3日目 後半

 一体いつからそこにいたのだろう?たらりと嫌な冷や汗が背筋を流れる。


 背後には僕の彼女、壬生さんがいた。しかし壬生さんの今の雰囲気は、先ほどまでのあまあまないちゃラブモードから一転、普段は隠している彼女の本性であるドSの魔女みたいなモードの彼女がいた。


 …うん、もしかしてこれ、すげー怒ってない?はやく、はやく弁明しないと。なんかとんでもない事が起こりそうな予感がした。


「か、彼女は小倉さん。えーと、そう、志波の彼女だよ」


「…ああ、志波くんの?」


 とりあえず共通の知り合いの名前が出たことで、壬生さんの怒りゲージが下がった気がする。


「そ、そう。志波の彼女だから、たまに話したりしてたんだ」


「あら。じゃあ、そんなに仲良くはないの?」


 そうだよ!そんなに仲良くないよ!あくまでの志波という共通の知り合いがいるからたまたまた知り合っただけだよ!そう言いたかった。


「えー!そんな事ないよ!一昨日も一緒にパソコンに買いに行ってくれたでしょ!あんな重いもの運んでくれて、私すごい感謝してるよ!」


 ちょ!小倉さん!今はやべーから!君がとても優しい女の子で、その優しい気遣いからそういうこと言ってるってことはわかってる。わかってるけどね。今は違うんだよ。その気遣い、このタイミングで言うとただの煽りでしかねえから!


「あら?一昨日っていうと、ちょうど私が合宿に行った一日目ね。ふーん、根東くん、私に会えなくて寂しいって言ってたけど、思ってほど寂しくはなかったみたいね」


 ――こーんなに可愛い女の子と一緒なら、さぞ楽しかったでしょうね。


 壬生さん、そんな音もたてずにすっと背中に近寄らないで欲しいな。いや、大好きな彼女が近づいてくれる分にはぜんぜん問題ないんですよ?ただほら、今の壬生さん、ちょっと正気じゃねえから。なんか殺意が出てるからさあ。僕、ビビっちゃうよ。


「おーい、ジュースまだ?って、うん?なんだ根東と壬生さんがいる?なにしてんだこんな場所で?」


 そこに現れたのは、眼鏡がよく似合うオタク男の志波辰巳だった。


「あら志波くん。こんにちわ。あなたの彼女さんが私の彼氏と一緒に連休中に出かけたみたいだから、ちょっとそのことでお話を聞いてたの」


「え?ああ、あの日のこと。いやー、本当は俺一人でも良かったんだけど、ほらこの通り、俺って腕力が無くて。ちょっと一人では運べそうにないから根東に手伝ってもらったんだ。なんか大事な彼氏を付き合わせちゃって申し訳ないな」


 し、志波!お前、普段は無駄にエロゲの知識を喋るぐらいしか能がないイカれた奴だと思っていたのに、こんな複雑な空気を読み取って上手くフォローする能力があったのか!お前のこと、ただの頭のおかしい奴だと思っていたけど、本当は違ったんだな!尊敬するよ!


「む?お前なにか、、失礼なこと考えてないか?」


「え?考えてないよ。他人をリスペクストすることはあってもバカにするようなことなんて考えるわけないだろ!」


「ふむ、そうか、勘違いだったみたいだな」


 そんな僕らを観察するような眼差しで壬生さんは見つめている。一体なにを考えているのだろう?怖いことを考えていなければいいのだが。


「ああ、三人で出かけたの?」


「そうですよ。ところで壬生さん、本当に根東と付き合ってたんですね」


「あ、根東くんの彼女の壬生さんってあなたのことだったんだ!はじめましてー、小倉香澄でーす!」


「え、あの、はい。壬生来沙羅です。よろしくね」


「えへへ。根東くんの彼女さんって、すごい美人だね!私びっくりしちゃった!」


「あら、小倉さんも可愛くて素敵よ。志波くんにこんな可愛い彼女がいるなんて知らなかったわ」


 先ほどまでの冷え冷えとした空気が、いつの間にか穏やかな雰囲気になりつつある。それもこれも、小倉さんという人のキャラのおかげだろう。


 小倉さんが良い人で良かった。たぶん、この中で修羅場になっていることにまったく気づいていないのだろう。しかしここでは空気を読むような、計算高い行動はかえって裏目に出ることがある。下手に空気を読むぐらいなら読まない方がいいくらいだ。


