La Cafetería Sospechosa ~疑惑の喫茶店~
平中なごん
Ⅰ 不審な客
聖暦1580年代末、エルドラーニャ島・サント・ミゲル……。
世界最大の版図を誇るエルドラニア帝国が、西の海の彼方に発見した新たな大陸──〝新天地〟。
その新天地の玄関口、エルドラーニャ島に初めて建設した植民都市サント・ミゲル……この世界の果てあるとは思えない、本国エルドラニアの都市にも引けを取らない美しく瀟酒な街の片隅で、私は小さなカフェテリーヤを営んでいる。
目貫通りから一本入った脇道にある、コロニアルスタイルの白い板張りの店だ。
私の名前はエストレイヤ・バスク。中流の商人の家の出で、成功を求め、はるばる海を渡って本国からやってきた入植者だ。
渡った当初は何をしようかも漠然としか決めておらず、とりあえずこちらで取れた産物を本国へ送る海運業の手伝いをしていたのであるが、そんな時、この新天地の大農場で採れる豆を原材料とした魅惑の黒い飲み物──コーヒーと出会った。
初めて口にした時の鼻に抜ける芳醇な香りと、あの魂を覚醒させるような強い苦味は今でも忘れない。
まさにそれは私にとって〝神の啓示〟と呼べるものであった……。
その時より、私はこの素晴らしい嗜好の品を世に広く知らしめることを、我が人生をかけた生涯の目的とすることに決めた……否、文字通り
だから、まずは手始めにこのカフェをサント・ミゲルの街に開き、上は総督府の役人から下は貧しい労働者層にまで、より多くのエルドラニアや他国にルーツを持つ住民達にコーヒーの素晴らしさを知ってもらうことにしたのだった。
開店すぐの頃にはさすがに閑古鳥が鳴いていたが、近頃ではようやく客足も増え、顔馴染みの常連さんもぼちぼちとでき始めている。
今日も朝から二人ほど、最近よく来てくれる客が各々の指定席に腰を下ろし、香り立つコーヒーとのひと時を楽しんでいた……。
一人りは入ってすぐの窓辺の席に座る、まだ20代前半と思しき若い男だ。
丈の短い灰色のジュストコール(※ジャケット)には赤いチェックのスカーフを巻き、やはり灰色のオー・ド・ショース(※ハーフパンツ)を吐いている。
また、頭には灰色の
「す〜っ……ハァ…いつもながらいい香りだぜ……」
その若者は木のカップを片手に湧き立つ湯気を鼻から吸い込むと、恍惚の表現で中の液体を一口、口に含む。
「ブゥゥゥゥゥゥーっ! 苦ぁっ!」
だが、次の瞬間、若者は勢いよく黒色の飛沫を空中に噴き出した。
「だ、ダメだ。やっぱりミルクと砂糖を入れてくれ……」
そして、渋い顔でカップを掲げながら、カウンターに立つ私にそう注文をしてくる。
「ほら、だからカフェ・コン・レチェ(※カフェ・オ・レ)にしておいた方がいいと言ったのに……」
私も渋い顔でそう苦言を呈しながら、ミルクと砂糖をトレーに載せて若者のもとへと向かう。
いつもはミルクと砂糖を入れるように言われるのだが、今日はちょっと背伸びをしてブラックを注文したのだ。
この若い客、ハードボイルドを気取ってはいるが、コーヒーの味はまだまだわからない、実際はハーフボイルドのお子さまであるらしい……。
他方、薄暗い店の一番奥に座るもう一人の客は、黒髪にラテン系の顔をして、口髭を生やしたダンディな中年紳士だ。
白いプー・ル・ポワン(※上着)にやはり白のオー・ド・ショースを履き、腰にはレイピア(米細身の剣)を下げた上品な服装をしている。それなりに身分のある人物だろうか?
「……コクン……うーむ。やはり朝はこの一杯に限るな……」
ダンディな紳士は深み焙煎のコーヒーをゆっくり飲み込むと、鼻腔を抜ける残り香までをもよく味わっている。
若者とは違い、こちらは本物の〝違いがわかる大人〟であるようだ。
しかし、若者にしろダンディな紳士にしろ、この店を贔屓にしてくれるのはたいへんありがたいのであるが、この二人の客には少々、不審に感じる所があったりなんかもする。
この二人、最近、毎日のように来てくれる上に、朝の開店直後から夜の閉店時間まで、ずっと店内に居続けるのだ。
いや、一杯でずっと居座っているのが迷惑だとかそういうことではない。何杯かおかわりしてくれるし、昼食や夕飯も注文するし、店の雰囲気が好きで一日過ごしてくれているのならば、それはそれで何よりの悦びである……しかし、だからってこう毎日なんてことがあるだろうか?
そもそも二人とも仕事はどうしているのだろう? ここ数日は休まずこの店にいるのだから、その間、当然、仕事はまったくできていないはずだ。紳士の方は上流階級っぽくもあるし、もしかしたら働かなくてもいいご身分なのかもしれないが、若者の方はその全身から庶民臭さをプンプンと醸し出している。
なにか、犯罪絡みのことでもなければいいんだが……。
「お待たせしました……」
内心、そんな懸念を密かに抱えつつ、私はミルクと砂糖を載せたトレーをテーブルの上へと静かに置く。
「やっぱりこいつを入れねかえとな……フゥ〜…苦えままで飲むやつの気がしれねえぜ……」
すると、それらをたっぷり入れてコーヒーを飲んだ若者は、とてもハードボイルドとは思えない、そして、カフェテリーヤで言うのは憚られるような言葉を平然と口にしてくれるのだった。
考えすぎか……。
とても悪事をたくらめそうにもないその言動に、私は苦笑いを浮かべてみせると、自分の懸念を思い過ごしだと考えるようにした──。
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