第45話 つながる心と新たな関係

 その後は事情聴取のために警察署に連れて行かれ、見聞きしたことを話した。と言っても私はGPSのアイコンの後を追ってきただけなので、廃工場での出来事しか知らない。だから大部分はワタル君の証言だ。怖い思いをしただろうに、彼はしっかりと事の顛末を話してくれた。

 後から聞いた話と合わせるとこうだ。


 結論から言うと、先程逮捕された男はワタル君のお母さん──香さんの失踪した恋人だった。名前は後藤という。彼は投資に失敗して多額の借金を背負い、そのお金を返すために覚せい剤の売人に手を出してしまったらしい。最近このあたりで覚せい剤の使用者が目立っていたのは、彼がこの地域で売り捌いていたからだ。

 香さんはなんとか彼の居場所を突き止め、自首するように促していたのだが、何度も何度も自主を勧められることに嫌気が差した後藤が彼女を家に閉じ込めてしまったらしい。覚せい剤所持の共犯で捕まればワタルの将来にヒビが入るぞと彼女を脅していたようだ。

 だがやがて後藤自身も覚せい剤に手を出し始めてしまったためにお金がなくなり、最後の手段としてワタルを誘拐し、一ノ瀬本家から多額の身代金を取ることを決めたのだという。なんとも身勝手な言い分に腸が煮えくり返る思いだったけれど、雅臣さんが逮捕してくれたのでもう安心だ。


 証言を終えたワタル君と一緒に部屋で待っていると、ノックの音がして雅臣さんが入ってきた。ほっとして微笑むと、雅臣さんが私の顔を見て表情を和らげた。同時にワタル君のもとへ歩いていき、少し屈んで目線を合わせる。


「ワタル、お母さんを保護したよ。もう安心だな」

「ほんと? 母さんはどこ? 今ここにいるの?」


 雅臣さんの言葉にワタル君がパッと顔を輝かせる。雅臣さんが頷くと同時にドアが開き、江坂さんに連れられて一人の女性が部屋に入ってきた。肩までの黒髪は艶を失っていて、顔には疲労の色が濃く出ているけれど、環さんや雅臣さんにもよく似た美人だった。


「母さん‼」


 ワタル君が立ち上がり、お母さんに飛びつく。ワタル君のお母さんである香さんは息子をしっかりと抱きとめた。


「ワタル…ごめん、ごめんね。辛かったね」

「うん、でも母さんに会えたからもう平気」


 親子の再会を見て私も思わず目頭が熱くなる。一人で頑張ってきたワタル君に、よく頑張ったねと心の中で言葉を送りながら、私はそっと指で目元を拭った。

 お母さんはしばらくの間ワタル君を抱きしめていたが、やがて立ち上がって私の前で頭を下げた。


「雅臣から話はすべて聞きました。私が不在にしている間ワタルの面倒を見ていてくださってありがとうございます。聞けば小学校の先生だとか。本当に感謝してもしきれません」

「いえ、生徒の面倒を見るのは教師の務めですから。私もワタル君と一緒に過ごせて楽しかったです」


 にこりと笑って答えると、お母さんが柔らかく微笑んだ。


「聞けばあなたは雅臣の恋人らしいですね。今まで恋愛に対してあまり積極的でなかったあの子が、あなたのことを大事に想っているのがわかる気がするわ」

「ええっ……! な、なんだか恥ずかしいですね。でも嬉しいです。私も雅臣さんのことが好きですから」


 正直な気持ちを告げると、お母さんが「まあ」と笑いながら雅臣さんを見る。雅臣さんもほんの少し照れたような顔をしながら制帽を被り直していた。

 後藤が逮捕されたため、これからワタル君とお母さんは一時的に環さんの家に身を寄せるらしい。頭を下げながら部屋を出ていくお母さんに連れられるようにしてワタル君も歩いていく。

