第24話 真相

 夕方五時。私は学校を出ると、まっすぐに繁華街の方へと足を向けた。桜ちゃんの件があってから、私も自主的にパトロールをすることにしたのだ。と言っても警察のようにしっかりと巡回するわけではなく、自宅に帰りがてら厄介事に巻き込まれそうな子供がいないかを見る程度だ。

 カラオケ店やゲームセンターをチラッと覗き、子供の姿がないか確認する。中学生や高校生くらいの子達はよく見るが、さすがに小学生くらいの子が繁華街を歩いていれば目立つだろう。問題行動をしている子供がいないかを一通り確認すると、私は足早に繁華街を出て別の場所へ歩を向けた。


 ついでに私にはもう一つ目的があった。

 繁華街を抜けて住宅街や商店街を歩きながら、私はくだんの怪しいキャンピングカーが無いかを探していた。

 桜ちゃんは無傷で帰ってきた。特に嫌なことをされたわけでもない為、心に傷を負った様子もなく元気に過ごしているそうだ。学校側でも、改めて保護者へ夏休みの過ごし方についての注意喚起がなされたくらいでこの一件は終了している。だけど私は一ノ瀬さんの言葉がどうしても忘れられなかった。

 桜ちゃんは公園で眠り続けていた。遊んでいるうちに疲れてウトウトしてしまうのはわかるけれど、場所が変わったのさえわからないほど何時間も公園で眠り続けていたという事実は違和感がある。もしかして睡眠薬を飲まされていたのではないかという疑惑が脳裏をよぎるが、そうなるとますます男の目的がわからない。夏休みを持て余している子供達へ遊び場を提供するくらいの認識でいたが、桜ちゃんの一件を考えると不審な点が多すぎるのだ。

 もちろん、一ノ瀬さんも捜査をしてくれているに違いないが、日常的にトラブルが発生しているこの地域では、この一件にかかりきりというわけにはいかないだろう。何かが起きてからでは遅いと、私も少しでも手がかりになるものがないか探そうと思ったのだった。

 だけど、毎日毎日、足が痛くなるくらい歩き回っても、怪しいキャンピンガーを見つけることはできなかった。




 そんなこんなで夏休みも半ばになってきた時だった。私は今日もパトロールを兼ねて不審者がいないか見回りの為に歩き回っていた。今日歩いているのは、いつもの繁華街から少し外れて、工場や倉庫が立ち並ぶ地区だ。繁華街の喧騒とはうってかわって静かで人気ひとけのないこのエリアは、時折大型トラックが建物間を出入りしているくらいに閑散としている。当たり前だが小さい子の姿はない。


(あの一件以来特に不審者の話は聞かないし……私の気の所為なのかな)


 そんなことをぼんやり思いながら大通りを歩いていた時だった。

 微かに車の扉を閉める音が聞こえたような気がした。ハッとして振り向くが、人の気配はない。それでも何となく胸騒ぎを感じて、私はキョロキョロと辺りを見回した。

 私の目の前に一件の薄汚れた廃工場が飛び込んでくる。広い敷地内に、塗装の剥げた大きな建物がでんとそびえ立っている。私は吸い寄せられるようにその工場へと近づいていった。

 敷地内に入り、耳を澄ませる。もう使われていない工場は当たり前だがなんの物音もしなかった。良かった。さっきの音は気の所為だったのかもしれない。そう思いながら何気なく工場の中へ視線を向けた私は、驚きのあまりその場に釘付けになった。

 工場の出入り口の側に小さな物が落ちている。灰色の色彩の中に一際目立つ赤色。近付いてよく見ると、それは靴だった。赤い色でピンクの花柄が入っている、子供の靴。


(女の子の靴……? どうしてここに?)


 途端に背筋がぞわっと粟立つ。廃工場に女の子の靴が落ちているなんてどう考えても異常だ。慌てて一ノ瀬さんに連絡をしようと鞄からスマートフォンを取り出した瞬間に、ザリっと背後で砂を踏む音がした。

 振り向くと、私の目の前にはサングラスをかけた男が立っていた。背は高く、暑い季節なのにも関わらず長めのコートを羽織っている。慌てて逃げようと踵を返すが、あっという間に腕を掴まれた。男が私の腕をひねり上げ、スマートフォンが地面に落ちて固い音を立てる。


