第78話 Day 2 lunch time
「〈ルイ、大丈夫?〉」
最終グループのパヴリィナが、アンシェヌマンを終えて近寄り、心配そうに流衣に話しかけた。
「〈大丈夫、お尻が少し痛いだけ〉」
苦笑いで流衣が答えるとパヴリィナも笑顔になった。
「〈あのアメリカの子とぶつかるかと思ったの、でもルイ止まって転んだから、びっくりしたの〉」
独特のイントネーションの英語で、流衣が転ぶ原因の子がアメリカ人だと話すパヴリィナ
「〈302番……アメリカ人だったんだ〉」
流衣は視線を動かしてその子を探した、幕間近くの場所で302番が、自分の世界に入ってアンシェヌマンをさらっていた。
転ぶというアクシデントに驚きはあっても、他人事でありもはや誰も気にも止めてない。
「〈さあ皆さん、これで今日のクラシック・クラスは終了です。午後からのコンテクラスのベストを祈ります〉」
リュリ先生の掛け声でクラス終了の拍手が起こった。
——……あ、直訳しちゃた。
wish you the best は “幸運を祈ります” で、“頑張って” って意味だった。
脳内変換出来なくなってきた、転んだショックかな?
〈傾斜に気をつけて〉って言われたけど、転んだの傾斜のせいじゃないし……。あの赤いレオタードの人……多分中国の人だと思うけど、その人が急にランベルセしたから、302番さんが避けたんだよ、その瞬間みたし。……なんであんなところで回ったんだろうしかもフェッテの後に……。
審査対象外のレッスンだったが審査員席には先生達が数人座ってる、出場者をチェックする為だ。
その審査員達の目を引くための、パフォーマンスなのは誰の目から見ても明らかなのだが、勝手のわからない流衣はその事に気付かず、モヤモヤする気持ちを抱えるしかなかった。
「〈ルイ。お昼食べるでしょう? 私もなの〉」
パヴリィナが食堂に一緒に行こうと流衣を誘った。
「〈そうだね、着替えて行こう〉」
可愛いお誘いに流衣も喜んで同意し、二人で更衣室に向かった。
食堂には現地のボランティアと主催者側による食事が用意され、ちょっとした賑わいがあった。特にボランティアの婦人たちが用意した、現地料理や名物料理などに人気が集まる。
参加者達は皿に好きなものを取り分け、数少ないテーブルに持ち寄り、賑わって食べているのはアジア系の団体様である。特別大騒ぎしてるわけでは無いが、南米欧米ヨーロッパからの出場者がほぼ各国一名であるのに対して、多数出てる中国、韓国、日本は団体様なので側からみると少し異質な雰囲気である。取り分け12名(その内男子3名、ここにはいない)もいる韓国は同じ学校なのかよく知った仲なのか、よく喋り女子校の昼休みの様である。中国の参加者女子は4名、これまた語り合いながら食事してる。日本人の場合は同じバレエ学校からの参加者はまれで、ほぼ個人に近い為か話が盛り上がり大声になる事は無く、田中、平、和泉と見知った顔が同じテーブルについていても、時々顔を見合わせて小声で話している程度である。
——賑やかでなんか学食みたい、前におむすび忘れてお昼に学食行ったけど、あの雰囲気が苦手でそれ以来行ってない……ここおんなじだ。
昨日は数人しかいなかったから、ゆっくり食べれて良かった。パヴリィナが居なかったら今日はランチボックス持って退場してるかも。
「〈ねえ見てルイ、これ知ってる?〉」
パヴリィナが一つの料理を指して、期待に満ち溢れた目を向けてきた。
「〈ジャガイモ……?〉」
ジャガイモの輪切りを茹でて、バターとレモンで味付けしパセリを振りかけてある料理だった。
「〈これねぇ、ブルガリアではエンジェルポテトっていうの〉」
自慢げに視線をこしらえて話すパヴリィナ。
「〈そうなの? なんて可愛い名前、美味しそうだね〉」
流衣が取り分けてきたのはキッシュと、一度フランベした煮魚、同じ物はなかった。
「〈どうぞ〉」
パヴリィナが流衣に “食べて”と促したので、流衣はフォークでつまんだ。レモンのアクセントが効いたポテトが口の中に広がった。
流衣が “グット” とサインを出すとパヴリィナも喜んで誇らしげな顔をした。喜びながら料理を食べるパヴリィナを見てて、流衣はひとりでいる彼女に疑問に思った。昨日は午前中のクラス終了後に、先生らしき人物と今いるここの場所で食事しながら話してるのを見たからだ。
「〈パヴリィナの先生、今日は居ないの?〉」
流衣の質問を聞いて顔を上げる。