 部屋を出る寸前にワタル君ががくるりと振り向いた。


「あかりちゃん、ありがとうな」


 二カッと笑って照れくさそうに部屋を出ていく彼を私は温かい気持ちで見送った。





 取り調べが終わって家に帰ってきたのは午後七時半頃だった。上司である渡さんの計らいにより、雅臣さんも既に退勤させてもらっている。事件に巻き込まれて神経が昂っているであろう私の側についていてあげろという指示らしいが、最近の変則的な勤務形態でろくに休みも取れていないからという理由もあった。

 一緒に雅臣さんの家に入り、パチリと電気をつけるといつも通りおしゃれなモノクロの家具が出迎えてくれた。二人で簡単に食事を作って食べ、風呂に入って寝る支度をする。二人でベッドの横に並んで腰掛けるとやっと人心地ついた。


「なんだかワタル君がいないと寂しくなりますね。でも、お母さんと会えて私も嬉しかったです。香さんも無事で本当に良かった」 

「ええ、本当にあかりさんのおかげですよ。事態がもっと深刻になる前に解決ができたのはあなたの機転によるものです。感謝してもしきれません」

「そんな、だってあの男を捕まえてくれたのは雅臣さんじゃないですか。そんな場合じゃないんですけど、彼を捕まえてくれたときの雅臣さんはやっぱりカッコよかったです」


 精悍な顔を見上げながら伝えると、雅臣さんが微かに目を細める。


「それでもあかりさんは無茶をしすぎです。覚せい剤を使用した危険な男の前に躍り出るなんて……一歩間違えれば大変なことになっていたかもしれない」

「心配かけてごめんなさい。でも私、怖くはなかったです。雅臣さんは絶対に来てくれるって信じていましたから」


 彼の手に自分の手を重ねながら素直な気持ちを伝えると、雅臣さんが苦笑しながら握り返してくれた。


「まったく、あなたと一緒にいると命がいくつあっても足りない。でも俺が好きになったのはあなたのこういうところだから仕方がありませんね」

「ご、ごめんなさい。これからは無茶しないようにします……えーと、なるべく」

「ではそろそろ本格的にこのお転婆怪盗を捕まえておきたいのですがいいですか?」

「え? 捕まえる? どういうことですか?」


 キョトンとしながら小首をかしげると、雅臣さんが笑いながらベッドの横に置いてある袖机の引き出しを開ける。中から取り出したのは赤い皮張りの小さな箱だ。ぽんと手のひらに渡されたそれを開けてみて、私は驚きに目を見張った。


「指輪……? 雅臣さん、これって」

「結婚してください、あかりさん。こんなタイミングで渡すことになってしまって申し訳ありませんが、これが俺の正直な気持ちです」

「結婚……」


 半ば信じられない気持ちで箱の中の指輪に視線を落とす。光を反射して七色に光を散らすダイヤがあたりを静かに照らしていた。そっと指輪を手に取ると、雅臣さんが受け取って私の左の薬指にはめてくれる。


「雅臣さん、私嬉しいです。これからはずっと一緒にいられるんですね」

「ええ、お待たせしてしまってすみません。でもずっと伝えたかった言葉をやっと言えました。受け取ってもらえますか?」

「もちろんです。私からもお願いします」


 感極まって雅臣さんにギュッと抱きつくと、逞しい腕が抱きしめ返してくれる。彼の胸に顔を埋めると、すっかり身近なものになった優しい香りが私を包んでくれた。

 ゆっくりと身を起こすと、雅臣さんが私の顎に軽く手をあてた。そのまま優しく持ち上げられ、唇が重ねられる。私の方も雅臣さんの首に両手を回して引き寄せるように迎え入れると、私の腰を抱く雅臣さんの手がピクリと動いた。

 大きな手が私の頭の後ろに回され、さらに深く口付けられる。いつも優しい温もりで包んでくれる彼のキスは、今日は珍しく少しだけ性急だ。いつもと違う大人のキスに思わず甘い息を漏らすと、雅臣さんが唇を離して私の体をギュッと抱きしめた。


