6.淵辺のともし火

〈1〉

 鉛色の曇天に正午を告げる鐘が鳴り響く。

 日に日に冬の匂いが色濃くなる三の郭は、早くも冬至の祝祭に向けて浮き足立っていた。孤児院で秋の収穫祭を祝ったのがついこのあいだの出来事のようなのに。

 トゥスタを含めた周辺諸国では、四季の大祭――春の花冠祭、夏至の祝祭、秋の収穫祭、冬至の祝祭――が盛大に執り行われる。特に一年の締め括りである冬至の祝祭は、太陽が死んで新たに生まれ変わる冬至の前後十二日間にも及ぶ。

 街並を眺めれば、魔除けの柊のかんむりを戸口に飾っている家もちらほらあった。

 刺々しい葉と炎のように赤い実をつけた枝で大人が被れるほどの輪を作り、玄関の扉に吊るすのだ。柊のかんむりは、大晦日の晩に死を迎える太陽が新年の夜明けに復活するまでのあいだ、闇夜に紛れて現れる悪霊や魔物から家の者を守ってくれると言い伝えられている。

 また、太陽の力が弱まる祭のあいだは灯りを絶やしてはならず、十二の夜は街じゅうが聖燭キャンドルの火に煌々と彩られる。ゆえに冬至の祝祭は別名を聖燭祭ともいった。

 この季節になると増えるのが、色鮮やかに絵付けされた聖燭や専用の燭台を売る露店だ。聖燭は農閑期の貴重な収入源のひとつなので、近隣の農村からこぞって人びとが商いにやってくる。

「そこの坊っちゃん、きれいな聖燭はいかが」

 煉瓦を積んだ城壁に凭れて昼食代わりの揚げ菓子をかじっていると、声をかけられた。

 路地を区切る城壁沿いには、敷物の上に商品を陳列しただけの露店が並んでいる。声をかけてきたのはわたしのすぐ脇で聖燭を売る初老の農婦だった。

 シリィさんよりも更に年嵩で、頭に巻いたスカーフからこぼれる後れ毛はほぼ色素がない。年輪のごとく太い皺が刻まれるようになった顔は日に焼け、女性だが逞しいという表現が似合う印象だった。

 目が合うと農婦はにっかりと笑ってみせた。商売慣れした人好きのする表情だ。

「坊っちゃんの小遣いで買える聖燭もあるよ。気になる娘っ子に贈り物へどうだい?」

「せっかくだけど、ごめんなさい」

 指についた食べ滓を外套の裾で拭い、わたしは鳥打ち帽のつばを目深に引き下ろした。

「あいにく財布を持っているのはにいさんなんだ」

「おやまあ。それじゃあ兄さんはどこにいるんだい?」

 農婦の質問にわたしは路地を挟んだ向かいの店を指差した。

「あそこだよ」

 指先を視線で追いかけた農婦は呆れ顔を浮かべた。「とんだ飲んだくれだね、あんたの兄さんは」

 店先の看板には酒場であることを示す酒樽と杯の絵。わたしは苦笑した。

「にいさんは傭兵なんだ。いまは仕事を探して口入れ屋と商談中」

「なるほど。どこの酒場にも、人と噂話は集まるからねぇ」

 農婦は得心が行った様子で頷いた。

 店の戸口には腕組みをしたイヌワシが佇み、時折こちらを横目に確認しながら店の奥にいるだれかと話している。

 何往復目かをした淡青の瞳がわたしと話す農婦を捉え、鋭利な線を引いた。大丈夫だと小さく手を振ってみせるが元に戻らない。

「あれが兄さんかい? このへんじゃ見かけない色男じゃあないか」

 農婦は惚れ惚れとした顔で頬に手を当てた。イヌワシの端整な容姿は、年齢問わず女性の秋波を集めてやまない。

 わたしは苦い木の実を噛み潰した心地で「どうもありがとう」と呟いた。

 イヌワシと行動をともにするようになって二日。わたしたちは流れ者の兄弟に扮して三の郭の一画に潜伏していた。

 一日おきに宿を転々とし、襲撃者の追跡に注意しながら城下へ入る機会を窺っている。わたしが背中を預けている城壁を越えれば二の郭まで目と鼻の先というところまで来た。

 イヌワシは傭兵の仕事を探すふりをしながら酒場で情報収集、わたしはそのあいだ待ちぼうけだ。城下のきな臭い噂を聞かなければ、このまま城門をくぐる予定になっていた。

 話を終えたらしいイヌワシが店を出た。まっすぐこちらへ向かってくる。

「待ちくたびれて客引きに捕まったか、ちび猫」

 鳥打ち帽の上から頭を叩かれた。男装しているからお姫さん呼ばわりされずに済んでいるが、だからといってちび猫もどうかと思う。

「世間話をしていただけだよ」

 イヌワシの手を払いのけながら反論すると、青年は嫌味っぽく肩を竦めた。

「どうだかな。おい婆さん、こんなガキ捕まえて阿漕な商売するつもりか?」

「まったく、顔はいいのに口を開いたら失礼な兄さんだねぇ」

 農婦は鼻を鳴らしてみせた。

「ここで聖燭売りをするようになって十五年経つけどね、阿漕なつもりはこれっぽっちだってありゃしないよ。〈知恵の女神の眼〉の御名に誓ったっていい」

「うるわしき白梟の御方、ね。王都じゃ先代の国母のほうに根強い人気があるって聞いたけどな」

 特に婆さんの年代は、という指摘に、農婦はどこか厳かな笑みを浮かべた。

「属領地帰りの人間なら、王妃様贔屓に決まってるよ」

 イヌワシは虚を衝かれた顔をした。

「属領地帰り?」

「まだレイシアとのいくさがあったころ、北の国境いはしょっちゅう戦場になってね。焼けだされたトゥスタの民がレイシア軍に連行されて鉱山の苦役や荒れ地の開墾なんかに駆りだされるようなことが少なからずあったんだよ。あたしの村もレイシアの連中に焼かれて、亭主や子どもたちともども連れていかれたんだ」