「いやっ! 離して!!」


 掴まれた腕を振り解こうともがくが、どんなに揺さぶってもびくともしない。コートの袖口から覗く腕は筋骨隆々としていて太く、男の体格の良さが見てとれた。

 男が腕を伸ばして私の体に抱きついて抑え込もうとしている。多分このままでは押し負けると思った私は、咄嗟に腕をあげて男のサングラスをはたき落とした。通報する時の為に男の顔だけは見てやろうと思ったのだ。だけどサングラスの下から出てきた顔を見て私は悲鳴をあげた。


「酒井先生! どうしてですか!」


 サングラスの下から出てきたのはよく見知った顔だった。毎日顔を合わせている、同僚の顔。ショックで涙声になる私に、いつもの人当たりの良い笑みを消した酒井先生が能面のような目で私を見る。最近よく聞く不審者の正体は、あろうことか彼だったのだ。

 一刻も早く逃げ出してこのことを一ノ瀬さんに伝えたかったが、必死の抵抗もむなしく、私は彼に抱きかかえられた状態で工場の中へ引きずられていった。


 

 工場の中へ連れ込まれた私はあっという間に手足を縛られて床に転がされた。中はかなり狭く、電気はないものの高い天井にある窓から入る日の光で辺りの様子がよくわかる。使われていない椅子や工具などが雑多に置かれており、床は硬いコンクリートが剥き出しの状態だ。私の目の前に作業用の机が置いてあり、その上に置かれているものを見て私は悲鳴をあげた。


「桜ちゃん!」


 作業台の上に横たわっていたのは桜ちゃんだった。仰向けに寝ており、片足は靴が脱げている。


「酒井先生、あなたはここで何をしようとしているんですか?」

「それをあなたに教える必要があるんですか?」

 

 酒井先生が無機質な声で答える。その時、ふと机の下に写真が数枚散らばっているのが見えた。おそらく、桜ちゃんの靴が片方無くなっているのを見て慌てて探しに来た際に作業台の上から落としてしまったのだろう。体をよじって覗きこみ、映っているものを見た瞬間、私は絶句した。そして彼がここでどんなにおぞましいことをしようとしているかを瞬時に理解した。


「酒井先生、あなたはこんなことをして、教師として恥ずかしくないんですか!」

「私もあなたにここを見られてしまったのが残念です。申し訳ありませんが浅雛先生、私はあなたを始末しなければならない」

「私を殺すつもりなの?」

「人殺しは後始末が大変だ。けれど、あなたを社会的に殺すことなら簡単にできますよ」


 そう言って彼は私の前にしゃがみ込むと、胸ぐらを掴んだ。ビリッと布が破れる音が響き、ブラウスが引きちぎられる。胸元があらわになったのを感じたと同時に、酒井先生がズボンのポケットからスマートフォンを出し、シャッターを切る。


「浅雛先生もまだ若いですから。これが世に出回るのは嫌でしょう? 特にあなたはまだ未婚ですし」

「この……外道! あなたがそんな人だったとは思わなかったわ!」

「なんと思われようと結構。私は成人女性には興味がないんでね」


 怒りと共に叫ぶ私を一瞥して酒井先生が作業台に戻る。きっと今から彼はここで桜ちゃんに「いたずら」をするつもりなのだろう。こんな小さな女の子に、今から彼は一生のトラウマを植え付けるつもりなのだ。

 何かこの事態を打破する策を考えなければと必死で頭を働かせるが、身動きは取れずスマートフォンも落としてしまった私にはどうすることもできない。身近な人が犯罪者だったというショックと怒りで涙がにじみ、視界がぼやける。


(どうしよう……どうしよう。一ノ瀬さん、お願い助けて!)

  

 心の中で声にならない悲鳴をあげる。だけど、怒りと悔しさのあまり身をよじった瞬間、後ろ手にされた手が何かを掠めた。私の指が、スカートのポケットの中にある硬質なものに触れる。


 ――一ノ瀬さんにもらったGPS。


 もうこれしかないと瞬時に思った。なんとか手を動かしてポケットに手を入れ、キーホルダーに指を引っ掛けて取り出す。酒井先生は桜ちゃんのブラウスを脱がせようとしているのか襟元に手をかけていた。

 咄嗟に足を動かし、机の足を蹴り上げる。少しでも邪魔になればという思いで蹴り上げた机はガタガタと小刻みに揺れ、酒井先生が苛立った様子で舌打ちをした。


「浅雛先生、痛い目に遭いたくないなら大人しくしておいてもらえませんかね」

「痛い目に遭うのはあんたよ!この――変態ロリコン野郎!!」


 怒りを吐き出すように叫ぶと、私はGPSのボタンを思い切り押した。

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