第三章 デート編

1

 コンコンとノックをする音と同時に、個室の扉が開かれる。突然の事態に慌てて、中にいた男は振り返る。すると、そこには制服姿の女の子がいた。


「こんばんわ~」


「え!ちょ、誰ですか?勝手に入らないでください!」


「まあまあそう慌てないでください。実は私、今ちょっとお金に困ってまして~。お兄さん、よかったら私と、エッチなことしませんか?」


 その言葉を聞いて、男はなにか納得したような顔をする。このネカフェは前々から援交スポットとしてその界隈では有名なお店であり、たまにお金目当ての女性に男が逆ナンされることもあるという。


 ごくり、と男が唾を飲み込む音がする。


 いくらそういう噂があるとはいえ、見ず知らずの女といかがわしい事をするというのは、本来であれば断った方が良いことなのかもしれない。


 しかし強引に部屋に入ってきて、男に近寄ってくるこの女の子は、とても綺麗な顔をした美少女だった。彼女が怪しい笑みを男に向けると、その麗しい美貌に吸い込まれそうになる。


「どうですか?今なら、たったの十万円でいいですよ?」


 え、高くね?と男はぎょっとする。いや、ありえないだろ、その金額。絶対、相場より高いじゃん。


 確かに美少女とエッチはしたい。しかしこの金額はあまりにも高額すぎる。その想定より高い金額に対して、男の熱は冷めつつあった。だが、目の前の美少女のその可愛さを見れば、うん、確かにそれぐらい払う価値はあるかもしれない。


 男はポケットから財布を出し、有り金を全部出した。


「ふふ、交渉成立ですね」


 その黒髪の美少女はスカートの裾を掴むと、ゆっくりと持ち上げる。彼女の動きに合わせてスカートが捲れていき、その白い太ももが徐々に露わになって…


「壬生さん、そんなエロいこと、してないよね?」


 僕は目を覚ました。いつも通り、僕の部屋だった。どうやら例の夢を見ていたようだ。


 あのネカフェの一件。一応、最後には壬生さんとしっかり仲直りできた。小倉さんとの誤解も解けて万事解決。僕らは再び仲の良い恋人同士になれた。


 唯一残った問題があるとすれば、僕の寝取られ性癖がいまだに健在だということだけだろう。むしろ悪化してね?


 僕はあの時の記憶を呼び起こす。大丈夫、壬生さんは夢の中みたいなことは現実では絶対にやってない。だってそんな時間、無かったもん。


 僕が個室を出て、ネカフェを散策して壬生さんを探していた時間は、だいたい五分くらいだ。五分で致すなんて、うーん、どうだろ。いや。うん、そういう男もいるかもしれない。


 うん、まあ男が賢者になるまでにかかる時間はそれこそ人それぞれ、個性が出るだけに、一概に五分じゃ無理だよね、と断言できないのが辛いところだ。


 …いや、ないよ。仮に五分の人がいたとしても、そんなすぐ終わらんでしょ!余韻とかいろいろあるでしょ!十万も払って五分で終わるとかありえないよね!


 …十万か。壬生さんなら確かにそれぐらい吹っ掛けそうだな。


 いやいや、やってないから。壬生さんはやってない!僕はそう信じてるよ!


 ただそれならそれで、一つだけ疑問がある。


 やってないのは良いのだ。じゃあ壬生さんはあの時、どこに隠れていたんだ?


 あのネカフェは個室を除いたら、隠れるようなスペースはほとんどない。もちろん、女子トイレに隠れたらさすがにわからないけど、そこまで行く時間は無かったと思う。


 女子トイレが無理だとすると、やはり必然的に残される選択肢は個室のみになってしまう。


 …あれ?え?うそ?ガチで壬生さん、他の客の個室に隠れた?


 嫌なのに。本当に嫌なのに。さきほど見た夢が僕の脳裏を支配する。嘘でしょ。やってないよね!やってないって信じれば信じるほど、かえって夢の中のエッチな壬生さんのイメージ映像が脳内に流れて僕を苦しめる。そして同時に僕を興奮させる。


 バカヤロー、壬生さんがやってるかもれないって時に喜んでんじゃねえ!


 どうしよう?壬生さんに聞けばいいんだけど、教えてくれるかな?


 すでに連休は終了し、今日から通常通り学校が始まる。僕は不安と興奮でバクバクと唸る心臓を諫めるためにも、早々に学校に向かうことにした。


 お願い壬生さん!真相を教えて!真実はいつも一つだよね!


「え?あの時は小倉さんがいる個室に隠れたよ」


 朝の教室。僕はいてもたってもいられず、壬生さんに直接聞くことにした。そしたらあっさり回答が返ってきた。


「え?場所知ってたの?」


「うん。小倉さんと話しているときに場所を聞いたよ」


 ああ、そうなんだ。なーんだ、そういうことかあ!よかった!


 今までぐるぐると胸の中で渦巻いていた不安感や恐怖感が一気に解消され、晴れやかな気分になった。同時に脳内にあった寝取られてほしいなあという気分も消失。興奮が一気に鎮火して、冷静な思考を取り戻すことができた。


「うん?もしかして、他の部屋の方がよかった?」


 壬生さんは怪しく微笑んで僕を見る。


 あ、やばい。危険なことを考えていそうだ。


「そんなことないよ!壬生さんが無事で安心だよ!」


「どうだか?根東くんは寝取られが大好きだもんね…」


 ――私が他の男がいる個室に隠れたと思って興奮してたんでしょ?と壬生さんは呆気なく真相に辿り着く。君は名探偵っすか?


「…うん、ちょっと考えた」


「やっぱり。ふふ、ぷぷ、根東くんは本当に変態だね。あ、そうだ」


 僕の正直すぎる告白に対して壬生さんは口を手でおさえながら笑いをなんとか堪えようとする。すると、なにか思いついたような顔をした。


 え、なにを閃いたんだろう?なんかすっげー嫌な予感がするんだけど。


 なにを閃いたのか知りたいのに、授業の開始を知らせるチャイムが鳴る。


「授業始まるよ?席につかないと」


 それ以上は教えないという態度で口を閉じる壬生さん。僕は言われるがままに席に戻るしかなかった。


 一体なにを考えたんだろう。それが気になって授業に集中できない。授業中、たまに壬生さんの方を見ると、明らかに黒板に視線は向いておらず、別のなにかを見ていた。


 ん?なにを見ているのだろう?


 やがて授業が終了し、お昼休みになる。もう付き合っていることはクラス中にバレてるわけだし、特に周囲の目を気にせずに壬生さんと一緒にお昼休みを過ごしても問題ないだろう。


 ただその前に我慢の限界だったので、先にトイレに行ってきた。用を済まして教室に戻ろうとすると、廊下で壬生さんと志波が話している場面に遭遇した。


 …え?あの二人、なに話しているの?


 いや、確かにクラスメイトだし、小倉さんを介して知り合いにはなったけど、別にそんなお昼休みに仲良く会話をするほどの仲に発展したわけではないよね?


 なんだか胸がざわめく。壬生さんが僕以外の男。それも今までとは違って、僕が知っている男となんだか仲良さそうに話している姿が目に焼き付いて、脳裏を焦がしてくる。


 確かに僕は小倉さんと仲が良い。だが決して、二人っきりで会うことは滅多にない。僕が小倉さんと一緒にいるときは、だいたい志波が一緒なのだ。志波という彼氏が近くにいるから、僕は小倉さんと仲良くできるといっても過言ではない。


 ではこの状況は何なのだろう?


 やがて話し合いが終わったのか、壬生さんは親し気に手を振って別れ、こちらに来る。


「ん?根東くん、どうしたの?」


「いや、あの、志波になにか用があったの?」


「うん。そうだよ」


 壬生さんはまったく悪びれる様子もなく、それどころかまるで煽るような笑みさえ浮かべていた。


 え、これはもしかして、わざとなのか?僕の寝取られ性癖を刺激するために、わざと志波と仲良く会話をしていただけなのか?


 それなら、うーん、心中複雑だけど、まあ納得できるかな。なーんだ、壬生さんったら、いつものドS精神を発揮して僕の脳を破壊しに来ただけか!ふぅ、びっくりした。てっきり志波のことが好きなのかと勘違いしちゃったじゃん!脳が破壊される程度の被害で済んで助かったよ!