「好きです、あかりさん……結婚までもう待てません」


 耳元で囁かれる甘い声にはほんのり欲望の響きがあった。でもそれを聞いて淡く期待してしまう私も、もうとっくに心が決まっていたのだと思う。


「はい。私も多分……ずっと待っていました。この日が来ることを。あなたになら捕まってもいいですから」


 雅臣さんを見上げて微笑むと、彼がふっと相好を崩した。そのまま優しく腰を引き寄せられたかと思うと、くるりと視界が反転して部屋の天井が目に映る。押し倒された私に覆いかぶさるように雅臣さんが手をつき、ベッドに投げ出された私の手に指をからめた。  

 いつも優しい雅臣さんは、今日だけは男の顔をしていた。熱を孕んだ切れ長の目が体の芯に火をつける。

 くつろげられた首元に優しくキスが落とされ、心地よい甘さに震えながら私は静かに目を閉じた。




 チチチ……と外から聞こえる鳥の鳴き声とともに私は目を覚ました。まず最初に目に入ったのは厚い胸板だ。それからがっちりした広い肩と腕。どうやら雅臣さんに抱きしめられながら寝てしまったらしい。

 モゾモゾと動いて少しだけ体を動かすと、頭上からフッと笑う声が聞こえた。見上げると、雅臣さんが優しい顔で私を見ている。


「おはようございます、雅臣さん。こんな時間にいるなんて珍しいですね。いつもなら早朝のランニングをしている時間なのに」

「はは、今朝は隣に可愛い恋人がいましたからね。もう少し余韻に浸っていたかったので俺も朝寝坊することにしました」


 いらずらっぽく笑う彼が可愛くて私の顔も自然とほころぶ。だけど、あれ? なんで一緒に寝ているんだっけ……と思いながら視線を落とすと下着姿の自分と衣服をまとっていない雅臣さんの姿が目に入った。とたんに昨夜の出来事を思い出し、私は羞恥とともに慌てて布団の中に逆戻りした。


(わっ! わーー! 私ったらなんてことを‼)


 昨夜の記憶は鮮明に残っている。私に触れる彼の指や唇はどこまでも優しくて、そして情熱的だった。昨日の蕩けるような甘い時間を思い出して布団の中で悶えていると、布団の上から優しく頭を撫でられた。ミノムシ状態のまま顔だけ布団からぴょこりと出すと、こちらを見て微笑んでいる雅臣さんと目があう。


「あかりさんはよく眠れましたか? まだ寝たりないならもう少しここにいましょうか」

「あっ、はい。よく眠れたは眠れたんですけど、あの、昨日……のことが今更に恥ずかしくなったといいますか、失礼なことをしてないか心配になったといいますか」

「どんなあかりさんも俺にとっては可愛いんですよ。俺の心を盗んでいった唯一の女怪盗ですからね」


 笑いを含んだ声とともに髪を撫でられる。大きな手のぬくもりにまたもや心臓がドキドキと鼓動を打ち始めた。それでも胸に感じるのは満たされた幸福の感情だった。

 そのあと少しだけ布団の中でお話をしたあと、起き上がって二人で朝食の支度をする。はじめて一緒に迎えた朝に食べるご飯は幸せの味がした。



 だけどそんな幸せな休日が一変したのはすぐのことだった。朝食の片付けを終えて二人でのんびりコーヒーを飲んでいると、ピンポーンとチャイムの音がした。朝から誰だろうと思いながらドアを開けると、息を切らした環さんが飛び込んできた。


「た、環さん? どうしたんですか、そんなに慌てて」

「ごめんねあかりちゃん。雅臣はいる?」

「俺ならここにいるが、どうしたんだ。何かあったのか」

「大変よ、雅臣。ワタルが本家に連れ去られちゃったの!」


 環さんが懇願するように雅臣さんを見る。本家ということはワタル君とお母さんがもともと暮らしていた場所だ。いまいちピンときていない私とは違って雅臣さんには環さんの言いたいことがわかったようだ。環さんの言葉に、雅臣さんの表情が強張る。


「わかった。今から本家に行けばいいか?」

「ええ。私が車を出すわ。悪いんだけどあかりさんも来てくれる? あの子の味方は一人でも多いほうがいいから」


 環さんの言葉に、事情がわからないながらも頷く。こうして私たちは一ノ瀬本家へ足を踏み入れることになった。

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