十輪ツクルの百合短編置き場
十輪ツクル
2022年
6月公開分
猫はいつだって、頭の上に居る。
猫。それはどんな人間にも愛される、そしてどんな人間にも愛されることを知っている、とても狡賢い愛玩動物だ。
猫はいつだって澄まし顔。頭を撫でられている時も、おやつを貰うときも、愛して貰う時でさえ己が人間の上位に立っていることを自覚している。
それ故に、その人間にとっての愛情表現を、その人間以上に熟知しているのだと言う。
「
「……猫。猫の本」
「へえ、自分に似た生き物に対する興味ってやつ?」
「……さあ。どうだろう」
目の前に立つ顔の整った美少女。彼女の名前は
スラっと伸びた艶入りの黒髪と、シミ一つ見当たらない雪原の様な真っ白い肌。加工アプリで加工した写真を見ている様な気になってしまうほど、大きくつぶらな瞳。女子の背の順では後ろから三番目でおまけに胸のカップはFと、とてもこの世の人間とは思えないほどのルックスを持つ、正に美少女と称して過言ではないほどの美少女。
そんな美少女・梅川里美と私・
周りからの評判も悪くない。
時折、私達のことをカップルや夫婦と呼んで冷やかすクラスメイトもいるけれど、実際の私達の関係はそんな生易しい言葉で着飾れるほどプラトニックなものはでなく――。
「もう、教室誰も居ないよ。さっさと帰らないと、先生来ちゃう」
「……もう五時なんだ。全然気づかなかった」
「いや、私が迎えに来た時点で気づきなよ……。ほんと……蓮見は私が居ないと何も出来ないんだから……」
誰も居なくなってしまった教室は、私と里美だけの世界。誰も踏み入ることのできない私達だけの聖域。私達だけの楽園――なんて、里美は思っているのだろう。
他人には絶対に見せられない顔――いや、見せちゃいけない顔をしている。学校一の美少女が、幼馴染を前に涎を垂らして恍惚な笑みを浮かべているだなんて、他の生徒達に知られればどうなってしまうことやら。
「……里美。ここは学校。家に帰ったら好きなだけ、里美の好きにして良いから、早く帰ろう」
自分の席から立ち、私は机の横に引っ掻けてあったスクールバッグを右手に持つ。
上履きの爪先が向かうのは教室の出入り口。少しだけ立て付けの悪い木の引き戸。
私の左側に並んだ里美が私の腕に絡み付いてくる。鬱陶しいし、歩きづらい。
「今日さー、秋保と三村と蓮見の話をしたんだよー」
「……へー」
秋保と三村。私と里美のクラスメイトだ。特に筆することもない、唯の女子。
里美とは仲が良く、クラスの中心に位置する存在。私が認識しているのはその程度。
「……それで、二人と私の何を話してたの」
「んー、暗いとか、地味とか、いつも本ばかり読んでて何を考えているのかわからない、とか?」
「……好き放題言われ過ぎ。気分悪くなる」
絡み付く里美の腕を振り払おうと、左腕を上下に振りながら廊下へ出る。結局腕は剥がせなかった。
教室の外には人っ子一人見当たらない。下校時刻も過ぎているので当然なんだけど、誰も居ない学校ってのは結構不気味だなと思う。
「……それで、里美も一緒になって私の悪口言ってたの?」
「まさか。ちゃんとフォロー入れておいたって。幼馴染に感謝しなー?」
笑みへつらって、胸を張る里美の横腹を軽く小突く。その笑顔が無性にイラッとした。
「……恩着けがましい。別に頼んでないし、あと腕を絡ませてくるのも止めてほしい。足がもつれて転びそうになる」
「またまたー、ほんとは構ってもらえて嬉しい癖に。素直じゃないなー、蓮見は」
結局、私の左腕は解放されることもなく、私達は腕を組んだまま校舎の昇降口に辿り着く。
下駄箱で靴を履き替えて、外へ出れば空はすっかり藍色に染まり切っていて、薄暗い闇が校庭や校舎を包み込んでいる。
隣からわいわい聞こえる里美の声に適当な相槌を打って歩き出す。
私と里美の家は隣同士で、昔から何かと家族ぐるみの多い間柄だった。
小学校一年の頃に知り合って、中学でも三年間同じクラス。高校も必然的に同じ学校を選んで受験して、今じゃ切っても切れない絆で結ばれている……──とか言っておけば綺麗に聞こえるかもしれない。
「蓮見、今日もお母さんは晩くなる感じ?」