 小倉さんみたいな、本当に善意で裏表なしで行動するような人の方が、こういう場面ではかえって信用されやすい。


 なんだかいつの間にか壬生さんと小倉さんが意気投合して、楽しそうにおしゃべりをしていた。残されたのは僕と志波だけ。


「なあ」


 志波が話しかけてくる。


「もしかしてかなり危なかったか?」


「…うん」


 とりあえず、なんとか事なきを得た。と思いたい。


「じゃあ小倉さん、また今度お話しましょう」


「うん、またねー」


 しばらく歓談にふけっていた後、小さく手を振って別れの挨拶をすると、壬生さんは僕の腕を掴んで、「戻りましょう」とやけに圧のある言葉を耳元で投げかけた。


 あれ、まだ修羅場終わってなかった?


 まずい、空気が重い。なんとか盛り上げないと。でも一体、なにをすれば?


「あ、あのー、さっきも言った通り、小倉さんとは本当にただの知り合いで、一昨日はただパソコンを運んであげただけなんです。決してやましい事はないんです。本当です。お願いだから信じてもらえないでしょうか?」


「うーん、ダメ」


 あ、やっぱり怒ってんじゃん。


「私、傷つきました。根東くんはてっきり連休中は一人寂しく自宅で孤独に飢えていたのかと思ってたよ。でも違ったんだね」


 ――嘘、ついたのかな?と僕の方をじっと見ながら言う。


「そういえば一昨日は志波くんと遊んでたって言ってたよね?でも本当は小倉さんもいれて三人だったんだ?どうして本当のことを言わなかったの?」


 しまった!壬生さんに余計な心配をかけないよう隠していたのが裏目に出た。やっぱり僕みたいな計算能力がない人間が計算高い行動をするのはかえって危険だな。だって今こうして最悪の事態を招いているんだもん。


 だからもう、正直に答えよう。


「あの、壬生さんに要らぬ心配をかけたくないので、つい隠してました。本当にそれだけなんです。それ以外にまったく他意はないんです」


「本当に?」


「本当です!」


 ふぅ、と溜息をつく壬生さん。しかしなんで壬生さんが嘘をつくのが良くて、僕が嘘をつくのはダメなのだろう?


 いや、もちろんすべては僕の寝取られ性癖が引き起こしていることなわけだし、壬生さんが嘘をつくのはぜんぜん良いのだよ。だってその嘘、僕の性癖を満たすための嘘なんだもん。


 そう、だから壬生さんが寝取られ報告で嘘をつく分にはぜんぜん問題はない。それについて彼女を咎めるつもりもない。


 ただなんか、あれれー、おかしいなあ、なんか理不尽じゃねえ?と思っただけだ。


「私が嘘をつくのは良くて、根東くんが嘘をつくのはダメなのは理不尽でおかしい、ってもしかして考えてる?」


 なぜ君は僕の考えが理解できる?あ、そうか。壬生さんは天才だから、マインドリーディングなんて余裕で実行できるのか!やっぱ知能が高い人は違うな!


「でも私、こういう性格だし。この性格が無理だって思うなら、別れるしか無いけど、いいかな?」


「それは絶対ダメ!そもそも僕、壬生さんが嘘をつくことを悪いことなんて思ってないよ!むしろ感謝してるぐらいだもん!いつも僕の性癖のためにいろいろ実行してくれてありがとうって思ってるくらいだよ!」


「え、そこまで感謝してるの?」


 なぜちょっと引く?大好きな彼女のために感謝の念を伝えてなにが悪いのだろうか?