 そんなことは初耳だ。わたしの表情を見て取った農婦は目を細めた。

「あんたみたいな子どもが知らなくて無理はないよ。属領地帰りの生き残りは少ないし、表沙汰にするような話じゃないからね。レイシアでの暮らしは、そりゃあ悲惨だった。鉱山で働かされた亭主は落盤事故で、まだ三つだった娘は流行り病で医者にもかかれず死んじまった」

「……よく生き延びたな」

「残った子どもたちを連れてトゥスタに帰るまで死ねるもんかって思ったんだよ。いまの国王様がレイシアの〈武王〉を倒してくださったおかげで戦争が終わって、ようやくあたしたちも国に戻れたんだ」

 でもねぇ……と、農婦の声が翳りを帯びた。

 彼女は俯き、ひび割れた硬い指先を擦り合わせた。

「焼かれた故郷はなぁんにもなくなってた。荒れ果てて人が住めるような土地じゃなくなってたんだよ。その上、属領地帰りの人間はレイシアの手先じゃないかって疑われてね。ずいぶん肩身の狭い思いをしたよ」

「そんな!」

「終戦直後にはレイシアの残党があちこちで暴れてたし、属領地帰りのふりをしてトゥスタに潜りこんできたんじゃないかって思われても仕方がなかったのさ」

 戦後の王都で生まれ育ったわたしには想像もつかない苦難だ。イヌワシは神妙な面持ちで耳を傾けている。

「行き場をなくしたところに手を差しのべてくださったのが王妃様だった。王妃様は国王様とお養父上ちちうえのロナキア公に頼みこんで、属領地帰りの流民を王領やロナキア公領で受け容れるよう取り計らってくださったんだ」

 農婦と彼女の子どもたちはロナキア公領に迎えられ、家と畑を手に入れた。

 ロナキア公が亡くなって領地の大半は王家へ返上されたが、一部は養女である王妃が化粧料として相続した。そしていま、農婦は王妃領の領民として平穏に暮らしている。

「何年か前に王妃様が領地の視察にお出ましになったとき、どうしてもひと言お礼を申し上げたくてお目通りを頼みこんだんだよ。だけど叶わなくてね、遠目にお姿を見ることがようやく許された」

 農作業の手を止め、領民たちは畑の土に額づいて王妃の馬車を出迎えた。

 すると馬車を停まり、雪影色のドレスに細身を包んだ貴婦人が現れた。

 慌てて日傘を差そうとする女官を制し、貴婦人は豊かな栗毛を陽射しに輝かせながら領民に向かって深々と一礼した。

 一幅の絵画のような光景が自然と思い浮かんだ。誇り高く慈悲深いあのひとならば、迷わず労いと謝罪を示すだろう。

「直接のお言葉はなかったけどね、王妃様のお心はじゅうぶん伝わってきたよ。苦労も不幸もぜんぶ報われた気がした」

 当時の感動がよみがえったのか、農婦の両目は熱っぽく潤んでいる。

「あたしは王妃様の領民なんだから、あの方に顔向けできない商いなんてできるわけないだろう?」

「なるほど。確かにそれは、阿漕な真似はできないな」

 イヌワシは敷物の前で膝を折った。空色のまなざしが色彩も図柄も様々な聖燭の上を滑る。

「やっぱり柊の図柄が多いな。あとは……黒猫と白い小鳥?」

「ああ、それは国王様と王妃様にあやかった図柄だよ。黒獅子と白梟を直接描くのは畏れ多いから、ちょっとかわいらしく変えてね。毎年の売れ筋だよ」

 農婦の説明に、イヌワシは「ハッ!」と笑声を立てた。

「黒猫の王様と小鳥のお妃様か。せっかくだからこれをひとつ」

 イヌワシは黒猫と小鳥が向かい合って描かれた聖燭を手に取ると、わたしを見上げた。

「おまえも何かひとつ選べよ」

「えっ……」

「ほら、柊だけじゃなくて花の図柄もあるぞ」

 わたしはおずおずとイヌワシの隣に屈みこんだ。

 冬至は春へと向かう節目でもある。だからか、聖燭の図柄にも冬の花だけでなく春の花も好まれる。

 水仙、山査子、ミモザ、菫、プリムローズ。雪解けを迎えた野山で真っ先に花を咲かせる雪割草もあった。

 王族のしるしだという赤紫の瞳。この目を持って生まれなければ家族を危険に晒すこともなかったのだろうか。

 いいや。瞳が何色であろうと『トゥスタのローゼリカ』である限り、わたしは運命と向き合わねばならない。

 わたしはイヌワシを見つめた。

 わたしが『わたし』を信じる限り、傭兵はわたしを裏切らないと先生は言った。『トゥスタのローゼリカ』――引いては王家を。

 迷い、おそれても、弱い心に負けたくない。どんな名前で呼ばれても、自分の人生を放棄したくない。

 祝福も呪いも、わたしの運命はわたしのものだ。

「これがいい」雪割草の聖燭を指差すと、イヌワシはまぶしげに目を眇めた。

「それでいいのか?」

「うん」

 イヌワシが雪割草の聖燭を取り上げる。「婆さん、ふたつ合わせていくらだ?」

「どういう風の吹き回しだい?」

「詫びだよ。あんたの商売にけちをつけたことと、俺の国が迷惑をかけたことへの」

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