「……うん、多分。早く帰ってくるとは聞いてない」
「それじゃ、今夜もウチで晩御飯食べていきなよ。お母さんに一人分多く作っておいてって連絡しておくからさ」
「……まあ、良いけど」
里美の穢れない純粋な笑顔を見ていると、私達が汚れる前の無垢だったあの頃を思い出す。
あの頃は良かった……とは言わない。今の関係が嫌かって言われたら別にそうじゃない。今だって、私と里美の間には誰にも譲れない強い想いがちゃんとある。
ただ、その想いは、あの頃の想いよりも、随分と形や色を変えてしまったけれど。
「蓮見、横断歩道。信号、赤だよ」
「……え、あ、うん」
ボーっと考え事をしていたら、いつの間にか校門を通り抜けていたらしい。
信号が赤の間はずっと、肩を並べたまま目の前を横切っていく車を眺めていた。
里美は相変わらず私に何かを語り掛けていたけれど、その内容は耳から耳へと抜けていき、あまり頭の中には入っていなかった。
信号が青になる。横断歩道の白線の上を、私と里美は同じ歩幅のまま歩く。
「あ、お母さん夕飯多めに作ってくれるってさ。良かったね、蓮見」
「……ん、おばさんに後でお礼言っておかないと」
「えー? わざわざ気にしなくても良いのに。もう長い付き合いなんだしさ」
不思議そうな顔で、真っ直ぐ視線を向ける里美に私は呆れて溜息を吐く。
「……付き合いの長さは関係ない。何かをしてもらったら、お礼を言うのが当たり前」
「ふふ、相変わらず蓮見は真面目だねー」
「……里美が無頓着なだけ。親しき中にも礼儀ありって知ってる?」
「馬鹿にしないでよ。それくらい、私だってわかってる」
プイッと顔を背けて言う里美。それでも私の左腕をがっしり掴んで離そうとはしない。
胸の膨らみをわざと私の腕に押し付けながら歩いている。
自分は蓮見より胸がデカいんだぞーってアピールか、それとも発情期なのか。
どちらにせよ、拒んでも離してくれないのが私の幼馴染。抵抗するだけ無駄なので、私も大人しくジッとしている。
私達の住んでる住宅街は学校から徒歩十五分のところにある。ありきたりな表現を用いるなら閑静な住宅街。治安も良く、とても静かで住み心地の良い場所だ。
家は一戸建てのマイホーム。父が二十年のローンを組んで買った建売住宅で、里美の家も我が家と一緒。先に越してきたのが里美の家族で、我が家はその三か月後に引っ越してきた。
小さい頃は父も母も今より仕事が忙しくなかったから、家族ぐるみでバーベキューしたり、両家で旅行に行ったりもした。私も里美も一人っ子だから、それこそ本当の姉妹の様にいつも一緒に過ごしていた。
小さい頃なら誰だって経験する同じクラスの子との結婚の約束も、家族以外との初めての入浴も、私の初めてを根こそぎ奪っていったのがこの幼馴染。
今思えばとても可愛い話。煌びやかな思い出だ。
そう、今思えば――。
街灯の灯りが明るく照らす住宅街の角に私の自宅がある。
真っ白な三角屋根の二階建て。小さなガレージと、五平米程の庭があり、一面を緑の絨毯が埋め尽くしている。
「あぁ……そろそろ草むしりしないと」
思い出したかのように口を開けば里美は楽しそうに笑い、私の自宅の隣の家の前で立ち止まる。
外装は我が家と殆ど変わらない。同じ時期に、同じ会社が建てた建物なのだから当然の話。ただ、我が家と違って里美の家の庭には雑草が一つも生えていない。
「人ん家の庭を凝視してどうしたの? 早く入ろうよ。私、もう疲れちゃった」
「……別に、なんでもない。うん。それじゃ、お邪魔します」
里美が玄関の扉を開き、私を中へ招き入れるように手をパタパタと振る。
この家にはもう数え切れないほどお邪魔しているけれど、親しき中にも礼儀ありの精神は忘れずに、玄関の前でお辞儀をしてから里見宅へ足を踏み入れる。
里美のお母さんは料理が凄く上手。この時間にお邪魔すると、食欲を誘う匂いが漂ってくる。
玄関で靴を脱ぎ、揃えて右端へ寄せて置く。ひんやりと冷たいフローリングの上へ足を置き、先に靴を脱いだ里美の後ろを追ってリビングへ向かう。
今日の夕飯は煮物かな。お醤油と出汁の匂いがリビングから漏れ出しており、里美がリビングへの戸を開くと香りが弾ける様に強まった