「ふーん、でもそっか」壬生さんは悪魔みたいな、蠱惑的な笑みを浮かべる。「私がついた嘘で、根東くんはそーんなに喜んでたんだ」


「嬉しいな」


 と微笑む彼女の顔はどこまでもサディスティックだった。


 これ絶対、なんか企んでる顔じゃん。え、なに?怖いんですけど。


 壬生さんはおもむろに立ち上がると、ロックを外して扉を開錠し、振り向いて僕を見る。


「知ってる根東くん?」


「え?なにが?」


「ここのネカフェって、援交スポットなんだって。夜な夜な女の子がお金をもらって、知らない男の人にエッチなご奉仕してるらしいよ」


 え、そうなの?それは知らなかったわ。へー、世の中にはそういう方法でお金を稼ぐ人もいるんだねえ…まさか!


「根東くんは寝取られ好きだからねえ。そんな彼氏のために、私も援交チャレンジしてみようかな?」


「ちょ、ちょっと待って!」


 そんな事にまでチャレンジ精神を発揮しなくていいから!


 僕は壬生さんを止めようと手を伸ばす。しかし寸でのところで扉をガチャリと閉じられ、彼女の姿が消える。


 え、マジで?マジでやるつもり?違うよね、壬生さん!


 これが普通の女の子が相手であれば、そんなことやるわけないっしょ!どうせ冗談でしょ!と否定できる。しかし相手はあの壬生さんだ。


 …ガチでやるかもしれんな。


 まずい、本当にまずい。一線を超える前に助けにいかないと!


 僕はすぐに扉を開けて外に出る。しかし、すでに壬生さんの姿はどこにもいなかった。


 外に出ると、似たような扉がいくつも並んでいる。ここのネカフェの個室は室内に靴を置くスペースがあるので、扉の外に靴を置くことはない。


 だから、一旦個室に入ってしまうと、誰がどこに入ったか、もうわからない。


 さすがにこんな一瞬で人一人が消えるなんてありえない。まさか…もう部屋に入った?


 嫌な予感がする。しかし同時に、その予感のせいで体の体温が上昇。脳が破壊されているというのに、僕の心臓は期待にドクドクと脈打ち、体内を巡る血流が荒らぶり始める。


 いやいやいや、このバカ野郎!なにちょっと期待してんだよ!壬生さんが知らない男にエッチなご奉仕をするかもしれないんだぞ!…ちょっと見たいな…いやダメだろ。いいわけないだろ!いいわけないんだけど、なぜか興奮が止められない!


 僕の脳は頼んでもいないのに勝手に壬生さんが知らない男を相手にご奉仕をする姿を脳裏にイメージさせてきた。黒髪の美少女が、知らない男の前に膝をつき、そのまま…ちょ、その先の連想はやばいって!


 恐ろしい。恐ろしいよ、寝取られ性癖って。この一大事で喜べるって、どういう感性してるんだろう?


 ダメだ。今の僕の感性は頼りにならない。ここは理性と倫理観をフル稼働させて動かないと!


 僕はネカフェの廊下をゆっくりと歩く。できるだけ聞き耳を立てながら、壬生さんを探す。


 そうだ、部屋の中が見れないなら、聞けばいいんだ。聴覚を働かせて、壬生さんを探せ!


 しばらくネカフェの中を巡回していると、なんだか妙に水っぽい音と若い女の子の声が聞こえた。


「…ん」


「君、すごく良いよ」


「そういうお世辞いいから。それより早くお金ちょうだい」


「わかってる。それよりさ、この後よかったらここを出てホテルに行かないか」


「はあ、バカじゃないの?そこまでするわけないでしょ」


「お金なら払うよ。これでどうだい?」


「…うーん、その額なら…」


 え?違うよね。これ、違うよね。


 そんな、まさか!壬生さんじゃないよね!嘘だよね!そんなのって無いよ!


