10.前線の魔女


「《リードリーの影の戒牢かいろう》か。この中であれば、ヴァンパイアも陽の光の影響を受けない」



 自分たちを包み込む半球状の闇を見上げながら、ゼレウスは続ける。



「だがデメリットもある。使用中、術者は動けないはずだ」


「そのとおり。でも貴様が護ってくれるだろう? 同じ魔族なんだから」


「……わかっていないようだな。お前は我の邪魔をしたのだ。魔族も一枚岩ではない。いつの時代もな。敵同士である可能性を考えていないのか?」


「貴様は私の命を救った。ついさっきのことじゃないか」


「む……」


「しかしすまない、確かに邪魔をしてしまったようだ。極秘の潜入任務だったのか? ……人族に化ける魔法なんて聞いたことないが……」



 立ち上がった少女が顎先に手を当て、思案する。

 ゼレウスはその様子を視界に収めながら、エレイナをちらりと見た。

 彼女は依然こちらへ向けて弓を構えているが、少女は気にも留めずに話を続ける。



「まぁいいや、まずは自己紹介をしよう。私はリーシャ・リネイブル。知ってのとおりヴァンパイアだ」


「ボクはフュージアだよ! よろしく!」


「急に声高いな貴様。どっから出した」



 腕を組んだリーシャに、変なものを見るような目で見上げられる。

 なにやら彼女は妙な勘違いをしているようだ。



「裏声だよ? あと腹話術」


「なんで今? 愉快な奴だなあ」


「そんな妙な奴がいるか。嘘をつくなフュージア。今のは我の声ではないぞ。喋ったのはこの剣だ」


「なに、喋る剣だと? そういえばさっきも聞いた気がするなその声……なるほど。誰の声かと思っていたが、そういうことか。……それで、貴様の名は?」


「ゼレウス・フェルファング。……さっきは悪かったな。お前は命を救われたと言ったが、そもそも窮地に陥らせたのは我だ」


「ボクも謝っとこ。ごめんね、リーシャちゃん」


「あぁ構わん。よくあることだ」


「よくあるのか……」



 思わず呆れた声を出すゼレウスだったが、リーシャは気にした様子も見せなかった。



「さて。それで……あっちの人間はどうする?」



 表情を消したリーシャがエレイナへ顔を向ける。

 ゼレウスは答えず、自らを見上げてくるリーシャと視線を合わせ続きを促した。



「貴様の正体を知ってしまったのだ。口封じをしなければならないだろう?」


「!!」



 リーシャのその言葉にエレイナは身を固くし、弓を構えながらも一歩退く様子を見せた。

 人知れずゼレウスの視線が鋭くなる。



「正体を知られたのは私の不手際だ。私が始末しようか」


「ならん」


「っ……!」



 強い拒絶の言葉。

 ゼレウスの言葉に乗ったその感情、その威圧感に、リーシャの背筋がひそかに凍った。



「……じゃあどうするのだ?」


「どうもせぬ」


「? いいのか? 極秘任務は」


「極秘の任務など最初からありはしない。我の正体を知られたところで、困るのは我だけだ。しかしリーシャ、お前が我を魔族だと証明できるのであれば、その困り事もなくなる。さぁ、我を魔族の拠点へ連れてゆくがよい!」



 胸に剣が刺さっているとはいえ、今のゼレウスは人間と変わりない姿。魔族に接触すれば争いになる懸念があった。

 しかしゼレウスが魔族であることをリーシャが証明できるのであれば、魔族側へと移動するべきだろう。

 人族の街にいたところで、ゼレウスにはリスクしかないのだから。



「ふむ、それで私の不手際を帳消しにできるのなら、喜んで案内しようじゃないか。貴様は戦力にもなるしな! 歓迎しよう!」



 リーシャが笑みを浮かべ、その小さくも鋭い牙を覗かせる。

 これにて万事解決である。

 エレイナに返すべき恩はあるが、魔族の領地で彼女を連れ歩くわけにもいかない。

 現状、ゼレウスにとってはこれが最善策だった。

 が、胸元から意外な提案が上がる。



「ねぇねぇ! エレイナちゃんもいっしょに来ない?」


「え?」



 フュージアの提案に、エレイナの戸惑いの声。

 これから向かう魔族の拠点がどういった場所かはわからないが、人族である彼女が向かうべき場所ではないことは確かだろう。

 剣の下で腕を組んだゼレウスが、自らの胸元へ視線を落とす。



「やめろ、フュージア」


「えー? ヤダ。せっかく仲良くなったんだもん。ゼレウスももっとエレイナちゃんと仲良くなりたいでしょ? それに手料理の恩も返してないし~。それって情けなくないですか? 元なんとかのゼレウスさん?」