「〈私のママ? 今日は、お昼は外で食事してから、午後のコンテクラス見学に来るの〉」
「え、もしかして……〈ママが先生なの?〉」
「〈そうなの〉」
「そうなんだ、〈ママが一緒は、頼もしいね〉」
流衣はそう思ったが、パヴリィナは複雑そうな顔をした。
「〈ママがいるのは嬉しいけどぉ、ちょっとうるさいの〉」
フォークでエンジェルポテトを突き刺し、ムッとして怒った顔をするパヴリィナのその表情は、親を頼り切っているから取れる態度だと分かっている流衣は、微笑ましくて笑った。
「キャー!」
奇声が上がって、その場にいた皆んなが驚いて、一斉に声のした方方向に振り向いた。そこにはアジアの団体がいて、会話が盛り上がってエキサイトしていた。
——喜んでるのか、びっくりした。
何喋ってるのか分からないけど、数が多いから韓国の人たちだよね、皆んな仲良いんだ。
流衣だけでは無く他の人達もそう思っているらしく、白人の子が二人ほど退席した。その他の人達も、食べる速度をを上げ始めた。奥にいる田中も静かに黙々と食べることに集中してるようである。
——あたしも早く食べて下で柔軟しよう。
黙って食べ出したところ見ると、パヴリィナも同じ事思ってる?
……だよね、と、あれ? こっち見てる子がいる、あの子……。
流衣が皿にある魚を食べようと正面を向いた瞬間、目があった子がいた。
バジルといたあの女の子。
その子がこちらに向かって真っ直ぐに歩いてくる姿を、流衣はジッと見つめてしまった。
「〈あなた日本人でしょう?〉」
目の前まで来ると、開口一番その子は流衣に向かって強い口調で話しかけて来た。
丸いテーブルを挟んで向かいに座っているパヴリィナが、テーブルの前まで来て腕を組んで声を出した子を見て、何が始まったのかと驚いて食事の手を止めた。
「〈はい私は日本人です〉」
教科書の定型文の様に答える。
「〈日本人なのに、どうしてあっちの日本人達と一緒にいないの?〉」
またしても強い口調で流衣に迫る。
「〈107番の人……なんで怒ってるのぉ?〉」
パヴリィナには、きつい言い方が怒っている様に見えた。
「〈怒って無いわ、変だと思ったの、日本人同士で固まってるのが日本人でしょう?〉」
怒ってると指摘されて少女は少し声のトーンを変えた。
「〈そゆのが苦手な人もいる、ここに〉」
友達でも無い人と何を話していいか分からず、思わず距離をとってしまうコミ症界隈人員であると告白して、流衣は両手をあげ、降参する仕草を取った。
そして流衣が自国グループに混らずに、白雪姫タイプと同席してる理由を理解した少女は、雪が溶ける様に表情が柔らかくなっていった。
「〈……あなた変わってるの?〉」
口調は強く無くても質問はストレート。
「〈よく言われる〉」
流衣の答えに完全に顔を緩ませると、途端に明るく話し出した。
「〈私クラリーサ、クラリーサ・エルミラ・スアレス・ジェルバブエナ。ポルトガルからなの、ねえここに座ってもいい?〉」
流衣とパヴリィナは顔を見合わせて頷くと、クラリーサは待ち望んでいた様子で素早く座った。
——クラリーサ。
警戒してたのかな、されてたのかな?
笑顔が可愛よい……さっきまであった一軍女子感無くなったよ。
107番だからこの子あたしより若いんだよね。
「〈私はパヴリィナ、ブルガリアからなの〉〉
「〈101番のパヴリィナね。あなたは “ルイ” ね〉」
「〈……なんで私の名前知ってるの?〉」
「〈昨日のコンテ!〉」
「あ、そうか……」
思わず日本語が出てしまうが、そんな事はお構いなしに会話は続く。
「〈タランテラの男子パート踊るひと初めて見たわ、その後の動きも個性的ですごく良かった、ルイはクラシックよりコンテ得意なのね!〉」
「〈そんな事ないよ、ローザンヌのためにコンテのレッスンを受けただけだし……。こっちに来て名前が男の子だって分かったから踊ったの〉」
十年やってるクラシックより、数回レッスン受けただけのコンテンポラリーを褒められたことに、褒められて嬉しい反面、複雑な気持ちになり、それに昨日からの感じてた漠然とした違和感に考えが移行した。
——あたしが踊ったインプロビゼーションって、今まで習ったものをアレンジしただけだから、美術の時間にやった写真とか切り貼りして作った作品とおんなじで、コンテンポラリーの「想像」とは違うよね……。
インプロビゼーションは「即興」だからそれはそれで間違ってはないけど……なんか、これでいいのかな……?
「〈クラリーサは “光が輝く” の意味だよねぇ〉」
パヴリィナがクラリーサと問いた。
「〈そうなの、それにエルミラが“姫” だからオーロラをちょっとオーバーにやってみたの〉」
悶々と考えていた流衣に、飛び込んできたクラリーサの言葉は衝撃的過ぎた。
——えっ?
ちょっと待った!
それってもしや “かぐや姫” では?
何その輝夜姫と書いてクラリーサと読む、みたいな外国版キラキラネームはありなの。。
外国の名前がその勢いなら日本は “細川ガラシャ” しか勝てなくない?
……いや、勝ってる意味わかんない。
「〈2人は留学希望なの?〉」
クラリーサの会話の切り替えのスピードに、流衣は何とかついて行くのに精一杯で、頷くことで答えた。
「〈私、ワガノワに行きたいのぉ、ルイは?〉」
「〈私は一番はイギリスだけど、ヨーロッパの空気を感じてみたくて……。クラリーサは?〉」
「〈もちろん留学、私はスペインに帰りたいの〉」
クラリーサはちょっと不満気な顔をした。
「〈帰る?〉」
自己紹介ではポルトガルから来たと言ってのは、聞き違いだったのかと流衣は思った。
「〈クラリーサはスペイン人なのぉ?〉」
パヴリィナが聞く。
「〈そうなの、パパの仕事で一年前にポルトガルに来たけど言葉は通じないし、……もううんざり、元いたマドリーのバレエ学校に帰りたいの!〉」
クラリーサの希望は同じヨーロッパ内の移動で、流衣には衝撃的だった、地理に疎い流衣も流石にスペインとポルトガルが隣なのは知ってる。隣の国に留学するのにローザンヌを受ける、という事もアリなのだと目から鱗状態の流衣だった。
「〈ルイは15歳よね、何月生まれなの?〉」
クラリーサは持っていた水を少し飲むと、新たな質問をした。
「え?〈誕生日は3月6日。どうして?〉」
「〈私7月生まれで107番だから、15歳の子少ないなと思ったの〉」
「〈そういえば……あ、そうだ、102番と106番いないよね〉」
今になって欠番に気がつく流衣。
「〈その人達、身体不良で棄権したんだよぉ、ママが言ってた。それに103と104は双子だよ〉」
パヴリィナのママはバレエ教師なので、棄権した生徒が何名か居るとの情報が入ってきていた。
「〈体調不良で棄権? それに双子⁈〉」
流衣は棄権もさることながら、双子にも驚く。
「〈アルゼンチンからのバニナとマリアでしょう? 二卵性だから似てないんだって。棄権はきっと体重管理が出来なかったんだよね、失格になるより棄権して来年に賭けた方がいいもの〉」
サラッと答えるクラリーサ。
「〈……ふたりとも色んなこと知ってるね〉」
ほぼ同い年の女子ふたりの情報伝達能力の高さに、流衣はあっけに取られてしまう。
「〈私の情報、ママだよお?」」
「〈アルゼンチンはスペイン語圏だもの、母国語で話しただけよ?〉」
感心してる流衣に、特別たいしたことはしてないとふたりは言った。
——アルゼンチンってスペイン語なんだ……。
そんな事も知らなかったあたしから見れば、ふたりとも凄いと思うけど……。
失格かあ、やっぱり失格になると、次にローザンヌを受けるの厳しくなるのかな?
棄権でも2回目は厳しいっていうもんね。
体重あたしも危なかったし……。
出発前に40キロ台に戻ったから良かった、ハクがいつも「めんどくせぇ」とか言いながら作ってくれたご飯のおかげだ、日本の方角に向かって拝んじゃおうかな、東に向かって、神様、ハク様、仏様〜!
日本は東、でも東ってどっちだろ……。
やはり失格という不名誉は避けたいのは、世界共通の認識である。
そして喧騒収まらぬ中で、流衣は文句を言いながらもご飯を作ってくれたハクに改めて感謝するのであったが、日本の位置が分かっても、その方角は分からないというとことん詰めの甘い流衣であった。
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