「お母さん、ただいまー。蓮見連れてきたよー」
里美に手を引かれ、リビングへ足を踏み入れる。キッチンで鍋を掻き混ぜている里美のお母さんの元へ歩み寄り、私は頭を深く下げた。
「……おばさん、こんばんは。今夜もお邪魔しちゃってすみません」
「あら、蓮見ちゃん。おかえりなさい。ふふっ、良いのよー。私も蓮見ちゃんが家に来てくれるの凄く嬉しいから」
里美のお母さんはとても美人。この親あって里美あり。
黒炭の様に深く染まった黒髪と、どこまでも真っ白で透き通った肌は一目で遺伝なのだと気づくことが出来る。娘に負けず劣らずのルックスで、それに加えて――。
「もうすぐご飯できるから着替えてらっしゃい」
とても素敵な笑顔。心の半分が優しさでできてるのかな。
里美とはまた違った眩しさを持つその笑顔に、私は首を小さく縦に振り、隣の里美へ視線を向ける。
里美はコクリと小さく頷いてから、私の手首を掴んで私をリビングから連れ出した。焦っているというか、切羽詰まっているというか、とても慌ただしく体を引かれるので廊下で転びそうになる。
「……ちょっと、里美。もっとゆっくり歩いてよ」
里美の少し後ろから声を投げ掛けるけど、里美はまったく聞く耳を持たない。
流石に階段を登る時だけはその歩幅も私に合わせてくれたけど、腕を引かれながら階段を登るのって地味に辛い。
里美の部屋は二階の廊下の突き当り。向かいの部屋は里美の両親の寝室で、その隣はおじさんの書斎となっている。
里美は勢い良く自室の扉を開き、中へ私を連れ込んだ。
扉が閉まる音が聞こえるよりも早く、私の身体はピンク色のシーツが掛かったベッドへと沈み込む。あまりにも咄嗟だったので、小さな悲鳴が口から洩れる。
暗転した視界の先には里美の赤く染まった顔が見え、その背後には木目調の天井クロス。
里美に押し倒された。その事実を認識するまで二秒ほどのラグが生じる。
「……里美、夕飯は? おばさん、すぐできるって言ってなかったっけ?」
いつもの事と言えばいつもの事なので、押し倒されたことに対するリアクションは殆どなく、至って冷静な態度で里美に問い掛ける。
すると、里美も流石にマズイとは思っているのか、口元を引き攣らせながら答えた。
「わかってる……けど、その……我慢ができなくて……」
元々赤かった里美の頬が更に熟れていく。
その艶めかしい唇から吐き出される息も熱っぽく、鼻先に当たって擽ったい。
きっと、教室に居る時から諸々我慢していたんだと思う。震えるほど泣き出してしまいそうな切なげな表情を見せられたら私も駄目とは言えない。
「……わかった。でもちょっとだけ。あまり遅くなり過ぎたら怪しまれるから」
「そう、だね……ちょっとだけ……ちょっとだけだから」
途切れ途切れの言葉。その合間に縫い付く吐息は発情した猫の様で、普段の様子と一変した幼馴染の姿に私の身体も興奮の色を隠せない。
鳥肌。鳥肌が止まらない。
「……蓮見、早く……アレ、付けて……早く……」
急かされるまま、私の右手はベッド横のサイドテーブルへと伸ばされる。
三段の引き出しが付いたテーブルの二段目を開け、里美の言う“アレ”を手に取った。
「……付ける、から……ちゃんと、見てて……」
伸ばした手を戻す。視線は里美から自分の手元へと流れ、手に取ったブツが視界に映り込む。
それは革製の首輪。毒々しいマゼンタカラーの鈴が付いた正真正銘の首輪。
留め具を外し、それを自分の頸に巻き付ける。チャリンと鈴の音が響き、その瞬間――私と里美の関係は唯の幼馴染ではなくなった。
「……蓮見、可愛い……ヤバい、可愛すぎて……ちょっとじゃ済ませなくなりそう」
里美の眼がギラリと光る。覆い被さっていた彼女の身体は私に乗っかる様に密着し、熱くなった私の頬へ里美の体温が触れる。
「……っ、ご主人様……私も、もう……我慢できない、です……」
熱に浮かされ、雰囲気に流れた私の口から、甘ったるい声と言葉が溢れる。
今この瞬間、私は蓮見という一人の人間を捨て、里美という飼い主だけに愛でられる猫へと姿を変えた。この身も心もそれは自分のものではなくて、ご主人様の物。愛しい愛しい彼女の物。それが、私。