 元魔王ともあろう者が、受けた恩を返さずにいるのはどうなんだ、とフュージアは言いたいようだ。



「無茶を言うな。エレイナに危険が及ぶかもしれないのだぞ」


「魔族の拠点でもさ、ゼレウスが護ってあげれば問題ないって! ほら、ギルドでも『必ず護ろう』とか言ってカッコつけてたじゃん?」


「む、茶化すな。まったく…………一応聞いておくが、我についてくるか? エレイナよ」



 ゼレウスが手を出さないことを宣言したからか、エレイナはすでに弓を下ろしている。

 しかし引き絞っていないとはいえいまだ弦に矢をつがえたままなのは、彼女の警戒心の表れだろう。

 オークを相手取った際、彼女は魔族に対する並々ならぬ思いを垣間見せていた。


 ありえない選択肢なのだ。

 戦争の最前線、魔族の陣地へ、人間がたった一人で乗り込むことなど。

 そのはずなのだが。



「……ついてく」


「な、なんだと……?」



 ポツリ、と一言。

 エレイナの肯定に、ゼレウスは困惑しか返せなかった。



「わ、ほんと!? やったぁ~! じゃああとは頼んだよ、ゼレウス!」



 が、フュージアは容赦なくゼレウスにすべてを任せる。



「……おい、この喋る剣、ヤバくないか?」



 そう呟くリーシャの言葉に、ゼレウスはしばし閉口してしまった。



「……まぁ、これでも我はこいつに救われたのだ……封印されてもいるが。──危険だと判断したらエレイナは脱出させるからな、フュージア」


「もち! いやぁ、賑やかになってきたね! ゼレウス両手に花じゃん。これならボクの見たいものも、すぐに見られるかなぁ~」



 人が恋をするところを見たい。

 確かフュージアはそう願っていたはずだ。



(フュージアめ……まさかそのためにエレイナを? いや、単純に気に入ったのか。……そもそも、なぜエレイナは了承したのだ……何か目的が……)



 警戒を解き歩み寄ってくるエレイナを見やる。



「……なに?」


「……危険だぞ」


「わかってる」



 意思の光。

 ゼレウスを見上げることなく、ただ前を見据えるエレイナの瞳には、そんな光が宿っているように思えた。



(危ういのはあるいは……魔族のほうか)



 小さく口角が上がる。

 八百年前にも見た光を、もう一度見られたことに。


 しかしいくらエレイナの覚悟が決まっているとはいえ、危険なことに変わりはない。

 それに、魔族の根城に人間を連れていくのに『友人だから』では通るまい。



「危険か……確かに、木っ端の魔族が人間を連れていても捕虜にされるのがオチだな。よし、私に名案があるぞ」



 同じことを考えたのだろう、リーシャが懸念を呟く。

 しかし同時に彼女はその紅い瞳を細めニヤリと笑った。



「こう見えて私、ヴァンパイアのお姫さまなんだ」


「えー、そうなんだ? どっちかというと魔女っ娘なのに。魔女っ娘ヴァンパイアだよ」


「なるほど、それでオークを引き連れていたのか」


「そうだ。その地位を利用する。エレイナは私の‶モノ〟ということにしよう。いいな? だからちょっと血も吸わせてくれ」


「えっ、イヤ」


「ちょっとだけだから! チクッとするだけ!」


「絶対イヤ」


「大丈夫だ! なんのリスクもない! ヴァンパイアに血を吸われたら生ける屍になるとか、あれデマだからな! 知ってる!?」


「知ってる」


「なら──!」



 わいわいと騒ぐリーシャの交渉をエレイナが躱し続ける。

 その様子を見守りながら、ゼレウスは満足そうに腕を組んだ。



「よし、これでエレイナに危険が及ぶ可能性は低くなったな」


「うん、まぁ……別の危険が増えちゃってるけど」



 ヴァンパイアに吸血されたところで多少血が失われるだけだ。

 少量であれば問題はない。

 しかしこれでエレイナの危険が完全になくなった、というわけでは当然ない。


 八百年前の、‶奴〟の下剋上が思い返される。

 地位があるからといって安全というわけではないのだ。

 その懸念を伝えると、エレイナと騒いでいたリーシャが振り返り、悩みながらも答えた。



「うーむ、仕方ないか。……それなら、私の‶チカラ〟を教えてやろう」


「‶チカラ〟だと?」


「‶従属じゅうぞく呪言じゅごん〟……」



 リーシャが呟く。

 ゼレウスを仰(あお)ぎ見る紅い瞳が、血溜まりのように妖しく艶めいた。

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