 うう、そんな壬生さんが、壬生さんが、知らない男に…寝取られてしまった…うう、大好きな彼女だったのに…そんなあ…


 ひどく苦しい気分になった。吐き気がしそうなほど気分が悪い。胸が焼かれそうだ。なんて酷い状況なのだろう。なのに、僕は今までにないような興奮にも襲われていた。


 こんな状況でも興奮するなんて。もう本当に手がつけられないよ。


 僕は悲嘆にくれながら個室に戻った。そこには壬生さんがぺたんと腰をおろして座っていた。彼女はこちらを楽しそうにニヤニヤと見つめながら僕に言う。


「おかえり」


「え?壬生さん、なんでここに」


「なんでって、この部屋が私たちの部屋だからでしょ?」


 ふう、と壬生さんは溜息を一つつくと、ゆっくりと立ち上がって僕の方に近寄り、ドアを閉め、そしてハンカチをそっと僕の目元に寄せる。どうやら涙を拭いてくれたようだ。


「涙、すごいよ。そんなに悲しいことがあったの?」


「うん、壬生さんが取られちゃったかと思って。辛かった」


「でも興奮してるよね」


「うん」


「私が他の人に取られたかもしれないのに、喜んでるの?」


「ごめん」


「そっか。本当に寝取られが好きなんだね」


 壬生さんは「ほらおいで」と僕の手を掴んで部屋の中に誘う。


「違うよ」


「ん?なにが?」


「寝取られが好きなんじゃなくて、壬生さんが好きなんだよ。寝取られはどっちかというと、嫌いなんだよ。一番好きなのは壬生さんだけだよ。好きじゃなかったらこんなに興奮しない」


「…ふ、ふふ、ぷぷ、アハッ!」


 壬生さんに笑われてしまった。まあ、自分でも変なことを言ってるとは思う。


「じゃあ小倉さんが志波くん以外の男に寝取られても興奮しないってこと?」


「え?」


 壬生さんは急になにを言ってるんだ?


「それはしないよ。だって他人の彼女だし」


「うーん、じゃあ誰でもいいわけじゃないんだ」


「それはそうだよ。好きじゃなきゃ興奮しないよ」


「そっか。じゃあいいよ」


 うん?なにが良いのだろうか?よくわからないが、壬生さんの怒りはいつの間にか消え去ったようだ。


 壬生さんはそっと僕の近くに寄り添うと、そのまま口を近づけてキスをしてきた。


「これで仲直りだね」


 そんなこと、こんな可愛い笑顔を浮かべながら言わないで欲しい。ただでさえ好きなのに、もっと好きになってしまう。


 彼女に対する思いが溢れて止められず、僕も壬生さんの唇にキスをした。壬生さんの柔らかい唇の感触が心地よく、壊された脳が急速に癒されていく。


 いつの間にかお互いに抱きしめ合って、体は密着していた。キスをしながら壬生さんを抱きしめるこの感触がたまらなく心地よく、いつまでも壬生さんとキスをしたくなる。


「根東くん」


 壬生さんがそっと囁く。「さっきの、またやってよ」


 うん?なんのことだろう?


 壬生さんは頬を真っ赤に染め、目をうるうるとさせながら僕の耳元で囁く。


「耳元で好きっていうやつ、あれもっとやって」


 僕は壬生さんを抱きしめたまま押し倒すと、彼女の耳たぶを甘噛みして、「いいよ」

と囁いた。


 すると、


「ん♡」

 

 と甘い吐息が彼女から漏れた。


 壬生さんを優しく抱きしめて、彼女の頭をそっと撫で、時にはふぅと耳に息をかけながら、「好きだよ」「大好き」とたくさん囁く。


 僕が耳元で好きというたびに壬生さんの体がびくんびくんと震えて可愛かった。やがて壬生さんの体が熱くなっていき、湿っぽくなる。スカートから伸びる白い足をもっじもじと擦り、口からは蕩けたような甘い声が漏れていた。


「すっごい可愛いね、壬生さん」


「ダメ」


 急にダメ出しされた。一体なにが気に入らなかったのだろう。


 僕は壬生さんの顔を見ると、壬生さんは甘えるような声で、「今は来沙羅って呼んでほしい」と言ったので、僕は快くそれを引き受けて、「来沙羅、愛してるよ」と耳元で囁いた。


 普段は清楚。本性はドS。そんな壬生さんだが、実はいちゃラブが大好きだってことをその日は学んだ。


 いちゃラブモードの壬生さんは、名前で呼んでほしいようだ。


 名前を呼びながら好きだと囁き続けると、だんだんと彼女は蕩けていき、最後には甘えん坊になった。その時の壬生さんはとても可愛かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る