「ふ……ふふっ、蓮見、あぁ、蓮見……可愛いよ……」
頬を撫でていた里美の手は
くすぐったさと気持ち良さが絡み合ったような感覚に、私は身体を小刻みに震わせた。
すると、チャリン。再び鈴の音が鳴り響き、里美は笑みを深めて右手を更に下へと下ろす。
「……ご主人様……くすぐったい、です……」
「当たり前、でしょ……? 擽ってるんだから……」
楽し気に笑いながら、
身体の内側から広がる熱に頭が真っ白になっていくのを感じ、私は強請る様に彼女のシャツを握り締める。
「……ご主人様……キス……キス、して……キスしてほしい、です……」
無意識のまま零れた私の言葉に里美はニンマリと口角を上げ、普段よりもトーンの低い意地悪な声で問い掛ける。
「キス……してほしいの……? ふ、ふふ、ふふっ……ほんと、蓮見は可愛いねぇ……私が居なきゃ何もできないところも、そうやって私の心を惑わしちゃうところも、愛おしくて堪らない……」
恍惚な表情で紡ぐ里美の右手は
息が肌へ吹き掛かる程、里美の顔が近づいてくれば私は静かに眼を閉じて、自分の唇が彼女の唇を受け入れるその時をジッと待つ。
閉ざした瞳に映るのは一寸先も見えぬ深い闇。五感の内の一つである視覚を自ら断った私の身体はより敏感さを増して、嗅覚や聴覚が鋭く神経を尖らせる。
里美の口付けを待つこの時間はたった数秒程度の物なのに、いつだってとても長い時間に感じてしまう。里美もそれがわかっていて、わざと焦らしている。焦らして、慣らして、最高の瞬間を育てる様に、大事に大事にその時が来るのを待つ。その時間が私にとって、どれほど苦しい時間なのか、里美はわかっていて焦らすのだ。
意地悪なご主人様だ。性格が悪いだなんて可愛い罵倒じゃ足りない。性癖が捻じ曲がっている、とでも言えば良いだろうか。
それでも目を開けず、彼女の唇が触れるその時を大人しく待っている私も同類かもしれない。
「……蓮見……よくできました」
里美の声が聞こえる。ぴちゃりと水に濡れる様な音と共に、柔らかい感触が私の唇に触れた。
じんわりと熱が広がっていくような感覚に、私は酷く酔いしれた。自ら里美を求めるように、自分の唇で里美の唇を挟み込み、彼女の体温や呼吸を貪るように唇を押し付ける。
「……っ、ふ……ぅ、ん……」
「は、っ……はす、み……」
二人の息が交じり合い、その境界で頼りなく鳴るのは鈴の音だけ。
互いの粘膜が触れ合う心地良さに溺れ、意識も朦朧としてくる。
私の唇の間から、ぬるりと唾液が滴る里美の舌が割り込んできて、口の中いっぱいに里美の味が溶け込んでくる。
息が苦しくても止められない。身体が「もっと」と鳴いている。
里美を、ご主人様を、求めている。
「ふ、はぁ……はすみ、顔凄いことなってる……」
「……っ、は、ぁ……ご主人様だって、やらしい顔してる……」
唇が離れ、互いの間で繋がる唾液。
身体が燃えて、焦げてしまいそう。おまけに頭もふわふわして良い心地だ。まるでぬるま湯に浸かっているみたい。
「……ふぅ、は……蓮見……今夜だけどさ、私……こんなんじゃ、全然足りないよ……」
「私も、全然足りない……もっと、ご主人様が……欲しい……」
「ふふっ……蓮見……蓮見はほんとに可愛い……ほんとに、私が居なきゃ、何も出来ないんだから……」
私の顔を包み込むように、里美の両手が頬へと触れる。
うっとりと表情を崩して笑う彼女の手に頬を摺り寄せながら、私は思う。
私が居なきゃ生きていけないのは里美の方だ。
私を愛し、私を支配しているつもりになっている様だけど、それはまったくの勘違い。
猫はいつだって、飼い主よりも上に立っている。それを自覚して、それを理解して、それでもご主人様の前では従順な顔を見せる。
その理由は今更語るまでもないだろう。
私はずっと、
「……ご主人様、これからも……ずっと、私と一緒に居てね」
「もちろん、私達はずっと一緒だよ。私がいつまでも、蓮見を愛してあげるから――」
(完)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます