かといって破局もできない。なら結局、彼女と付き合うしかないのだ。


 こうして僕たちの間に新しいルールが追加された。


 僕が他の女の子を抱くとき、壬生さんもまた他の誰かに抱かれる。


 そのルールを理解したとき、本来なら苦しみを覚えないといけないのだろう。でも僕の体は、期待に高揚していた。どうやら僕はこの状況を喜んでいるようだった。


 そんな僕の心理を理解しているのだろう。壬生さんは僕の目を見て、


「喜んでもらえてよかった」


 と怪しい笑みを浮かべながら言った。

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