王なき国の春の凱歌

冬野 暉

Crest of the wild rose

0.幸福の金貨

〈1〉

 運命とは呪いであり、祝福である。


 人間は一枚のコインを握りしめて生まれてくる。

 ある赤ん坊は光り輝く金貨を。ある赤ん坊は慎ましい銀貨を。ある赤ん坊は錆びた銅貨を。

 コインは神さまから与えられた運命を表しているのだという。金貨を持って生まれた赤ん坊は幸福に満ちた人生を、銀貨を持って生まれた赤ん坊は幸福も不幸もある平凡な人生を、銅貨を持って生まれた赤ん坊は恵まれぬ不幸な人生を送るのだと。

 ここまで聞くと、なんとも不公平で理不尽な内容だ。だが、御伽噺には続きがある。

 神さまからの贈り物であるコインは、持ち主の行いによって金にも銀にも銅にも変わるのだ。金貨を持って生まれた人間が慢心して悪行を働けば、コインはくすんで錆びついていく。銅貨を持って生まれた人間が苦境に屈することなく努力し善行を積めば、コインは磨かれて光沢を増す。

 運命とは、人間の心がけと働きによって如何様にも変化するもの。要するに、より良き人生を送りたければ、より善く生きなさいという訓戒である。

 ――はたして、運命とはそのように単純なものだろうか?

 ただの人間には御しがたい、目には見えない世界のうねり。神さまが気まぐれに引いた、生から死へと車輪を運ぶ轍を運命と呼ぶのではないだろうか。

 あるときは呪いとなって嘆きと苦しみをもたらし、あるときは祝福となって喜びと希望の光を降らせるもの。万物が生くるも滅びるも、なべて運命の輪の導くまま。

 だとすれば、やはり神さまは意地悪だ。兄のひとりの台詞を借りれば、「へっぽこな鍛治屋が勢い任せで打った肉包丁みたいに根性がひん曲がっている」。

 わたしに御伽噺を教えてくれたひとは、ちょっと困ったような顔をして「そうかもしれないな」とほほ笑んだ。

 かれもまた、わたしの兄に当たるひとだった。

 両親が営む孤児院で生まれ育ったわたしは、幼いころは病弱なせいもあってきょうだいとうまくなじめずにいた。療養室に閉じこめられ、窓のむこうで楽しそうに走り回る同年代のきょうだいを羨望と憎悪をこめて睨むことしか知らなかった。

 常に鬱屈を抱えていたわたしは、癇癪持ちのたいそう手のかかる子どもだった。

 いちばんそばにいてほしかった母は何人もの孤児を養育する院長として多忙を極めていたし、父は代わりとばかりにわたしを甘やかすばかりだった。やさしく言葉をかけてくれる年長の兄姉たちもいたが、わたしはいつも不機嫌で、些細なことで泣き喚いては周囲に当たり散らしていた。

 そんなわたしとかれを引き合わせてくれたのは、従騎士として王城で仕官していた兄だった。

 ある嵐の夜、孤児院を出て独立して久しい兄がひとりの少年を連れてきた。のちに、当時の様子を盗み見ていた姉のひとりは、「亡霊か死神かと思ったわ。ぞっとするほど青ざめた顔をして、氷でできてるみたいなであたしを睨んだの。離れた部屋の扉の隙間からこっそり覗いていたのに、まるであたしの姿がはっきりと見えているみたいに」と震えながら語った。

 栗色の髪に青みがかった灰色の瞳をした少年は、わたしとは違った意味で孤独だった。

 たった二歳しかわたしと違わないかれは、姉が形容したような、濃密な死の気配を纏っていた。冷たく薄暗く、夜の墓場を吹き抜ける風の匂いがした。

 孤児院にやってきたばかりの子どもは、心と体のどこかしらに傷を負っている。だが、かれがまなざしの底に覗かせる闇は、ほかのきょうだいのだれより深かった。

 かれを孤児院に託した兄は、そんな状況を心配してかれをわたしと引き合わせたらしい。物知りで面倒見のよい兄でも、おっとりしていて温厚な姉でもなく、きょうだい間の腫れ物でしかなかったわたしを選んだ理由は、「あいつはやさしい子だからな。甘ったれなおまえの世話を焼くうちに、まあなんとかなる気がしたんだよ」というものだった。

 つまり、かれは体よくわたしのお守りを押しつけられたというわけだ。

 出会った当初、わたしたちの仲は険悪のひと言に尽きた。ハリネズミが寄り添い合ったところで生まれる結果など目に見えている。

 変わったといえば、たびたび起きるわたしの癇癪と相乗してかれが溜めこんでいた感情を吐きだすようになったことぐらいだった。

 転機が訪れたのは、半年ほど経った冬至の祝祭のこと。

 きっかけは忘れてしまったが、わたしたちはいつものように言い合いになった。互いの火に油をかけ続けるうちに、とうとうわたしはかれに言い放った。

「あなたの顔なんてもう見たくない。消えていなくなっちゃえばいいのに!」

 かれはぴたりと口をつぐんだ。もともと血色の悪い顔は透きとおるほど白くなり、すとんと表情が抜け落ちた。

「そのとおりだ」かれは小さく呟くと、くるりと背を向けて窓辺に向かった。

 ぽかんと固まるわたしを置いて窓を開け放つ。外は猛吹雪で、真冬の風がカーテンをおばけのようにぶわりと膨らませた。

 かれが窓枠に手をかけた。

 わたしのねぐらである療養室は、孤児院の二階にあった。雪風に栗毛が巻き上がり、かれの背中が前方へ傾いた瞬間、わたしは全力で床を蹴っていた。

 不幸中の幸いは、わたしの手がかれに届いたこと、そして窓の下には厚く降り積もった雪があったことだろう。

 息を呑んで振り向いたかれは、宙に投げだされる寸前わたしの体を両手で抱えこんだ。

 わたしたちは雪空を漂い、そしてまっすぐ落下した。

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