「それよりお昼どうする?一緒にお弁当食べる?」


「うん、一緒に食べる!」


 一抹の不安を残しながらも、今は壬生さんと一緒にお昼を食べるという幸福に釣られ、僕は今の出来事を忘れ去ることにした。


 壬生さんと一緒に食べるランチタイムは、とても幸せな時間だった。まさに恋人同士の幸せなひと時という感じで、心が癒される。


 そうだよ。本来はこういう青春が送りたかったんだよ、僕は。寝取られなんて本来、僕の人生に必要ないものなんだよ!


「壬生さんのお弁当、おいしそうだね!」


「ホント?ありがとう。自分で作ってるんだ」


「そうなの!すごいね!料理上手なんだ!」


 壬生さんのお弁当は、見るからに美味しそうで、食欲をそそらせるものがある。


「よかったら食べる?」


「え、いいの?」


「うん、いいよ。はい、あーんして」


 え、それは…恋人同士の定番のいちゃラブイベントじゃないですか!


 壬生さんは箸で卵焼きを掴むと、僕の方に向ける。僕は口を前に出し、彼女が作った卵焼きを食べた。


 …すごく美味しい。これが愛情の味か。生きててよかったー。


「根東くんは意外とよく食べるね」


「うん、壬生さんの料理がすごく美味しいから。いくらでも食べられるよ」


「そうなんだ。じゃあ今度、手料理をご馳走しようか?」


「え、いいの?」


「うん、いいよ。そうだ、今度の土曜日、一緒にデートしようか」


「うん、一緒に行こう」


 ああ、なんだろう、この爽やかな時間。なにもかも順調すぎて、怖いくらいだ。世の中の恋人は本来、こうやって幸せな時間を過ごしているのだろうな。まったく羨ましい限りだよ。あ、僕も今恋人同士の時間を満喫してるから羨ましいなんて思う必要ないわ!


 いやー、リア充とかぜんぜん羨ましくないね。だって僕、彼女がいるもん!


 デートの約束も取り付けたし、一緒に楽しくお昼を過ごせたし、もうなにも文句ないや。


「あれ?壬生さんどうしたの?」


「ううん、なんでもないよ」


 見れば、壬生さんはスマホを取り出してなにか文字を打ち込んでいる。誰かと連絡を取り合っているのかな?


 やがてなにかメッセージを送り終えると、「デート楽しみだね」と壬生さんは天使みたいな可愛い笑みを僕に向けた。


 そんなにデートを楽しみにしてるんだ。なんか、すごく愛されているという感じがして最高だった。そう、まさに今は人生最高潮の瞬間だった。


 やがてお昼休みが終了し、午後の授業を経て、放課後になる。放課後はテニス部の活動があるので、それが終わるまで近くで壬生さんを待っていた。


 部活も終わり、帰宅の時間になる。僕と壬生さんは一緒に手をつないで帰路についた。


「デート、楽しみだね」


 帰り道に僕がそう言うと、一瞬、彼女の口元が魔女のように裂けたような気がした。


「そうだね、早くデートしたいね」


 うん?なんだろう。なにか違和感があったな。え、大丈夫だよね?なんか急に不安になるんですけど。ただのデートなんだからなにも問題ないよね。


 それからこの一週間はとても楽しく、壬生さんと一緒に楽しい学園生活を送っていた。


 そして週末。土曜日になり、僕は壬生さんとデートをすべく待ち合わせの駅前に向かう。


 そこには、楽しそうに会話をする壬生さんと志波の姿があった。


「え?なんでたつみんと壬生さんが一緒にいるの?」


「え?」


「え?」


 声に釣られて横を見れば、小倉さんがいた。どうやら壬生さんはなにかをやらかすつもりのようだった。


 志波と会話をしている壬生さんがこちらに気づいたようだ。彼女の表情は、とても楽しそうだった。


 一見すると善良な女の子のように見えるあの笑み。しかし僕は知っている。あれは彼女のもう一つの顔。ドSな本性が出ているときの貌だった。

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